次世代にメッセージを発信する京都新聞「日本人の忘れもの知恵会議」。5月のフォーラムを踏まえ、社会課題の実践的解決を考える対談シリーズ2回目は、ゲストにデイサービスと高齢者施設を併設し、一生を通じた豊かな生き方を目指すマーレー寛子さんを迎えた。ホストは前回に続き、経済学の立場から社会問題の解決に取り組む大阪大・堂目卓生教授。コーディネーターは、京都新聞総合研究所長の内田孝が務めた。
特集・未来へ受け継ぐ
Future series
未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【第2回】
(2019年8月/近江八幡市) ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■対談
レクリエーションが心を健康に
マーレー寛子氏(子羊会 八王子保育園園長、高齢者部統括顧問)
社会的弱者と共に楽しむ姿勢を
堂目卓生氏(大阪大社会ソリューションイニシアティブ長)
堂目◉人工知能(AI)等によるイノベーションが求められる中、ハンディキャップを持つ人たちをはじめ、全ての人が共感し合う社会の構築が必要と考えます。なぜ社会福祉の道に入られたのでしょうか。
マーレー◉父は、京都の教会の牧師でした。定年後に保育園を運営したかったようですが、若くして急逝しました。実家近くで母が実現させ、現在に至っています。私自身は高校卒業後にYMCAでのボランティアのレクリエーション活動を始め、障害児と触れ合う仕事ができれば、と思い始めました。米国の大学に留学し、「セラピューティックレクリエーション」でレクリエーションが心を健康にすることと、楽しむことの重要性を学びました。
堂目◉デイサービス施設と保育園を併設されているのがユニークですが、高齢者と子どもの交流に力を入れているのでしょうか。
マーレー◉子どもたちは高齢者と接して車いすの人や手が不自由な人、言葉が出ない人が当たり前に地域にいることを自然に学びます。お年寄りと接すると、理屈抜きに面白いことが起きます。促しても立ち上がろうとしなかったお年寄りが子どもに書道を教え始めたり、あやすなど受け身のお年寄りが「大人の顔」になるんです。子どもは逆に高齢者のお手伝いをしようとします。それぞれ自らのささやかな「役割」を見いだし、ごく自然に能動的になり楽しんでいる姿に感動します。
堂目◉自分ができる小さな活動に喜びや楽しみを見つけるのですね。「レクリエーション」は障害者だけでなく、高齢者にも有効なのでしょうか。
マーレー◉高齢になると病気や体の衰えで、障害者との共通点が増えます。開設当時はデイサービスでのレクリエーション自体が未開発。外で一緒に買い物や食事をするなど活動の場を広げることを心掛けました。近年は、自己決定ができる機会としての選択制のレクリエーションに取り組んできました。多くの方の晩年の生き方から思うのは、人生で重要なのは「楽しむ力」。その源泉としての「レクリエーション」です。青春を再び迎えたように素直に楽しめる方がいる一方、行動に移せない人も。子どものころからさまざまなことに喜び、楽しめる心を育む環境が求められますね。
堂目◉個々の社会課題の深刻さに、眉間に皺(しわ)を寄せてしまいがちなので、楽しみ、喜ぶことが大切との言葉に目からうろこが落ちる思いです。本来、レクリエーションはどんな意味なのでしょうか。
マーレー◉米国ではレクリエーションとレジャーは一つの連なった言葉としてよく使われます。日本ではお金のかかる遊びとのイメージですが、ラテン語から派生したレジャーはスクール(school)の語源であるギリシャ語のスコーレ(skhole)に通じ、本来は教育と哲学を織り交ぜた精神啓蒙(けいもう)をする時間を意味します。
堂目◉経済学では、労働していない状態がレジャーとして定義され、あまりポジティブには捉えられていません。日本社会でも働いている時間をメインに考える傾向があると思います。
マーレー◉語源的には、レジャーのない状態が労働。現代日本は効率重視で、遊びや余暇の時間に罪悪感を持ちます。しかし無駄とされる遊び、余暇が生活からなくなると生きていけません。一見無駄とされるものに価値を見いだすことが大切ではないでしょうか。日本人は、遊びが上手な文化を培ってきました。日本画は余白を生かすことに価値を見いだしてきました。不必要に見える無用の用という心の遊びの楽しみを知っているのは、遊びに対する精神的態度の特色といえます。
堂目◉働き方改革が課題ですが、働くことを苦役や拘束と捉えず精神啓発としての「遊び」の要素を入れることも考えるべきかもしれませんね。
マーレー◉介護福祉の中のレクリエーションでは活動を強制しないとされていますが、背中を押すことは時に必要では。勧められてやってみたら面白かった、ということがあります。その際、ハンガリー出身の心理学者ミハイ・チクセントミハイ提唱のフロー理論が示す「人の能力と課題が釣り合う状態」になるよう配慮が必要で、それが「楽しい」と感じるフロー状態を作り出すのです。同じ仕事でも人によって楽しめるかどうか異なり、内容や時間はあまり関係ありません。それぞれがささいなことでも価値を見いだせるようにし、目標設定とフィードバックが得られやすい環境を考えることが必要です。
堂目◉私が今、格闘しているのは「現在の経済システムを維持しながら、人の心が少しでも解放される考え方をどう組み込み、制度化するか」です。生産活動を担う立場の人が、障害者や高齢者、子どもといった「社会的弱者」と呼ばれる人々に向き合い、心を開き、ともに楽しむ姿勢を持つことが大切と思います。
マーレー◉介護保険制度の中では往々にして身体能力の改善などが重視されますが、これは死を迎える時には必ず落ちていきます。だからこそ心の健康に価値を置いてみたい。死ぬ瞬間まで楽しめるかどうか。体が動かなくなっても、認知症になっても自分の心は楽しめる自分でいる。主観的に「楽しむことができる」時、人の心は健康といえます。それが人の幸せを左右する鍵だと信じています。そのためにも「社会的弱者」とされる人々自身が個々の状況で喜びや楽しさを見いだせるための援助が必要になると思います。それは弱者だけでなく、全ての人に大切ではないでしょうか。
◎マーレー寛子(マーレー・ひろこ)
1963年生まれ。堀川高卒業後に渡米。ノースカロライナ大などで「セラピューティックレクリエーション理論」を研究。近江八幡市の八王子保育園園長。福祉社会学博士(京都府立大)。
◎堂目卓生(どうめ・たくお)
1959年生まれ。立命館大経済学部助教授などを経て大阪大総長特命補佐、社会ソリューションイニシアティブ長。専門は経済学史、経済思想。「アダム・スミス」(中公新書)でサントリー学芸賞。京都市在住。