賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2023元日 文化人メッセージ -

戦 暁梅

今、振り返る富岡鉄斎

戦 暁梅
美術史研究者

1986年の秋、富岡鉄斎生誕150周年を記念し、「富岡鉄斎作品展」が上海と北京で開かれた。これは日中文化交流協会成立30周年の記念として国際交流のための行事でもあったが、鉄斎の絵は中国で熱い反響を呼び、展覧会は大成功を収めた。
「富岡鉄斎の作品を前にして、それに特別な親近感を抱かない中国の観衆はいないであろう。それは単に彼が蘇東坡、陶淵明、関羽あるいは「虎渓三笑」「懐素書蕉」「陸羽煮茶」などのような中国古代の歴史物語、神話伝説、中国の山河を多く描いているためばかりでなく、異国の一画家である彼の考えや感情、そして生活に対する体験と理解がわれわれとあまりにも似ているためでもあろう…」―展覧会の前書きにある当時の中国画研究院院長で画家の李可染のこの言葉は多くの中国観衆の気持ちを代弁するものだった。各美術誌、文芸関係紙に鉄斎を紹介する文章が相次ぎ掲載され、画家、美術史家はその作品に賛辞を惜しまなかった。中でも最も多く見られたのは、あの自由奔放な画面において、中国の文人画が重んじる描き方の約束事がしっかり守られ、画題となる古典や漢詩文が深く理解されていたことに「本当の文人画家」と驚喜する声だった。
中国に発祥し、日本でも独自な絵画分野になった「文人画」。本来は「文人が描く絵」のことで、描き手に深い教養が求められる。晩年の鉄斎は息子謙蔵を介し、内藤湖南、狩野直喜など、京大中国学の学者たちや在野の文人長尾雨山らと交誼を深め、創作のピークを迎えた。「学者は宜しく藝術家に助言を與ふべきであり、藝術家は大いに其れに耳を傾くべきである」とかつて語ったように、鉄斎自身も湖南や雨山に漢詩の添削を求め、絵を描く前に必ず書物を渉猟し、文人・学者の姿勢を貫いた。一度も中国に行ったことがなかったが、その深い涵養をもって描いた中国人の心象風景の数々が時空を超えて現代中国人の心を虜にし、日中文化交流の一翼を見事に担った。
鉄斎が「最後の文人」として多くの足跡を残したここ京都の地に今年文化庁が移転し、またウィズコロナの状況下でもあり、文化芸術を巡る国際交流の在り方も大いに変わることだろう。しかし、心が通い合う国際交流の根底を成すのは、現代中国人を魅了した1世紀前の鉄斎の画業に示された、自他の文化について謙虚にして深く理解する姿勢だと言えよう。時代が大きく変わる時にこそ、この原点に今一度立ち返り、変わってはならないものを再確認することが大切だと思う。

◉せん・ぎょうばい
中国吉林省長春市生まれ。国際日本文化研究センター教授。学術博士。著書に「鉄斎の陽明学」(勉誠出版)、共編著に「近代中国美術の胎動」(瀧本弘之との共編、勉誠出版)、「近代中国美術の辺界―越境する作品、交錯する藝術家」(瀧本弘之との共編、勉誠出版)など。

李可染による鉄斎中国展の題字