リレーメッセージアーカイブ
■お多福さん
私の友人で米国出身のエイミー加藤さんという方がいます。彼女は、おたふく・おかめの研究家で、長年の日本暮らしの中で生活文化や、職人の技に傾倒し、日本の古い物を日本人以上に大切に収集しています。
著書の中でも千本釈迦堂のおかめについて、おかめは厄を除け、失敗を成功に導き、災いを福に転じさせる偶像として崇(あが)められてきました。また、よろずの福を招くことから、おたふく/お多福と呼ばれています。と記し、その歴史と人々の言い伝えが混ざり合って人々のおかめに対する信仰を強くしています。彼女と話せば話すほど、日本に対する愛があふれ出ています。
日本では衣食住、よく見れば至る所におかめさんがいます。彼女の微笑(ほほえ)みはソースから文具、お菓子に至るまで日本文化の中で良い物を示す守り神だと思います。
おたふくはとても陽気で楽しい人柄です。良い食べ物が健康な身体を作ります。楽しみや笑いが生活には活力の源です。いつも私たちの心を癒やし日常生活を陽気にしています。お茶目で笑顔をたやさず元気でいられるよう、おかめさんを見習っていきたいと思います。
■うれしさの余韻
日本には「後礼」という美しい習慣があります。つまり、お品を頂いた時、お食事に招かれた時、親切を受けた時などその場で言うお礼の他に、後日もう一度「この間はおおきに」とお礼を言う習慣です。
若い世代では、おそらく一度で事足りるので、面倒くさいと思われる場合もありますが、外国でもお食事に招かれたら翌日にカードを贈る習慣の所もあり、丁寧で美しい習慣だとわたしは思っています。すぐに言わなくても、道で会った時に「この間はおおきに」と言うと、相手も一層幸せな気分になられると思います。
日常的に、ここ京都では“おため”という習慣もあります。頂き物をした時、ちょっとした物を「有難(ありがと)う」の意味を込めてお返しする事です。そのせいかわかりませんが、この街では、おためにうってつけな小さくて可愛(かわい)らしいお品が沢山存在します。もらわれた方も、帰宅してうれしい気持ちになられる事でしょう。
日本人は何事にも余韻を楽しみます。控えめにうれしい気持ちを持続する-これこそ誇りに思っても良い習慣ではないでしょうか。最近、この気持ちを忘れていませんか?
■和の美意識
情報が簡単に手に入り私たちの生活や環境がどんどんと変わりゆく中、海外から来られた人々の言葉に、忘れかけていた日本の美に立ち返らせられます。
ある建築家は楽しそうに、「日本建築は細部まで行き届き心かよわせ合う温かさがあり、自然に気持ちが和んでいく」と。ある青年は「アメリカのビル暮らしの中で出合った日本庭園は僕に微(ほほ)笑みかけてくれ、優しく安らいだ気持ちになった。この体験が僕に京都への思いを募らせた」と。また日本の物作りを高く評価された経済学者は「一方的に他を圧倒するのではなく、心地よさが層を成し現れ、奥へ奥へと誘われた滞在時間は他の国では出来ない経験」と、印象深く語られました。
姿かたちの違うものを絶妙なバランスで取り合わせて空間を作り出す日本人の美意識は、自然を愛しみ相手を活(い)かす心で長い時間をかけ育まれて来たものです。短い時間で多量な物が手に入る昨今、世界の人々を惹(ひ)き付ける和みの空間は少しずつ姿を消し、京都の町は不協和音を奏でつつあります。「京都の人々の、人となりが美しかった」と言われた言葉が、私だけではなく京都に住む人皆の心に届きますように…。
■お稽古ごとのすすめ
私の学生時代は授業を終え、生徒会活動やクラブ活動を済ませると、お稽古ごと三昧(ざんまい)の日々であった。日本舞踊・バレエ・ピアノ・声楽・三味線・茶道など。
私はお稽古ごとの一つであった日本舞踊を止めることなくいまだに続けている。そして、平成23年度文化庁芸術祭優秀賞をおかげさまでいただくことができた。ようやく舞踊家になったと言えるのではないかと思う。
私が属するこのお稽古ごとの世界が、今やとても必要になっているように思う。学校や塾という勉強一辺倒の世界の他に、自分の好きな世界があるということは、ストレスの発散にもなるし、気分転換にもなる。そして、家庭や学校では交わることのない年齢や環境の人とお付き合いすることによって、多様な人間を知ることができる。
親や先生から注意を受けるとむかつくことも、芸の上でのおっしょ(師匠)さんからの忠告なら素直に受け入れられる。一生精進しなければならない世界で、非効率的なことの大切さを学ぶ。
「受験には全く益がない、就職には役立たない」と切り捨てて来たお稽古ごとの世界に、日本人の忘れものが一杯詰まっているような気がする。