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特集・未来へ受け継ぐ

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未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【第1回】

次世代にメッセージを発信する京都新聞「日本人の忘れもの知恵会議」は5月、創刊140年と京都経済センター開業記念フォーラムを開いた。この議論を踏まえて毎月1回、対談で議論を深めたい。ホストは、フォーラムに登壇した大阪大・堂目卓生教授。経済学の立場から社会問題の解決に取り組んでいる。初回ゲストは、祇園祭山鉾連合会評議員で、北観音山保存会の山田健二常務理事。伝統行事と地域について語り合ってもらった。コーディネーターは京都新聞総合研究所長の内田孝が務めた。

未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【第1回】


■対談

祇園祭は奉仕の精神、楽しい
山田健二氏(祇園祭山鉾連合会評議員、北観音山保存会常務理事)

人と人つながり、根底に熱意
堂目卓生氏(大阪大 社会ソリューションイニシアティブ長)

未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【第1回】

堂目◉祇園祭、準備は大変ではないですか。
山田◉北観音山保存会の囃子(はやし)方で15年ほど笛を担当していました。稽古は月1回、祭りの準備自体は1カ月ほど前から本格的になります。生まれた時から当たり前のように山鉾巡行が通り、祖父も父も祭りに参加する姿を見て育ちました。私自身は大変だと思ったことはなく、特別なイベントやフェスティバルとは思っていません。 堂目◉非日常ではなく、むしろ日常生活そのものなのですね。千年以上続いた秘訣(ひけつ)は、祭りが多くの人と人がつながる場であり、日常の人間関係がしっかりと維持されているからではないでしょうか。祭りの担い手は町内の方中心ですか。
山田◉保存会は町内の者が務めていますが、現在38人いる六角町の囃子方のうち、町内在住者は2人だけ。京都府外の方もおり、私も現在は伏見在住。今住んでいる地域と比べ、六角町でのつながりは特別で、非常に濃い感じがします。

堂目◉意外にも、町外の人が多く携わっているのですね。
祇園祭は本来、大災害や疫病などの災厄や人の欲望などをおはらいする神事から出発したと聞いています。一生懸命生きる自身の心の源、つまり「命」を誰もが祭りの中に感じるからこそ人が集うのではないでしょうか。祇園祭はそういう場を平安の世から大切にしてきたということでしょうか。
山田◉基本的に私たちは八坂神社の氏子であり、祇園祭自体が災厄から逃れる神事であるとの意識です。囃子方をはじめ、山鉾のつくり全般を担う大工方、動きを担う作事方など各人が祭りに向き合う真剣さに根源的な心のありようを感じることは確かですね。無意識の内に地域が歴史の中で培ってきた地力に私自身が取り込まれ、その力が祭りへといざなう気がします。
だからこそ、脈々と受け継がれてきた神性の伝統が「フェスティバル」になってしまうことへの拒否感があるのでしょう。元来はお清めを意味する山鉾のみが注目され過ぎ、神様をまつる神輿(みこし)があまり顧みられない傾向にあるのも残念です。
堂目◉伝統行事を維持していくには資金面の裏付けも重要なのではないでしょうか。
山田◉北観音山は助成金で何とか成り立っている状況です。くじ引きで山鉾の順番を決める「くじ取り」で1番を引くと縁起が良いとされ、ちまきなどもよく売れますが、私たち北観音山ではちまきを販売していません。「くじ取らず」で順番が決まっていることもありますが、現状で何とか回っているので、あえて人手を掛けて資金を集めることはないと考えています。

堂目◉インド由来の高級絨毯(じゅうたん)など目に鮮やかな外国の名品をまとっていることから、山鉾は「動く美術館」といわれます。この強みで外国の方々に積極展開する考えはありますか。
山田◉祭りは神事と一体化しているので、外国人を意識することはあまりないのです。本格的に美術品をそろえると、1基数億円もの支出が予想され、現実的ではないでしょう。活動資金の確保については、建物の賃貸でテナント料を得ている町もあります。最近話題のクラウドファンディングは、自由な活動がやりにくくなる懸念も根強いのではないでしょうか。
堂目◉変化の激しい近年、世間では、トップダウン的な意思決定で迅速に対応しなければ組織が衰退するといわれます。山鉾連合会と保存会の関係はどうなっているのでしょうか。
山田◉保存会は連合会の傘下でなく、それぞれ独自に活動しています。各会は、いわば「ワンマン社長」の集まりのようなもの。連合会がトップダウンで新しい方向を示しても、それぞれが判断して活動するのです。
北観音山では40人ほどいる北観音山の作事方とともに10人ほどの大工方が協力し合い、必要な時に集まって修繕作業を繰り返すことで山を次代に継承しています。工務店に任せている町もあるなど、運営方法はさまざまですね。南観音山が復活する際、山の部材が不足し、北観音山と共用して巡行を実現したこともありました。2022年の鷹山の復活も楽しみです。

堂目◉時代が変遷する中でも山鉾町が存続し続け、現代でも復帰する山や鉾もあるというのは驚くべきことです。中央集権的ではない点で、一般的な大学の組織と似ていますが、相互扶助しつつも、それぞれが責任を持って独立しているからこそうまくいくのかもしれませんね。
山田◉長年活動している人は基本的には奉仕の精神です。手弁当で「祭りに参加させてもらっている」意識が強いですが、決して義務的ではありません。だから東京や九州からも参加するのです。山を引っ張る曳き子としてボランティアで祭りに参加し、現在作事方として定住しているカナダ人もいます。
堂目◉閉じているようで閉じていない祇園祭の不思議さを感じます。絶妙なバランスを保ちながら、永年にわたって継続してきたのですね。根底にあるのは、やはり熱意でしょうか。
山田◉私の実家は代々六角町で呉服商を営んでいました。知らぬ間に私は、店を通して町のエネルギーをもらっていたのでしょう。呉服業界が衰退する過程で、数年前に事業は閉じましたが、私の中で祭りを続けていくという強い気持ちが現在でも根底にあります。祭りがあるから私がいるとでもいいましょうか。呉服など伝統産業も祭りに参加する熱意のようなものを見つめ直せば、イノベーションの芽もあったかもしれません。
保存会では、若い人が評議員に選ばれる予定です。いずれは町の人間だけで運営するのが困難になっていくでしょう。時代に合わせ、守るべきものと変えるべきものがあるでしょう。

堂目◉企業も研究活動でも心意気がない所に質の高いものは生まれませんし、営みも続きません。山田さんをはじめ祇園祭の担い手には種火のように消えない何かがあるのでしょう。山鉾町が持つ伝統の底力ですね。
山田◉とにかく祇園祭に参加することが楽しくて仕方ないです。そうして、一心不乱に熱中していると不思議と子どもたちにも伝わるようです。祖父や親の背中を見ていた私もそうでした。当たり前のことを当たり前に続けていく。そこには京都人の誇りを感じます。

未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【第1回】

◎山田健二(やまだ・けんじ)
1967年京都市生まれ。北観音山町(京都市中京区新町通六角下ル)の呉服問屋に生まれ、幼少期から祇園祭に参加。囃子方として25年務めた後、2016年から祇園祭山鉾連合会の評議員を務めている。

◎堂目卓生(どうめ・たくお)
1959年生まれ。立命館大経済学部助教授などを経て大阪大総長特命補佐、社会ソリューションイニシアティブ長。専門は経済学史、経済思想。「アダム・スミス」(中公新書)でサントリー学芸賞。京都市在住。