日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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リレーメッセージアーカイブ

2012年 2月掲載

白川書院「月刊京都」編集長・山岡 祐子さん

■ヨコ、タテ、ウチ、ソト

 現在、仲間内以外の他者を意識したり、意見を受け入れたりできず、ヨコの人間関係だけを求める若者が増えているという。タテやソトの関係を避ければ、常に同意するミウチ、仲間だけ。永遠にそこに安住できる。

 しかし、「文化の継承」という観点で見た場合、次代に残せるものを失ってしまう。他者との関係性をつかめなければ、正確な理解もできない。

 京都の街に暮らす人々は長きにわたり伝統芸能、技、知恵を継承してきた。個人と個人が真摯(しんし)に対峙(たいじ)し信頼を築くとき、文化は引き継がれる。先代から当代に、師から弟子へと。

 とりわけ地域の祭りでは世代や価値観の違う三世代コミュニケーションが形成されることが多い。例えば祇園祭の囃子(はやし)方。子どもは「折れ反(そ)れ」=礼儀作法を自然と身につけ、祭りを続ける自覚をもつ。長い時間をかけて、相手のことをよく聞き、理解し、興味をもつ「コミュニケーション力」も得ることになるのだ。

 いま、京都の若き文化継承者に注目している。彼らはタテの関係だけでなく、ヨコのつながりも強い。コミュニケーション力をいかして、さらに豊かな文化の土壌を創造し、新たな文化を生み出してほしい。

千家十職塗師(ぬし)・中村 宗哲さん

■伝える

 京都に生まれ、京の四季を感じ、家の年中行事を楽しみながら暮らしてきた。お正月、節分、雛(ひな)祭り、お盆、お火焚(ひたき)など、大人になってからは準備もそれなりにたいへんだが、毎年当たり前の事である。

 世の中は今、何事も便利になり、面倒な事は敬遠されて年中行事も年々簡略化されている。

 お正月も雑煮椀(わん)や盃(はい)などの塗物(ぬりもの)は扱い方が難しいと、使う人が少なくなってきている。塗物を造る仕事に携わっている私にとって悲しい事である。

 禅院の僧侶や茶人、昔の人達(ひとたち)はお椀で御飯を食べ、食後はお茶や湯、漬物でお椀を清めてきれいにする。食材や料理人への感謝の気持ち、物を大事に使う心を大切にしている。大量の水や洗剤を使わずエコでもある。昔から当たり前にしていた事には利に叶(かな)った事がたくさんある。

 様々な情報があふれ、便利な暮らしに馴(な)れている子供達に、日本、そして京都の良き事を、私達大人が祖父母や親から教わったように、一緒にして見せ、伝えていく事が今を生きる大人の責任のように思う。

茶道武者小路 千家家元夫人 千 和加子さん

■京都の美味しい水

 「茶の湯」に良い水は不可欠です。我庵でも昔からの邸内の井戸で日々の御茶のための水を汲(く)んでおります。この地下水脈は京都市を南北に渡る小川通に付随しており、京の四茶家はこの上に位置しております。

 この水は沸騰させて使う事で飲料としての許可が降りており、幾度となくふつふつと沸かして頂くと美味しくやわらかい口当たりで、茶の湯の水には最適です。

 ほかには露地や家の廻りの打ち水として、また庭の草木への水やりとして使っております。自然の水は植物にやさしく苔(こけ)なども生き生きと元気に育ちますし、水温は季節を問わず一定です。

 京都の下は大きな水がめが存在すると聞きました。昭和30年代までは家々はもちろん、各町内に共同で使う井戸がありました。水道の普及とともに衛生面や建設工事などの影響で使えなくなったり枯れてしまいました。生水を飲料にする事は出来なくても他に使い道はいろいろあります。

 災害の事も考えたりすると(その時必ず使える保証はありませんが)復活出来る井戸は再生出来ないでしょうか?問題は山々あるとは思いますが、新しい町のコミュニケーションの場、「井戸端会議」復活も悪くないと思うのです。

ジュエリー作家 松永 智美さん

■世代の役割

 かつて私達は、西洋文化を憧憬(しょうけい)し、ひたすら追いかけてきた。

 しかしいま、失われた「日本」に気づき、変わらなければならないと思っている人達が増えている。そう感じているのは、いままで享受してきた西洋文化に違和感を持ち始めてきたからであろう。

 いまの若者達は、西洋化した日本の中に生まれ育っている。

 そんな彼らが着物を着、町家に住み、農業に興味を持ち都会を離れる者も少なくない。

 大文字の送り火の日に各地で開催される盆踊りでは、踊りに参加する若者達が多くなっている。

 彼らは失われたものを探っている。

 どこかで日本の文化の衰退への危機を感じているのだろう。日本人の魂が目覚め始めている。

 今年の初詣、着物姿の激減に驚いた。

 だが、私自身が着物を着て初詣に行ったわけではない。私達が手本になってこなかったのが問題なのではないだろうか。

 日本人としての誇りと自信を持ち彼らのあこがれの存在となることが文化の伝承となっていくのである。