賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2023元日 文化人メッセージ -

家塚智子

時代を超えて
読み継がれる「源氏物語」

家塚智子
宇治市源氏物語ミュージアム館長

毎年、正月2日に、「源氏物語」「初音」の巻を読んで新年を寿ぐ家があった。その家の主は三条西実隆(1455~1537年)。室町時代の公家で、「源氏物語」を書写したり、注釈書を執筆したりしたことでもよく知られている。彼の日記「実隆公記」は、当該期の社会を知る上で貴重であり、「源氏物語」に関する記述も頻出する。当時の人々―天皇・公家はもちろんのこと、戦国武将たちがどのように「源氏物語」と向き合い、親しんでいたのかよく分かる。
その中で印象的なのが、正月2日に、「初音」の巻を読んでいたことである。「初音」の巻では、主人公・光源氏は36歳。六条院で迎えるはじめての新春の様子が描かれる。「年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけさ」と、元日の雲一つない晴れ渡る空の景色から始まる冒頭は、すがすがしく、めでたい。この年は元日と子の日が重なり、幸先が良い。六条院の春の町では、光源氏と紫の上が新春を寿いでいる。紫の上の元で養育されている明石の姫君の所では、女童たちが庭の築山の小松を引いている。正月の最初の子の日、人々は野に出て小松を根から引き抜いて健康と長寿を祈る行事があった。松は常緑であり長生の木とされ、それにあやかろうとしたのである。今でも京都では、正月、門松として根の付いた小松を飾る。
その明石の姫君の元へ生母・明石の君より、「年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ」という和歌と贈り物が届いた。「松」と「待つ」、「古」と「経る」、「初音」と「初子」が掛詞で、子の小松、新春になく鶯の初音を引用しながら、わが子の声を聴きたいという母の願いを詠んだ和歌である。正月、三条西家でどのような会話がなされていたかは、日記には記されていないが、あれこれと話しに花を咲かせ、時には実隆の講釈がなされていたことであろう。
原勝郎(京都帝国大教授)は、応仁・文明の乱以後、古典の復興にいそしんだ三条西実隆の事績を「日本文化のルネッサンス」であり、その中心に「源氏物語」があったと評価している。大学生の頃、講義の中でこの言葉を知ったときのことを鮮明に覚えている。平安時代の「源氏物語」ではない「源氏物語」を意識した瞬間でもあった。
令和の時代、ひいてはポストコロナの時代に向けて、どのような「源氏物語」、「源氏物語」の文化が登場するのか。私自身もじっくりと学び、感性を研ぎ澄ませていきたい。そして、次世代へとつなげられるよう努めていきたいと思っている。

◉いえつか・ともこ
1970年千葉県生まれ。奈良女子大大学院人間文化研究科博士後期課程修了。2021年4月から現職。宇治市歴史資料館館長。専門は日本中世史。日本文化史。著書に「初めての源氏物語―宇治へようこそ―」(一般財団法人宇治市文化財愛護協会)、共著に「別冊太陽有職故実の世界」(平凡社)など。

六条院模型(宇治市源氏物語ミュージアム蔵)