今年3月、文化庁が京都に移転した。幅広い文化行政の発信拠点となる京都をはじめ関西が果たすべき役割は何か。京都、滋賀、大阪、兵庫を拠点に活躍する文化人を招き、11月14日、「日本人の忘れもの知恵会議 関西発―文化交流再考」と題して京都新聞文化ホール(京都市中京区)で議論し、市民ら約160人が耳を傾けた。コーディネーターは京都新聞総合研究所長の北村哲夫が務めた
忘れものフォーラム
Forum
文化庁京都移転を受けて「関西発―文化交流再考―」
2023年11月/京都市中京区・京都新聞文化ホール
■ディスカッション
関西発、変革の波紋広がれ
世代・分野超えてこそ文化
池坊専好氏(華道家元池坊次期家元)
地域文化 発信できる環境を
橋爪節也氏(美術史家、大阪大名誉教授)
芸術支える裏方 雇用守って
服部孝司氏(神戸市民文化振興財団理事長)
文化財修復にもっと支援を
鷲尾龍華氏(大本山石山寺第53世座主)
―まずは、それぞれの立場から文化についてのお考えを聞かせてください。
池坊◉華道池坊の家元は六角堂(京都市中京区)の住職も務めます。もともといけばなが仏に花を手向ける「仏前供花(くぜ)」から始まったことに由来します。室町時代、六角堂の僧侶であった池坊専慶(せんけい)が武士に招かれて花を立てたところ、京都の人々の間で評判になったと文献にも記されています。これまで六角堂は火災などで20回近く焼失していますが、その度に再建されてきました。あるときには幕府からの援助が途絶え、地域で活躍する町衆が資金を出し合い、再建工事を進めたこともあります。六角堂と町衆との関係や、専慶から始まるいけばなの歴史を考えると、文化は携わっている人たちだけではなく、周囲で活動を支えたり、芸や技を学び、教え、伝えていったりする人たちの存在によって、世代を超えて波紋のように広がっていくものだと実感しています。
橋爪◉大阪市が近代美術館を建設するという計画が持ち上がり、1990年にその準備室の第一号学芸員となりました。ただ、美術館建設は進まず、2008年に準備室を離れました。美術館は準備室開設から32年後の22年に大阪中之島美術館としてオープンしますが、公立美術館が長い期間、大阪で実現しなかったことは大阪にとって大きな損失でした。近世近代、日本画の中心地として美術界をけん引した京都画壇や江戸画壇に比べて大坂画壇の影が薄いのも、地域に拠点となる美術館がなかったことが一因でしょう。1990年前後に西宮や芦屋などの公立美術館が地域に根付いた芸術文化や生活様式を「阪神間モダニズム」として光を当て、盛んに情報発信を行いました。私は、まず大阪市を核とする「大大阪モダニズム」があり、それを中心に阪神間モダニズムはじめ各私鉄沿線のモダニズムが広がったと考えています。
服部◉私が在籍していた神戸新聞社は、阪神・淡路大震災のときに本社が倒壊し、新聞製作ができなくなりました。その際、京都新聞社が業務を引き受けてくださり、一日も休まず新聞を発行することができました。関西はそのように主要都市の距離が近く、隣同士という感覚がありますが、各都市の持ち味は全く違います。カメラで言うならば二眼レフ的な視点で各都市の文化を捉え、守り育てていく必要があります。20世紀初頭、浄土真宗西本願寺派の法主大谷光瑞(こうずい)は中央アジアに探検隊を3次にわたって派遣しました。現地から持ち帰った文化財や資料は、神戸・須磨にあった光瑞の月見山別邸や、その後六甲山山麓に建設された別邸「二楽荘」で整理、展示されていました。法主として京都で教団の指揮を執る一方、神戸では測候所や園芸試験場なども設けていましたので、光瑞はうまく京都と神戸のキャラクターを使い分けていたといえるでしょう。
鷲尾◉石山寺は聖武天皇の勅願により、奈良時代に創建されたと伝えられています。奈良・東大寺との関係も深く、東大寺の伽藍建築に使う木材の集散地にもなっていました。琵琶湖周辺地域で伐採された木材は、琵琶湖や瀬田川を通じて、いったん石山に集められ、さらに水路で奈良まで運ばれました。
石山寺は西国三十三カ所の番目の札所でもあります。和歌山から始まり、大阪、京都、奈良、滋賀、兵庫の霊場を巡って岐阜に至るルートは江戸時代に固まりましたが、それを見ても石山寺は人が行き交う分岐点や中間点にあることが分かります。
2024年のNHK大河ドラマは『源氏物語』の作者紫式部が主人公です。紫式部は石山寺参籠の際に『源氏物語』の着想を得たとされています。このほか『枕草子』や『蜻蛉日記』など、女性が手掛けた多くの古典文学作品に石山寺が取り上げられており、石山の地は女性が足を運び、お参りする祈りの場でもありました。
―文化庁が京都に移転して半年ほどが経過しました。今後、どのように文化行政を展開すべきでしょう。
池坊◉池坊では、文化庁の支援を受け、2021年から伝統的ないけばなと現代的なアート感覚を融合した新しい作品展を全国各地で開催しています。いけばなやアートに興味を持つ若い人が気軽に楽しめる場を提供することが目的で、会場も横浜では旧・英国総領事公邸、新潟では豪商が別荘として建築した屋敷を利用しました。芸術や文化は愛好家や研究者といった特定の限られた人たちの中で完結してしまいがちですが、行政や他分野の人たちがオープンに関わり、直接携わっている人たちにはない視点や問題意識が加わることで、活動にも広がりが出てくるはずです。文化庁には今後もそういった役割を期待しています。
橋爪◉文化人類学者の梅棹忠夫氏は、著書『日本三都論』で、日本は東と西の二つの国から成り立っているとし、東日本を上意下達の「日本帝国」、西日本を横並びの「関西連邦共和国」と表現しました。最近、国立科学博物館(東京)が財政難を理由にクラウドファンディングを実施し、8億円を超える資金を集めて話題になりましたが、国家予算の多くは経済発展に当てられ、芸術文化分野への予算は十分ではないことの象徴のようです。文化庁が京都に移転したことで、経済優先主義や上意下達式の中央省庁的な思考を離れ、府県や都市が自立した共和国として連合している近畿圏らしい知恵に富んだ活動を目指してもらいたいと思います。
服部◉神戸市民文化振興財団では、音楽や演劇公演のための多目的ホールを運営しています。この業界では、コロナウイルスが感染拡大した時期には音響や照明といった舞台制作に関わる人が職を失いました。コロナが収束して復帰を呼びかけても、別の業界や職業に転じていて戻ってこないのが現状です。これは日本全体の文化における損失ですし、特に伝統芸能が盛んな京都では次世代への継承も難しくなるでしょう。文化庁に提案したいことは、ホール事業を企画する専門職や舞台を裏で支える技術スタッフの資格制度創設です。彼らの多くはフリーランスとして仕事をしていますので、雇用や身分を守り、スキルを高めていくには必要な制度だと考えています。
鷲尾◉石山寺は歴史上、戦禍の影響を受けない場所にあったという幸運もあり、貴重な建造物や文化財が数多く残されています。国の重要文化財「校倉聖教(あぜくらしょうぎょう)」は僧侶が学問や修行のために書き残した経典類で、総数は2000点近くあります。そのうちの冊子本は14年かけて、引き続き巻子本は20年前から文化庁などの指導・監理の下で修復作業が行われています。重要文化財などに指定されているものは、文化庁の支援も受けることができますが、全国的に見ても京都や滋賀は文化財の数が多く、他府県であれば支援の対象になるような貴重なものが未指定のままというケースもあります。今回の京都移転がそういった地域に残る未指定の文化財に目を向ける契機になればうれしいです。
―パネリストの皆さんの発言で共通していたのは、文化を守り、育てていくには人の交流や経済面のサポートが欠かせないという意見でした。さらにその文化振興に向けた動きを活発にするために必要なことは何か、最後にお伺いしたいと思います。
池坊◉文化庁の移転は、京都や関西のためだけではなく、文化を切り口にした地方の活性化が本来の目的だと理解しています。京都には文化財や文化資産がたくさんあります。そこには、今を生きる人が生み出す芸術作品や生活文化も含まれています。これをどのようにして活用し、地域の活性化につなげていくか、京都が地方創生のモデルケースを提示していくことができればといいなと考えています。
橋爪◉美術品は一部の人たちのためのぜいたく品というイメージがあるかもしれませんが、例えば美しい絵画を目にすることで気持ちが前向きになったり、体調が良くなったように感じる作用や効能もあるでしょう。少し視点や発想を変えて、美術品を身近なものとして捉えることが重要です。そして、それらの作品を生み出したそれぞれの町や地域の文化を、プライドを持って、自慢したり、発信したりできる環境をつくることも大切なのではないでしょうか。
服部◉これからの時代、文化を支えていくのは子どもたちや若い世代です。私たちが運営するホールでは、国内トップのミュージカル劇団が毎年、神戸市内の小学生を招待して無料公演を開いています。ホールが発行する情報誌には過去の参加者の作文が掲載されており、子どもたちが大いに感激した様子が分かります。幼少期の文化体験は強く心に残るでしょうし、その後の人生にも良い影響を与えるはずです。子どもたちに文化や芸術を届け、楽しんでもらう機会をもっと増やしてほしいと願っています。
鷲尾◉石山寺周辺には、近くを流れる瀬田川から石を拾い上げてきて、川から来た仏様だと言って、大事にお祀りしている地域があります。ただ、最近は石仏に目もくれず、通り過ぎてしまう人が多いことが気がかりです。人々の関心が薄れていくと、石仏も、石仏に手を合わせる文化もいつかなくなってしまいます。そうならないためにも、日本人の意識や価値観といった基層となる部分も含め、より深く文化を理解する取り組みを文化庁の皆さんとも一緒にやっていきたいという思いを強くしています。
撮影・辰己直史
◎池坊専好(いけのぼう・せんこう)
1965年生まれ。いのちをいかすという精神に基づき、西国三十三所の各寺院やニューヨーク国連本部で献華を行う。2025年日本国際博覧会協会理事。
◎橋爪節也(はしづめ・せつや)
1958年生まれ。専攻は日本東洋美術史。東京藝術大助手から大阪市立近代美術館建設準備室、大阪大学教授、同大学総合学術博物館館長を経て現職。
◎服部孝司(はっとり・こうじ)
1951年生まれ。75年、神戸新聞社入社。文化部長、常務取締役などを歴任。2016年から現職。神戸文化マザーポートクラブ事務局長も務める。
◎鷲尾龍華(わしお・りゅうげ)
1987年生まれ。第52世鷲尾遍隆座主の長女。2001年に得度受戒。13年、東寺にて伝法灌頂入壇。21年、第53世座主に就任。石山観光協会会長なども務める。