日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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リレーメッセージアーカイブ

2011年 7月掲載

服飾評論家・エッセイスト 市田ひろみさん

■おおきに

 「出しゃばったらあかん」「えばったらあかん(いばったらあかん)」

 「恩、忘れたらあかん」「弱いもんいじめたらあかん」

 「聞いてへんラジオ消しときや」「返事は聞こえるようにせなあかん」

 明治の親達は、たえずこんなことを言っていた。子どもは、またおなじことを言うてると、かるく、いなしている。しかし、そんな親のショートフレーズは、子供の血肉の中に、しっかりしのびこんでいるのだ。

 今、思えば親のさりげないメッセージは、エコにもかなっているし、子供の精神的成長にもかなっている。私は、明治の親に育てられたことを感謝している。感謝こそ時代の大きな忘れものだ。

 京都には「おおきに」という美しくやさしい言葉がある。物があふれている時代も実は「おおきに」の心でつながっていることを、子供達におしえてあげたいものだ。

京都ジャーナリズム・歴史文化研究所 丘眞奈美さん

■京都三山の森

 日本は大自然を神と崇(あが)めてきた多神教の国である。しかし合理化が進む昨今、「大自然を畏(おそ)れ敬う気持ち」が忘れ去られようとしているのではなかろうか。自然崇拝の原点が山(森)である。山にある豊かな森は我々に生命を支える「水」や自然の恵みを与え、天体の重要さを教えてきた。山は神仏が宿る聖地であり、みだりに人間が入ってはいけない場所も多々ある。京都は三方を山に囲まれた山紫水明の地である。美しい景観を生む京都三山は信仰の場であり、山麓には多くの寺社が建立されている。

 そして「東山から昇る朝日に手を合わせ、西山に沈む夕日に『日想観』をして西方浄土を想い、北山には水源の神様を祭祀(さいし)する」という様な信仰的コスモロジーの軸を形作っている。目に見えない物や大自然に対する畏怖(いふ)の念は、日本文化の精神的支柱だと思う。苦しみを乗り越えようとする力、環境問題を根底から考える智恵の源はここにある。京都三山の森は忘れ物になろうとしている「日本人の精神世界」を優しく語りかけてくる。

和紙デザイナー 堀木エリ子さん

■伝統と革新のまち京都

 「そんなもの和紙と呼ばんといて」

 私が新しい手法で作品を作り始めた頃に和紙職人さんから投げかけられた言葉です。独自で開発した立体的に和紙を漉(す)く手法や16メートルもの巨大な1枚の和紙を漉く手法について、当初、職人さんからは「昔からの和紙とは違う。それは伝統とは違う」と指摘されました。私はその言葉をきっかけに、伝統とは何かと思い悩みました。

 考えてみれば、1500年前に和紙を漉く手法が産み出されたときには、その技術は革新だったはず。その革新的な技術が長い年月、人の役に立ち、親しまれて、現代では伝統と呼ばれているのです。

 そうであるならば、伝統と革新は対極にあるものではなく、革新が長年育まれた結果が伝統であるはず。今、新しい技術で作ったものが和紙と呼ばれるかどうかが問題なのではなく、新しく開発した技術を百年後も人の役に立つように進化させていくことが大切なのだと考えました。

 伝統と革新が混在する京都で、ものづくりに関わり、新たな挑戦を続ける姿勢を大切にして、伝統を未来に拡げていきたいと思っています。

日本舞踊家 西川千麗さん

■風貌(ふうぼう)

 先頃、ポーランド(クラクフ)より写真集「OUR MAN IN JAPAN」が届いた。一九三四年、写真家アレクサンドロヴィッチの撮影した日本、その殆(ほとん)どは、京都の風景と市井の人々のモノクロ写真である。当時の清水寺や南座・市中の商店や道端に、気骨を滲(にじ)ませる年配者、純な眼差(まなざ)しの青年、素朴な子供。異国の人は、いつも日本が失ってはならないものを示唆してくれる。

 一八九〇年、新聞記者として来日し、後に日本に帰化したラフカディオ・ハーン。一九二一年、駐日大使として来日の詩人・劇作家ポール・クローデル。私は彼等の日本文化への思いがけぬ切り口と、それを愛(いと)しむ思いに触発され、以前、舞踊作品を創(つく)った。

 日々の暮らし、生き様はその貌(かたち)を変え、目に見えぬ面差(おもざ)しの風(ふう)も変えて了(しま)う。

 日本人の風貌の変容を眼前に、ふと、私の"いかり肩"が、きものだけの年月にいつしか撫(なで)肩になっていたことを思い、日本舞踊の芸風の変容、その行方は…と思いを馳(は)せた。

京南倉庫株式会社 代表取締役 上村多恵子さん

■京都の美しい風景について

 歴史に裏打ちされた京都の美しい風景を、大切に未来に残したい。

 風景は、見る人の心がゆったりしている時、急ぐ時、荒立たしい時、悲しい時では変化し移ろう。又、景色も陽光の中に影がさし水に染み色をかえ、雪をかぶり苔(こけ)を帯び、風にゆられ四季の表情が変わる。そして人が心にそれらを留め、感じたいと思わなければ残らないものなのだ。求めていけば急に風景が饒舌(じょうぜつ)に話しかけて景色が動き、風景との一体感がもたらされる瞬間がある。

 京都に住む私には、それは例えば近くの散歩道としての岡崎疏水べり、賀茂川沿い、哲学の道であり、愛宕街道である。又町家の並ぶ露地でもある。名園や庭園、神社仏閣だけでなく何気ない日々の生活の中の京都の風景に感謝する。

 ただこの感慨がうすれるのは電線・電柱の存在。ゴミの山。色の合わないカラー舗装やガードレール。歩道橋。派手な広告看板。放置バイクや自転車等は残念で痛ましい。

 人はなぜ美しい風景に魅せられるのか。それは自分自身の心の投影。だから故に自分も人も愛し、京都の風景をやさしく愛してゆきたい。