賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2023元日 文化人メッセージ -

光平有希

日々の「音」に耳と心を寄せて

光平有希
音楽史研究者

除夜の鐘、下駄の響き、行き交う人々の声―「ゆく年くる年」もさまざまな「音」が街中に溶け込んでいる。
古くから私たちは「音」とじっくり、ゆっくり愛着を持って向き合ってきた。
西洋では「音」を「音楽」を構成する一要素として捉えるのに対し、日本では「音」そのものを単体で愛で、癒しをも求めた。
それは、歌川広重の浮世絵にも描かれた「虫聞き」で心を和ませたり、「水琴窟」や雨音で心を落ち着かせるなど。風鈴で涼を感じた経験がおありの方も多いのではないだろうか。
今日、私たちは西洋で言うところのMusic(英)・Musik(独)・Musique(仏)などに対応するものとして、「音楽」という言葉を用いることが多い。リズムやメロディー、ハーモニーなどさまざまな音楽的形態を含む名称として、この言葉が慣例的に使われるようになったのは明治期以降、意外と最近のことだという。
それ以前はどうだったのだろう。日本における「音楽」の用語や概念の起源は古代中国に由来し、長きにわたって「楽」という用語が主流だった。平安期以降、固有の文化土壌の下で発展するに伴い、「楽」のほか「もののね」「うたまい」「あそび」など種々の呼び名で親しまれていった。
「楽」は、人身や動物などの声が変化したもの、形式を持った「音」が組み合わされて奏されると考えられた。
「もののね」は楽器が醸し出す音色や感性的な肌合い、さらに演奏時にまとう自然音や、聴覚以外の感覚によって捉えられた状況や雰囲気をも含めたものと解釈されてきた。日本では「音」自体を芸術と捉え、そこからさまざまな文化が発展していったのだ。
外からさまざまな要素を受容しつつ、独自の様相を培ってきた日本の伝統的な音楽、芸能。これらは伝承の対象であり、新しい文化創造の源泉でもある。
そして豊かな泉の基層には、内なる響き―「音」―が過去、現在、未来をつなぎ、常に日々の中で私たちに寄り添っている。
慌ただしい日々、喧騒に紛れ込みがちな「音」。しかしだからこそ、その存在に耳、そして心を傾けるとき、先人たちの歩みや営みから、これからの豊かな「生」の糸口が見つかるかもしれない。

◉みつひら・ゆうき
1982年広島県生まれ。京都市立芸術大日本伝統音楽研究センター特別研究員。総合研究大学院大博士後期課程修了。専門は音楽療法史、東西文化交流史。著書に「『いやし』としての音楽―江戸期・明治期の日本音楽療法思想史」(臨川書店)、「ポップなジャポニカ、五線譜に舞う―19~20世紀初頭の西洋音楽で描かれた日本」(臨川書店)など。