賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2023元日 文化人メッセージ -

溝縁ひろし

花街―暮らしの中で守り
伝えられている日本人の心の粋

溝縁ひろし
写真家

明けましておめでとうございます。
香川県で生まれ、千葉で学生時代を過ごし、就職を機に京都で暮らすようになりました。4年半ほどで脱サラして写真の道を歩き始めましたが、この地で過ごした五十年余りの年月は、私が花街を写した半世紀と重なります。
その節目ともなる本年、新年早々に美術館「えき」KYOTOで「『昭和の祇園』~花街とともに~」という写真展を開催できることは大きな喜びで、本当に感謝というほかありません。
学生時代から趣味といえば写真。京都に赴任するとすぐに名所など写して回りましたが、当時祇園は思いもよらない遠い存在でした。その距離を一気に縮めてくれたのが通りすがりに見た舞妓さんです。しかし、わが心の距離がいくら縮んでも、花街は「一見さんお断り」の未知の世界でした。
振り返れば、長い歴史の中で京都が育んできたものの一つ、花街文化の入り口に立った瞬間だったのではないでしょうか。予備知識は何もなく、知り合ったお茶屋のおかあさんや芸舞妓さんから聞くしきたりや風習にひかれました。
祇園には八坂女紅場学園という学校があり、芸舞妓として在籍している間、お師匠さんから舞や鳴り物を習う。館では、一緒に暮らす姉さん舞妓が妹舞妓の面倒を見る。また春夏秋冬、しきたりや行事が生活の中で繰り返される。芸舞妓は技芸を磨き、客はその「おもてなし」でお座敷のひと時を楽しむ。新鮮と感じたのは、それこそ日本人の心の粋が暮らしの中で守り伝えられていると感じたからだと思います。
SNS(会員制交流サイト)などの普及で、着物や芸事、歌舞伎などが好きな少女が、舞妓になろうと置屋を訪れる話をよく耳にします。修行中を「仕込みさん」といい、1年ほど置屋のおかあさんやお姉さん舞妓と共同生活をしながら花街のしきたりを学ぶのです。厳しい毎日ですが、文化を守る女性となる気構えや誇りを自然と身に付けていく過程でしょう。
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、花街でもにぎわいが途絶える時期がありました。先日、久しぶりに花見小路へ撮影に行った時、仕込みさんを見かけました。お使いでしょうか、生真面目な顔で通りを小走りしていきます。日本の財産でもある花街の伝統文化が守られることを願い、後ろ姿に声援を送りました。

◉みぞぶち・ひろし
1949年香川県生まれ。千葉工業大卒。京都の会社に就職後、写真事務所「PHOTO―HOUSEぶち」を立ち上げた。京都五花街、京の四季や行事、四国八十八カ所・西国三十三札所巡礼などをテーマに撮り続けている。「昭和の祇園」(光村推古書院)、「日本百観音霊場」(淡交社)、「花街と芸妓・舞妓の世界」(誠文堂新光社)など出版物多数。

「舞妓と白川女」(1981年)©Hiroshi Mizobuchi