賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

共に変える、共に創る、未来へ

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- 2023元日 文化人メッセージ -

フェリッペ・モッタ

探し求めるものは意外と近くに
日本とブラジルをつなぐ縁

フェリッペ・モッタ
歴史学者

今年は来日して15年になるのでいろいろと縁について考えさせられる。
日本語との出会いは1990年、幼稚園の送迎バスの中で友達に「イチ、ニ、サン…」を教えてもらった時である。仕事柄、記憶の再編を強く意識するので、時々この出来事を自分が創ってはいないかと疑ってしまうが、30年以上が経った今でもその光景をはっきりと覚えている。不思議と、それはあくまで自己の母語と異質な言葉との接触の記憶であり、そこには「日本」という異国(国家)の存在は感じられなかった。友達は日系ブラジル人だったからであろう。
日本を国家として初めて認識した時のことは覚えていないが、文学少年だった私にとって京都の存在は壮大なものであった。オーソドックスな出会いだろうが、繰り返し読んだ三島由紀夫の「金閣寺」がその発端である。三島の作品は若き自分を魅了した。主人公が父親に聞かされる金閣の美に憧憬を抱くように、私は三島にいざなわれ京都を空想した。初来日がかなったとき、真っ先に金閣寺(鹿苑寺)を訪れた。観光客であふれる境内はやや自分が思い描いていた金閣と異なっており、複雑な気持ちにはなったが、それ以来、四季折々の鹿苑寺を数十回は訪れている。やはり美しい。京都を外国人に案内する時は必ず連れて行く名所である。
私が案内した人の中に母親がいる。コロナ禍以前のことだが、母親は孫たちに会うために来日してくれた。「どこに行ってみたい?」と聞いたら、「大きな如来像があるところと黄金の寺院!」と言うのである。東大寺の大仏と鹿苑寺の舎利殿を見た母親は大満足して帰国してくれた。その数週間後、「ブラジルの金閣寺に来ているよ」という妙な写真付きのメールをもらってはっとした。背景に写っているのは確かに金閣に見えるが、日本ではない。調べてみると、サンパウロ州に金閣寺を模した仏閣があるのが分かってあぜんとした。知らなかった。
私は日系ブラジル移民のことを研究しているが、やはり思いがけないところから自分の専門領域のことに気づかされることはまだある。それも縁というのだろうか。遠い所まで行って探し求めるものが意外と近くにあるかもしれない。日本語は幼稚園の送迎バスの中にあった。生まれ育ったサンパウロ州に「ブラジル金閣寺」があった。昨年はブラジル独立200周年で、今年はブラジル日本移民115周年。もしかしたらたったの85年間しか違わないこの数字にも何か示唆が隠されているのかもしれない。

◉フェリッペ・モッタ
1985年ブラジル生まれ。サンパウロ大歴史学部卒業。大阪大大学院文学研究科博士後期課程修了。2018年、博士(文学)。20年から京都外国語大外国語学部ブラジルポルトガル語学科・講師。単著に「移民が移民を考える―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述」(大阪大学出版会)がある。