賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

共に変える、共に創る、未来へ

Let’s change our behavior. And create our future.

- 2023元日 文化人メッセージ -

橘 重十九

時を超えた精神の結び付き
菅公を信奉した人々

橘 重十九
北野天満宮 宮司

菅原道真公(菅公)を祀る神社に奉職して49年目の新春を迎えました。菅公のご事績やお詠みになられた詩歌を振り返る時、今更ながらその偉大さに心打たれるばかりです。
楼門に今年の干支である卯の大絵馬を掲げ、初詣の参拝者をお迎えしておりますが、その上に「文道大祖 風月本主」の扁額があります。平安時代の学者大江匡衡が菅公を評した言葉であり、以来菅公をたたえる代名詞ともなっています。偉大な学者・政治家であり、類まれなる詩人・歌人でもあった菅公。その遺された銘歌は現在も色あせず、その美的感受性は千百年の時を超えた今もなお、胸に迫るものがあります。
「至誠の神」でもある菅公を信奉した人は歴史上数多く存在します。来年から流通する新1万円札の“顔”、実業家・渋沢栄一翁もその一人。約100年前の式年大祭「菅公千二十五年半萬燈祭」では崇敬会「北野會」の顧問として尽力され、その際に詠まれた直筆の漢詩が今も遺され、菅公の銘歌「東風吹かば」の「東風」を引くなど敬仰の念がうかがえます。自著「青淵百話」の中でも菅公の御歌「心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神やまもらん」を取り上げ、菅公精神を自身の指針として生涯持続させていこうとの決意を述べています。
渋沢翁は江戸時代の盲目の国学者塙保己一翁の偉業顕彰にも尽力しています。保己一翁は21歳の時、当宮へ初めて参拝し「私の守護神こそ菅公である」と心に決め、以後江戸から度々上洛して参拝するなど熱烈な信奉者となります。34歳で膨大な叢書「群書類従」の編纂を神前に誓い、41年の歳月をかけて完成させます。その情熱の源こそ、自身が崇敬してやまない菅公編纂の勅撰史書「類聚国史」にありました。
渋沢翁は塙保己一翁の偉業を顕彰する「温故学会」の設立に尽くし、関東大震災で「群書類従」の版木倉庫が倒壊した際には募金活動にも奔走しています。盲目の国学者と近代日本経済の父。生きた時代は異なる二人ですが、菅公信奉という同じ土壌の上で、その精神は結び付いていたに違いありません。
コロナ禍はいまだ収束には至りませんが、一歩一歩明るい方向へと向かっています。「菅公千百二十五年半萬燈祭」まであと4年。天神信仰高揚に務められた先人らの思いを引き継ぎ、この大祭を盛儀のうちに成し遂げなければならないという強い気持ちとともに、咲き始めた境内の早咲きの梅を愛でながら今年も平穏な1年であることを祈るばかりです。

◉たちばな・しげとく
1948年石川県生まれ。延喜式内社宮司社家25代に生まれる。会社員を経て74年より北野天満宮に奉職。禰宜、権宮司を経て、2006年から現職。その間、北野天満宮ボーイスカウトの創設に尽力。京都府神社スカウト協議会会長として青少年育成活動に努めた。全国天満宮梅風会会長。京都府神社庁理事。

「文道大祖 風月本主」の額と干支(卯)大絵馬