日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第51回6月24日掲載
恥を知る心
自律的道徳心を取り戻さねば
亡国の道を一挙に進むだろう

うめはら・たけし

哲学者
梅原 猛 さん

1925年仙台市生まれ。京都大文学部卒。京都市立芸術大学長、国際日本文化研究センター初代所長など歴任。文化勲章受章。著書は『隠された十字架』『水底の歌』『葬られた王朝』など多数。

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「忠臣蔵」の芝居は
日本人に道徳を教えた

 明治以降、特に戦後、日本人は何を忘れたか。この質問に対して、ここで私は恥を知る心と答えておくことにしよう。アメリカの女性文化人類学者、ルース・ベネディクトは著書『菊と刀』において、日本文化を「恥の文化」として西洋の「罪の文化」に対比させた。ベネディクトは、恥の文化は他律的であり、自律的である罪の文化より道徳的価値において劣ると考えた。

 しかし作田啓一氏は名著『恥の文化再考』において、ベネディクトのように日本文化が恥の文化であることは認めるが、恥は決して他律的なものではなく、罪に劣らぬ深い内面性をもつ自律的なものであると論じた。

 この恥の文化は武士道と関係があることは否定できない。武士の道徳を鼓吹するものとして、「忠臣蔵」という芝居があろう。「忠臣蔵」は単なる娯楽作品ではなく、多くの日本人に道徳を教えた。その道徳は、表面上は忠義であったが、内面は恥を知る心であったといってよい。

吉良は、内匠頭は、四十七士は、恥を知っていた

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 吉良上野介はどうして浅野内匠頭を激しく罵(ののし)ったのか。それは、勅使の接待を司(つかさど)る最高責任者である彼が田舎大名の不手際によって恥をかくことを恐れたからであろう。そして浅野内匠頭はどうして吉良上野介を松の廊下で斬(き)りつけたのか。それは、田舎大名とはいえ立派な大名である彼が吉良上野介如(ごと)き者に辱められ、恥をかいたからである。また大石内蔵助率いる浅野内匠頭の家臣たちがどうして艱難(かんなん)辛苦の末に吉良上野介を殺して仇(あだ)討ちを果たしたのか。それは、彼らが主君の恨みを晴らせない恥知らずの武士と思われることに耐えられなかったからである。四十七士こそまさに恥を知る忠臣であったのである。このように武士の社会は、恥を知る心によってその秩序が保たれていたといわねばならない。

 明治以降、主君に対する忠義の道徳は天皇に対する忠誠の道徳に変わったが、戦後、そのような道徳は封建時代のものとして否定され、恥を知る心も弊履(へいり)の如く捨てられてしまったように思われる。

政治家、学者、画家現代日本人は恥を失っている

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 私は、現代の日本社会は恥を失った社会ではないかと思う。国のためとは称するものの、実はもっぱら自己の権力欲や金銭欲のために行動し、法にさえ触れなければ潔白だとして恥じることのない有力政治家がいる。また原子力の安全確保に関する組織の責任者でありながら国家、国民のことを考えず、もっぱら電力会社の意向に従って行動し、しかもまったく責任をとらずに恥じることのない著名な学者もいる。そしてまた、作品を売ることすなわち金を稼ぐことばかりに奔走し、自己の芸術観の安易さを反省しない大画家などもいた。日本人が恥を忘れることによって、日本は自律的な道徳心を失った国家になったのではなかろうか。

 この忘れものを取り戻すことは容易ではない。しかしそれを取り戻さないかぎり、日本は亡国への道を一挙に進まざるを得ないと私は思う。

<日本の暦>

水無月祓(みなづきばら)い

 6月も終わりに近づき、いよいよ1年の折り返しを迎えます。「この半年の罪やけがれを落とし、次の半年も元気に」と祈る行事が30日の水無月祓い。夏越祓(なごしのはらい)ともいいます。

 多くの神社で境内に茅の輪をつくり、参拝者がこれをくぐって無病息災を願います。現代では梅雨のころの行事ですが、旧暦では立秋(新暦8月7日ごろ)をすぎてしまう場合もありました。

 「風そよぐ奈良の小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」。

 藤原家隆の有名な一首は、上賀茂神社の水無月祓いの情景を詠んでいます。旧暦6月、晩夏のころ、禊(みそ)ぎだけが夏の名残りだ-という感興がこもっています。

<リレーメッセージ>

映画作家 河瀬 直美さん

■交わる場所

 「玄牝(げんぴん)」という映画を創ったとき、このタイトルの言葉の意味を知った。2500年前に言われた言葉だと知ったとき、こんなに昔の人が子孫に遺(のこ)したかったものの深さを思った。「谷神は死せず。これを玄牝という」。日本語に訳するとそういったことになるのだそうだが、この「谷神」とは谷の神。つまり川と川が交わるところの意味もあるらしく、ひとしく古代の人々はこういった場所に神聖なものを置いた。それらは信仰を伴って祈りの場所として人々の心の支えとなる。京都の上賀茂神社もそういえば明神川と御物忌川の交わる場所に鎮座されている。なぜそうして交わる場所が神聖なのか。この「玄牝」という言葉を言った老子は説く。交わる場所から命が生み出され、生み出された命は絶えず、その流れは永遠だ、と。「谷神」とは女性性器を意味し子宮はその命を宿し、この世にかけがえのないそれを生み出す。本当に大切な人をそこに迎え、歓喜の声を発する女。わたしという一つの命のことしか考えないのではなく、この命は前から今へ、今から先へとつながってゆくのだということ忘れずにいる場所が古都にはある。

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