日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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リレーメッセージアーカイブ

2011年 11月掲載

ヴァイオリニスト・長岡京室内アンサンブル音楽監督・森 悠子さん

■日本人の心の音

 35年のヨーロッパ生活、「日本人です」というと、京都は世界で一番美しい町と言う。

 私もそのように考えたいと思っていた。クローデルが作った関西日仏学館の庭には噴水があり鯉(こい)も泳いでいた。それも無くなり、町屋敷を見ていたのにいつの間にかブルドーザーであっという間に壊す。いつしかそこに何があったのかさえ忘れる。そして、普通の美しくないコンクリートのビルディングや、不揃(ふぞろ)いのアメリカ風のつまらない家々がこの京都に建つ事すら私の想定外だった。

 先日「都々逸(どどいつ)」を聞いた。言葉のおもしろさもあるけれど、弾いておられる三味線の音、まるで魅入られるような繊細な音と絶妙な間(ま)…。 今はみんな絶叫している。音楽も大きな音を良しとしている。心に触れる、繊細でいながら心に深くしみいる音楽を見つけた。まだ残っている…、とホッとした。ドレミと規則正しいリズムを学び過ぎたかも知れない。その外(そと)には無限の広場があることをクラシック音楽の演奏家達も感じてほしい。

固定観念に縛られている日本人は何処(どこ)か寂しい。

京都府立大 キャンパスライフアドバイザー・藤吉 紀子さん

■大切にしたい

 大きさも色づきもバラバラ、中には虫に刺されて斑点のついているのも混じって、段ボール一杯の富有柿が届いた。若狭の実家の妹からだ。祖父が屋敷跡に植えた古木の柿。「今年はお猿さんにも採られずに鈴なりだから、送ります」との添え書き。青い空と朱色に色づいた柿の記憶。幼い頃この屋敷跡の柿の木で妹とよく遊んだ。

 深夜の雪道を父が持ち帰った「コッペガニ」。濡(ぬ)れた新聞紙からはみ出た蟹を取り出して、寒さに震えながらも母と一緒においしく食べた。

 食べ物の思い出は五感と一緒に情景をともなって鮮やかに浮かぶ。そこに時を超えて愛した家族がいたことを実感する。

 食卓を一緒に囲むのが家族だよと遠い日、祖母が話した。幼い頃、若狭で囲んだ食卓のご馳走は、焼き鯖のちらしずし。今、京都の食卓にはふるさとの香りがする鯖ずしが並ぶ。

 おいしいものを一緒に食べる時の笑顔、食材や作り方で弾む会話。湯気の立ち上る食卓が醸し出す穏やかで、心地いい時間。

 家族で食卓を囲んでいますか。

奈良屋記念杉本家保存会 常務理事兼事務局長・杉本 節子さん

■わたしの京都観

 高度成長期に育った私は、真の都であった京都を知らずして生きることに、少し物足りなさを感じている。

 江戸時代、三重県の貧しい農村に生まれ、京の呉服商で奉公した後、独立して家業を起こした初代以降、この地で代々を重ねてきての今日であるが、明治の終わりの人間だった祖父母はもとより、彼らに育てられた両親からも、天皇が東へ遷(うつ)られたことに対する個人的な感慨がもらされるということはほとんどなかったように思う。

 京都が千有余年もの間、他所の人々から羨望(せんぼう)され続けてきた本当の理由は、山紫水明の地であったり、美味豊富な土地柄であったことだけではなかったことを、京都に生まれ育った者にとってさえ、思いをおよばすことが昔ばなしになってしまった現在の京都を私はさみしく思う。

 東日本大震災を経て、首都機能の分散、移転がクローズアップされる今日、かつての王城の地に返り咲くことはかなわずとも、何かしら新しい絶対的な象徴を再び得た京都に生きてみたいと、漠然とした妄想をしてみたりしている。

ハープ奏者・内田 奈織さん

■おさきーです

 「おさきーです」。その一言でふっとあたたかな気持ちになれる、私が大好きな京都弁ですが、実際に耳にすることや、私自身も口にすることが少なくなったと感じる今日この頃です。

 3月11日の東日本大震災の日、演奏旅行で山形市にいました。停電や断水など混乱の中、現地に二日間待機しましたが、関西での公演があり至急戻らないといけなかった私は、とにかく動き始めた高速バスに乗り、新潟経由で京都へ向かおうと決めました。

 ダウンコートを着込み夜明け前からロータリーの大行列に並び、整理券の配布をただひたすら待ちました。行列の見知らぬ方々と、白い息を吐きながら、声を掛け合いながら過ごしました。そしてやっとのことでバスに乗車できてひと安心した時、近くの席の年配の男性がドーナツを差し出して下さいました。「どうぞどうぞ」「あなたからどうぞ」「あなたこそどうぞ」。周囲の数人で順に分け合って口にしました。

 やり取りは京都弁ではなかったけれど、極限の状況にありながらも人を思いやる「おさきーです」の気持ちがたくさん詰まった、ひとかけらのドーナツの味でした。