リレーメッセージアーカイブ
■季節を感じる暮らし
椿(つばき)、すみれ、藤袴(ふじばかま)。子供の頃から我が家にはいつも一輪の花が活(い)けられていました。足の指先を冷たく感じた初秋の夕暮れ時や、鳥の鳴き声が近く聞こえた初春の朝には花が変わっていて、季節の移ろいを思いました。「季節感のない女性はあきまへん」。御所に仕えていた曾(そう)祖母に厳しく言われていた母から私が受け継いだのは、四季を愛(め)でる習慣です。
大人になって、私はパリのフラワーアレンジメントに感動し、学びに熱中しました。やがて京都で再現しても輝きが少ないことに悩みましたが、「季節」を加える手法を見出し創作の世界が広がりました。あこがれと習慣を組み合わせたプーゼの花は、昨年イタリアの雑誌から取材を受けました。「よく知っているスタイルなのに繊細な色使いにより初めて出会ったと感じるエレガンス」。季節を愛でる心はヨーロッパの方々にも喜んでいただける個性となって伝わったようです。
花を飾ると家族の会話が弾みます。季節の行事が子供たちの心に刻まれ、温かい絆が生まれます。家族のつながりと美意識。私は暮らしの習慣からとても大切なことを受け継いだのだと感じています。
■分業コミュニケーション
新しく入った妹弟子が四代目に色の調合の仕方を聞く。「アイニナメルホドシューウッテ」。四代目の返答に、まるで初めて聞く外国語のように、ぽかんとした妹弟子の顔。助け舟を出す。
「藍色に、舐(な)めるほど僅(わず)かな朱をうつんやで」。それでも、相変わらず浮かない表情。「シュヲウツ、って何ですか?」
仕事をしていると、おのずとそこで通用する表現を身につける。はじめは、何を言っているか分からなくても、一緒に過ごしているうちに、理解できるものなのだろう。また、伺う間合いや「ちょっと」などの形容される分量なども、推し量れるようになる。
私が伝統木版画の世界に入って十年になる。先代からの継承と分業で成り立っている伝統工芸は、コミュニケーションの能力がとても重要だ。伝えあうのをわずらったり、時にその意味の相違が失敗をまねいたりすることを経験しながら学んでいく。
決して腕の技だけで成立しないからこそ、伝統工芸は今に根強くあるのだろう。京都に息づく伝統とは、とても人間くさいものである。
■青い鳥は足元に
京都に生まれ育った私にとり、京都は何ともめんどくさくて、居心地が悪い町でした。
ローマでアートプロデューサーとして活動を始め、「ミホプロジェクト」を設立しました。祖父の翻訳では「興行師」、アーティスト・イベント・デザインなど、ヒト・モノのプロデュースをしています。
起業した頃、イタリアは「奇跡のルネサンス」といわれた時期、伝統の中に新しいアートやデザインなど、革新が素敵(すてき)に共存して、刺激的な所でした。日本はバブルの真っただ中、日本とイタリアの文化の橋渡しも面白く、何をしてもうまくいきました。
そんな時、師から「あなたの仕事は地球人としての仕事、環境や人の心をつぶしてはいけない」と言われましたが、その言葉はとても重く、本当に悩みました。私が私らしく感じられる所を求めて出かけましたが、年を重ねて、その場所が変化している事に気付きました。
伝統と革新が共存している町に憧れ続け、その町が自分の生まれた所だったと気付くのに少し時間がかかりました。青い鳥を探しにヨーロッパへ出かけましたが、その鳥は私の足元にいた様です。
■京都滞在型観光客として
東京生まれ、京都在住25年になる私。いまだに京都滞在型観光客として、外から内から京都を楽しんでいます。
京都に住み始めて感動したのは、京都の方たちは1年を通して行事、神事を生活の一部として無理せずに行っている事。どんどん世の中は簡素化されていきますが、まだまだ大切に受け継がれていることに、25年前、感心しました。
お正月は初詣をしてからお墓参りに行く事も教えてもらいましたし、節分の豆のまき方、地蔵盆の由来、お精霊さんの事。当たり前に行っている事が新鮮で感動的でした。
そんな京都が大好きで楽しみながら私も守っています。京都生まれのお友達には当たり前ですが、いつでも行けると思っている四季折々の京都の素晴らしさや、大みそかは年越し蕎麦(そば)を食べてから除夜の鐘を聞いて八坂神社におけら参りに行くこと。観光客が憧れる京都の楽しみ方を教えたりしています。
受け継ぐことや守ることは大変なことだけど、私が感動したあの時の想いを伝えていくことが、縁あって京都に住めることになった私の感謝の気持ちです。