共に変える、共に創る、未来へ
Let’s change our behavior. And create our future.
- 2023元日 文化人メッセージ -
父とともに
思い浮かぶ正月の風景
八木 明
陶芸家
清水寺界隈のにぎわいが戻り、自宅の前では人や車の流れが途絶えません。地域としては良いのでしょうが、五条坂に暮らす身にとっては、不自由さが帰ってきました。ここに暮らして70年弱、幼い頃から観光地のにぎわいはありましたが、桜や紅葉の季節と修学旅行の集中時期以外は、意外と静かな時間を享受していました。
暮れも押し迫ると、父は好きな音楽を聴きながら数種の正月飾り作り。長男だからでしょうか、幼い時からその手伝いを言い付けられました。今は素材として出来上がる前のしめ縄を求めることが難しくなりましたが、わが家の伝統は、まずしめの子に裏白、伊勢流の紙垂、楪、葉付きの橙を合わせて結わう。形を整えるのにずいぶん苦労しましたが、回を重ねるごとに自然と勘所をつかめるようになりました。
半世紀ほど前、お正月はお店が皆お休みだったので、暮れは母がおせちの仕込みでてんてこ舞い。一通りお煮しめが出来上がると、祖父の作った羊歯絵付三段重に詰めていました。火袋の吹き抜けがある走りから漂ういい香りを嗅ぎながら、父と子は手を動かします。夜中近くまでラジオや、後にテレビの歌声を聴き、除夜の鐘を聞いて就寝。外の道では祇園さんのおけら火をわら縄に移し、振り回しながら帰途に就く人たちの足音が耳に残り、なかなか寝付けなかった思い出があります。
幼い頃の元旦の憂鬱に、白みそ雑煮のお頭芋があります。赤いお椀の中、一応は煮てあるのですがどうしても芯が残り、大きさも相まって、小さな頃は四苦八苦しました。父は木樽に入ったこのわたを少し取って、首に籐を巻いたガラスの徳利を小さな電熱器に乗せ、一人熱かんでいい気分。母は娘時代に仕舞を習っていたので、テレビが来てからはお能を楽しんでいました。三が日、父が所属していた走泥社の創立メンバーや同人の方々がごあいさつにみえられ、良いお顔色をされて次の場へ。その走泥社も父の死後20年弱、1998年に区切りを打たれました。
昨年、京都国立近代美術館で父の生涯撮り続けていた写真を選んだ「キュレトリアル・スタディズ15:八木一夫の写真」展が開催され、合わせて写真集も出版されました。来場された方々から、父の目線での独特な画面の切り取りを再認識されたと同時に、懐かしかったとのお言葉を頂きました。
くしくも、今夏、京都国立近代美術館において走泥社展が開催されます。私の人生の始まりから存在していた会なので、昭和30年代からの懐かしい方々の思い出が再び戻ってくるのを、ひそかに楽しみにしています。
◉やぎ・あきら
1955年京都市五条坂生まれ。祖父は陶芸家・八木一艸。前衛陶芸家集団「走泥社」を率いた父・八木一夫に師事し、79年から全国で個展を中心に発表を続ける。京都国立近代美術館をはじめ、大英博物館、ボストン美術館、メトロポリタン美術館など国内外の美術館で作品が所蔵される。2006年紺綬褒章、08年京都府文化賞功労賞、09年京都美術文化賞など受賞多数。