日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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日本人の忘れもの記念フォーラムin東京
京は日々の暮らしに息づく

 戦後、日本人が置き去りにしてきた大切な心を見直す京都新聞「日本人の忘れもの」記念フォーラムin東京(日本人の忘れものキャンペーン推進委員会主催)が5月14日、東京都千代田区・内幸町ホールで開かれた。森清範・清水寺貫主が基調講演で東日本大震災を例に日本人の宗教観を説いたあと、武者小路千家家元夫人の千和加子さん、桑原専慶流副家元の桑原櫻子さん、秦家主宰の秦めぐみさんの3人が、京の伝統や暮らし方などについて語りあった。コーディネーターは京都新聞総合研究所特別理事の吉澤健吉がつとめた。

基調講演
森 清範 氏 清水寺貫主

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今を生きることが未来をつくる

 世界遺産・清水寺は778年に創建されたと伝わります。『枕草子』『源氏物語』『平家物語』などの古典文学にもたびたび登場し、平安時代初めにはすでに大衆信仰の名所としてにぎわっていたことがうかがえます。

 ことわざで有名な「清水の舞台」は観音様に舞楽を奉納した場所です。床はヒノキで、「ひのき舞台に立つ」という言葉はここから生まれました。舞台周辺を修学旅行生がよく走り回っていますが、お寺のたたずまいを感じ、空気を吸って帰るだけでも、子どもたちには日本の文化を体感する貴重な体験となるでしょう。

 清水寺には三重塔があります。塔というのは亡くなった人を供養する建築物です。仏教では本来、生きているときに悟りを開いた人が仏になります。ところが仏教が伝来した当時、日本には人も死ぬと神になるという神道の考え方がありました。現在、日本では、クリスマスを祝い、除夜の鐘をついて正月を迎える人が少なくありません。人が死ぬと仏になるという宗教観は、日本人の寛容な宗教形態が生んだ神仏習合の死生観といえます。

 日本では多くの人が、お盆には家族の魂が帰って来るのを待ち、春と秋の彼岸には墓前で手を合わせます。身体はなくなっても霊魂は消えないと信じているからでしょう。正月には神様が訪れる目印に門松を立て、ごちそうでもてなします。年神(歳徳神)を祖先の霊と考える地方もあります。

 亡くなった人の冥福を祈ることは、生きている人に心の安らぎを与えてくれます。地球上の生きとし生けるものが皆つながっているのと同時に、亡くなった人とも結ばれているということです。日本漢字能力検定協会が公募し、2011年の世相を表す漢字として選ばれたのは「絆(きずな)」でした。私が筆で書くのをテレビでご覧になった方も多いと思います。「絆」の英訳 bond には「接着する」という意味があります。「絆創膏(ばんそうこう)」という言葉もありますね。興味深いことです。

 東日本大震災の大津波で流された岩手県陸前高田市の松を使った大日如来坐像の制作を京都伝統工芸大学校の学生さんにお願いしました。「ひとノミひと削り」運動では、今回の震災で被災された方々だけでなく、昨秋来日したブータンのワンチュク国王夫妻、阪神大震災の被災地の方々など、1万1113人の方が鎮魂の祈りを刻んでくださいました。

 『心地観経』という大乗仏教の経典には、過去にどう生きたか知りたければ現在の結果を見なさい、未来の結果を知りたければ現在どう生きているかを見なさい、と書かれています。現在の中には過去が凝縮されていて、その中に未来の種があるのだから、今をしっかり生きることが未来をつくっていくのだという教えです。

 生きているとさまざまなことに遭遇しますが、心の働きというのは極めて大切なものです。心の中で思うことが出発点だからです。よかれと思って祈り念ずることが力につながると信じています。

パネルディスカッション いま、発信する京都のこころ

毎年の年中行事がメリハリに 千氏

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 -京都の町家は6月になると一斉に夏のしつらえに替わりますね。

 秦 「建具替え」ですね。町家の多くは間口が狭く奥行きが深いので、風通しがいいとはいえません。ふすまや障子などの建具を外し、葦(あし)や竹でできた御簾(みす)や簀戸(すど)に替えることで、日差しを遮りながら涼しい風を通します。畳の上に敷く籐筵(とむしろ)や網代(あじろ)などの敷物は暑さで火照った足元に冷たく感じて気持ちのいいものです。

 千 大徳寺では利休さんの月命日28日に表千家、裏千家、武者小路千家の三千家が交代で茶席を設けます。6月と9月は武者小路千家が当番で、全国から大勢の方が集まりますから、うちでは毎年その前日に建具を替えることにしています。

 昔のように大家族で人の出入りも多ければ人手には困らないのでしょうが、家中の建具を替えようと思うと大仕事です。折り合いをつけるのは大変ですが、毎年していることをしないのは忘れものをしているようですし、終わってしまえば替えてよかったと思います。年中行事は暮らしにメリハリをつけてくれますね。

 秦 住まいを公開するようになって、あらためて自分の足元を見詰め直す機会を持ちました。お正月、お彼岸、おひなさん、大将さん(端午の節句)、建具替え、祇園祭、お盆、正月支度など、季節ごとに巡ってくる歳時に忠実に過ごしていると、規則的な暮らしという存在が自分を守ってくれているように思えてきます。そんな住まいの空気感を体感してもらえればと行っている体験会などに定期的に参加してくださる皆さんから「背筋が伸びて、普段の暮らしをリセットできるのが楽しみ」という声を聞けるのがうれしいです。

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 -維持が大変ではありませんか。

 桑原 桑原専慶流は江戸時代から続くいけばなの家です。築100年のわが家は、浄妙山という祇園祭の山町にあります。もともと商家の多い地区ですが、最近はビルや駐車場が増えました。昔のように人が住み、衣替えをしてもらって生き生きしている町家は減る一方です。「家は悪くなる前に直さないと、どんどん悪くなるから」と母に言われ、私も修理しながら日々暮らしています。戸や壁を直しているおうちを見ると、同志を見つけたようで、ほっとします。

気配り、心配りで住まい美しく 桑原氏

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 千 桑原さんのご自宅は、お花の会を催されたときに私も伺ったことがあります。京都の町家でも、あれだけ長い路地は珍しいと思いますが、細長い路地をずっと奥に入ったところに水を張って、お花を浮かべておられたのがとても印象的でした。いろいろなお花が出迎えてくれましたが、いつもあんなにきれいにしておられるのでしょうか。

 桑原 家でも花を教えているので、普段からあちこちに飾っています。水溜もいくつかあって、祖父(13世家元)の代には、お花屋さんが届けてくれた花や山から切り出した枝をつけておくだけの実用的なものだったのを、父(14世家元)が石臼や御影石を使ったものに替えました。

 きれいになると、花でもいけようかという気持ちになるから不思議です。庭で散っていた花を浮かべたり、けいこで残った花も小さな掛花にしたり、ちり一つないよう気を配るようになりました。見てくださった方の気持ちが和みますようにという思いを込めています。

 秦 京都では、裏庭に咲いた花を切り取って玄関先に生けて人をお迎えするといったことが、わが家のような一般の商家でも日常の暮らしの中に浸透していますが、それは、京都が面々と伝統や文化を紡いでくださっている方の多い土地柄だからといえますね。

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 -京都には、もてなしの文化が根付いているということですね。

 千 お茶で使うお菓子も、夏は葛や寒天を使った透明感のあるものが多くなります。見た目も一つのごちそうなので、お料理や道具の取り合わせも、夏であれば少しでも涼を感じていただけるように工夫します。茶の湯というと、お茶しか飲まないと思われがちですが、4時間くらいかけ、懐石料理やお酒を召し上がっていただきながら、お道具や掛け物の話で盛り上がるような茶事もあるんですよ。

地道に生きる素養が根付く 秦氏

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 桑原 私が料理を始めたのは家族のためでした。いけばなは草木という生き物に接する仕事です。いけ手が健康でなければ花と向き合えません。準備や片付けなど、見かけによらず重労働なので、もっと栄養のある料理をと、母に代わって作るようになったのは大学を卒業するころです。

 料理番組や雑誌の取材では京風の家庭料理おばんざいを披露することが多いのですが、フレンチもイタリアンも、普段の食事の範囲内で作れるものは取り入れます。家族の喜ぶ顔を見たくてしていたことが、いつの間にか仕事になっていました。仕事でいろいろな土地へ行きますが、やはり楽しみなのは食べ物です。東京で食べたいのは、おすし、天ぷら、うなぎ。うなぎのかば焼きは、京都のじか焼きに比べ、東京の蒸し焼きは、ふっくらしていますよね。

 千 私が京都に住むようになったのは結婚してからですが、京都の方には食いしん坊が多いですね。京都で茶道の家元というと日本料理しか食べないのかと思っていましたが、京都の両親は洋風料理が大好きで、ハンバーグもグラタンも喜んで食べてくれました。

 京都には全国から人やモノが集まってきた歴史があります。古いものを大切にするだけでなく、いいものは新しくてもどんどん取り入れる気風があるのでしょう。普段の食事は質素でも、旬の素材を用い、持ち味を生かして上手に使い切る工夫をしておられる方が多いようです。

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 秦 この住まいでの毎日の暮らしから、自然に抗わない身の丈に合った生き方を教わっているように感じています。京都は、日々繰り返される暮らしの行事を、お寺や神社だけでなく、地域全体が大切にして生きてきた町です。地道に着々と生きる粘り強さは、京都の人が素養として持ち合わせているものではないでしょうか。受け継がれてきた形に寄り添いながら、そこに新たな価値観を紡いでいければと思います。

 -ともすると私たちが忘れがちな、四季折々の暮らしの中で先人たちが大切に紡いできた文化と心のぬくもりを、京女お三方から感じました。

たかはし・えいいち

  • コーディネーター
  • 京都新聞総合研究所特別理事

吉澤 健吉 さん

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