リレーメッセージアーカイブ
■素読
小学生のころ、漢詩の一節を暗記させられたが、最近になって、何にも代え難い教えだったと感謝している。
御所西にある江戸中期の儒者皆川淇園の学問所である弘道館址の屋敷を現代の学問所として再生させる活動をしている。全国から門弟三千人が集った大事な場所だが、その存在すら忘れられていた。
江戸時代の学問は儒学であった。堅苦しいイメージがあるが、子供もみな論語などの経書を読んだという。ただ、その教育スタイルが「素読」と呼ばれる漢文の音読暗記の学びであったことは意外に知られていない。
声にだして覚えるということは、ことばに込められた古人の知と美のリズムを体内に刻みこんでいくということである。とりわけ論語ならば同時に君子の教えが身に付き、人間形成に役立つ。一石二鳥であった。
そうした身体をとおした学びは江戸時代の人々の教養となり、今の日本の豊かな知識文化をつくったのである。あるいはまた、震災後に話題になった日本人の品性の基礎をなしたといっても過言ではないだろう。
忘れられた素読の文化。たまには漢文を声にだして読んでみませんか。
■町内会
これを言うと友人はみな笑うのだが、今年わたしは町内会の<体育振興委員>なのだ。生来怠け者で運動音痴なのにおこがましいことである。
それでも引き受けてみたのは、住んでいる町のことを知らなすぎると思ったからだ。そもそも自分の属している町内会の名称からしてよくわかっていなかった。役員会に参加して初めて知ったというていたらく。
体育振興委員は町内で<体振さん>と呼ばれている。一年のメインイベントは区民運動会で、賛助金集めに個別訪問したりするのは、夏の最中、熱中症との闘いでなかなか大変だ。
けれど、一軒一軒巡っていると面白い発見もある。消防士さんだとばかり思っていた人が商店のご主人だったり、古いお宅に住んでいるのが案外新住人で逆にあれこれ質問されたり。一度お話ししてみたかった方に声をかけるチャンスもできた。
町内会も運動会も、なくそうと思えばなくせそうなものだけれど、こんなふうにうっすらとでも近隣の人や家を気にしている関係というのも優しくていいなと感じている。前よりもさらに自分の町が好きになっているこのごろだ。
■墨の香りに込める思い
40年間書道に支えられ生きてきた。辛い時も白い和紙に向かい、墨をすると、その香りに癒(いや)され、また言う事をきいてくれないわが子のような筆と格闘しているうちに自分を白紙に戻せた。
書き損じの和紙が山のようにたまる。けれど、懸命な心を受け止めてくれた、それらを容易には捨てられず、フライパンをふいたり、あれこれ再利用を考える。ある日の夕餉(ゆうげ)には、天ぷらの下に万葉集が書かれていたり。
私が創作した「modern 書 art」は篆書(てんしょ)の絵画的な面白さ、得も言われぬ墨の香りに込められた一言に重ねて、生きとし生けるものへの慈しみの思いが詰まっている。今月22日から遊筆町家凜穂(京都市中京区)で催す「ひととひととひとところ」二人展にも、このような思いを込めた。
あらゆる事が電子の頭脳と機械の手でなされる便利な世の中だからこそ、墨の奏でる世界の優しさ奥深さを多くの方に伝え届けたい。
そして、一人一人の温かな思いが、この美しい地球を元気な姿に戻し、未来の子供たちに渡すことを願いつつ、精一杯私の役目を果たしていきたい。
■安永九年のガイドブック
京都は四季を通じて美しい。とりわけこの季節、南禅寺、永観堂、若王子と続く道筋の錦繍(きんしゅう)は見事で、長くこの界隈(かいわい)に住んでいた私は、誇らしくさえ感じます。今年もガイドブックを片手に多くの観光客が訪れていますが、まるでわが家に出迎えるように、「ようこそ、おこしやす」という気持ちになってしまいます。
ガイドブックといえば、その始まりは一七八〇年(安永九年)に発行された『都(みやこ)名所図会』ということになるようです。大阪の絵師、竹原春朝齋が図版を描き京都の書林(書店)「吉野屋」から出版されました。全六巻の本で、一年間で四千部を販売したと言われています。当時としては大変なベストセラーで、その時代、すでに京都には高度な木版印刷・出版文化があったことがうかがえます。
今、落ち葉の降り積もった道を歩けば、その下に多くの人々がたどった足跡を感じます。墨染めの衣を翻してひたひたと歩いた法然上人や、いかつい風貌ですたすたと歩く親鸞聖人。蓬髪(ほうはつ)を振り乱して馬を駆った足利尊氏。そんな様ざまな時代を生き抜いた人たちの、数え切れない大切な遺産を受け継いで、私たちは今、京都に暮らしています。
■箏(こと)の音(ね)・くらしの音(おと)
京都の北・船岡山の近く、西陣織の織元の家に生まれた私。通った高校も大徳寺のすぐ横です。我が家の周りは機屋さんが数多くあり、織り機の活気に満ちた小気味良い音が、あちらこちらから聞こえてきました。自然豊かな紫野を渡る風や、樹々のざわめき、暮らしを営む人々のやわらかな喧騒(けんそう)といった、様々なあたたかい音に包まれて成長しました。
今、箏の演奏家として音色にこだわりを持ち、より良い箏の音を追求しながら、国内外で演奏活動させていただけるのは、やさしい音に囲まれて音楽と共に生活できたからだと感じています。四季折々の表情を見せる趣深い京都の風情が、音を奏でる私の心を育ててくれたのだと感謝しています。けれど残念なことに、時の流れと共に自然環境が悪くなり、生活様式も様変わりして、私を包む暮らしの音も変化してしまいました。
自然の音、心地良くあたたかな、くらしの音を「忘れもの」にしないよう、これからも精進し、真摯(しんし)に耳と心を研ぎ澄ましていきたい…。そして、箏の一音一音に想いを込め慈しみ、私自身の音色を追い求め、大切に楽曲を奏していきたいと感じています。