賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

共に変える、共に創る、未来へ

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- 2023元日 文化人メッセージ -

竹本 千歳太夫

伝承の意義
待ち、導き、念じる

竹本 千歳太夫
人形浄瑠璃文楽 太夫

「日本人の忘れもの」というお題を頂きましたが、最近とみに物忘れがひどい。(笑)
毎日の舞台でも、ど忘れしてしまい、「あれ、次の節何だったかな」と思うことが増えました。忘れた節を思い出した途端に、「あぁ、稽古の時ここで怒られたな、自分がいけなかったのに、嫌だったな、苦しかったな、口惜しかったな、恨めしいな」と演奏中に思いが連なり、間違えてしまったりします。
あることを思い出せば、良い思い出と共に、残念ながら悪い思い出も、思い出してしまうことがよくあります。
変な自尊心、つまらない自我、これが正しいことを正しく思い出せない原因の一つに違いないと私は思います。
文楽の世界で、先人方のご苦労がしのばれる芸談の中にも、「ああ、これ一つ分からんがためにどれだけの修業が必要だったか」と、はるかな思いに運ばれる時があります。それなのに私は忘れてしまうのです。大事な口伝を後に続く人たちに伝えるのを…。
分かったことを分からない人に伝えるのは難しいのではなく、不可能なのです。忘れたのなら思い出せますが、そもそもそのことについて、相手に無いことには伝える方法がありません。「分かる」に命令形はありません。自得するより他ないのです。
稽古で相手に分かることしか言えず、言葉にすることが難しい事柄について無理に言葉にして言ううちに、相手をとがめるようにねじ伏せねばならぬようになってきます。
芸についての悩みを抱えてきた人々に伝えられてきた事を、後輩に言うべき時に至るまで待ち、時至る折が早く訪れるように導き、彼らが思いに近づいてくるように念じ舞台を務める。伝承の意義とは、そういうことなのでしょう。
新年に、また新たに覚悟したつもりですが、来年にはまた忘れて、残念ながら、同じような新年を迎えないように、忘れないようにいたします。また、忘れた事を、せいぜい一生懸命、稽古、舞台で思い出します。
今年はお正月公演で、30年ぶりに対面する親子の物語を演奏させていただきます。師匠越路太夫の教えを忘れないように、改めて思い出しながら勤めたいと思います。
本年も人形浄瑠璃文楽を、よろしくお願いいたします。

◉たけもと・ちとせだゆう
1959年東京都生まれ。昭和を代表する名人だった師匠の人間国宝・4代目竹本越路太夫に78年に入門し、79年に初舞台。越路太夫死去後は、豊竹嶋太夫の門下となる。2022年4月、太夫の最高位「切語(きりがた)り」に昇格。22年芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。京都市中京区在住。