リレーメッセージアーカイブ
■遅れついでに
京都は一周遅れのトップランナーだという面白い比喩がある。
陸上競技で一周分遅れているランナーがあたかもトップを走っているように見えるアレである。近代化に後れを取ったにも係らず、時代の流れが物の基準値を変えていき、先進的な都市より、古き良き物を守る京都が評価のトップに立っているとの事らしい。
確かに京都は伝統文化やその特殊な生活風習には誇りを持ち、したたかに守り継承してきているが、町の景観となると―如何(いかが)なものか。
西陣で生まれ育った私は今もこの地で古い町家を再生し仕事の拠点をしいているが、周囲の残すべき家屋は相変わらず無情ともいえる早さで取り壊され、マスコミ等の情報をたよりに整然と並んだ古い町家を期待し訪れる観光客をがっかりさせている。
私はつくづく思う。京都は飽食ならぬ飽財の町。“ほんまもん”の“お宝”がぎょうさんすぎて、その価値が見失われている。
私はつくづく思う。一周遅れのランナーなら遅れついでに常に後を振り返り、大切な落し物をしていないか確認しながら走って頂けないかしらと。私はそんな京都の応援がしたい。
■始末
「始末のできんことはするな」と過日夫に怒鳴られ、ムッとなって口答えをしました。
私は自分のことを「始末な方だ」と思っていたからです。
姑(はは)からよく「あの嫁(こ)、ケチですわ。始末な嫁や」と言われていました。
夫の捨てぜりふは、「消せん電気はつけるな」でした。
少し落ち着いてから、納得です。ちょうど今、人形教室展の追い込み中で、テーマが「江戸時代に学ぶエコ生活」(平成23年9月16~19日、京都文化博物館で開催予定)だったからです。
江戸時代の人は、始末の名人でした。抜け毛さえ買い歩き、カツラ屋などに卸す「おちゃない」という職種までありました。
まさに「モノの価値や品位を活(い)かしきろうとする」ココロ、「もったいない」の世界でした。
いつごろから、始末がケチと同義になり「もったいない」と言わなくなったのでしょうか。
改めて私は、文字通りの「始末のよい人になりたい」と願ったのですが、いつまで続くかな。
思えば、このたびの原発問題は始末のまずさの典型ですね。
■正しく叱る
最近の日本のおとなは「正しく叱る」ということをしなくなった。私の子供の頃は、家族以外の見知らぬおとなにたびたび叱られたものだ。
「そんなことしたらあかん」とか、「いつでもお天道さんが見たはるで」と言われて、恥ずかしい思いや情けない思いをして社会のルールを学んだ。当時の人たちは、そうすることがおとなの役割だと知っていた。
だが正しく叱るには良識と信念と勇気が必要だ。当然エネルギーも。今のような時代で疲れ切っているおとなの私たちは、無意識に叱ることから逃げているのかもしれない。
と反省を込めて考えていたのだが、最近立て続けに希望の持てる状況に出会った。京都ではまだ「叱るおとな」は健在だった。最初は地下鉄の中で傘を引っ張り合って遊ぶ小学生。次は狭い歩道を自転車を並べて走る大学生。極め付きは阪急電車の中で完全メークをする若い娘。それぞれに彼らを正しく叱る人がいて、見ていて胸のすく思いがした。男女三人のおとなは皆、厳しい表情がりりしく美しかった。そんな顔も久しく日本のおとなが忘れていたものかもしれない。
■不易流行
「昭和生まれの幕末男」で「京魂洋才」の夫と暮らしているので、書いたりしゃべったりすることを仕事にしてはいても、「京都もの」でモノを言うことは避けてきました。それでも40年暮らすうちに、「京都は奥が深い」「京都は狭い」と言われることも、それなりに納得するようになりました。
若いころは、かつて暮らしたアメリカの合理性が輝いて見えました。例えば、アメリカみたいな機能的な家を造ろう!と意気込んでいたこともありました。ところが「潰(つぶ)したら、それまでよ!」と踏みとどまらせてくれた友がいたおかげで、大正期に建った先代からの家は残りました。家と遺された調度品と着物を受け継ぎ、山水が身近にある京都で暮らせることをしみじみありがたく思う今日この頃です。
それでも時々、不易と流行の間で揺れ動くこともありますが、ウチにはクーラーという文明の利器はなく、打ち水と扇風機と団扇(うちわ)で冷を取って暮らすうちにやがて秋風が立ちます。
鴨川を渡って街中に出かけるときには、不易の着物と流行のカジュアル着を着分ける『京都で、着物暮らし』(拙ブログ名)を楽しんでいます。