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年末特別対談 若い世代に伝えたいこと<下>

2022年春からスタート予定の「日本人の忘れもの知恵会議 大学生との対話篇」。シリーズ開始に先立ち、ホストを務める美術作家/舞台演出家・やなぎみわさんが、オンラインで独立研究者・森田真生さんと、数学と発想の跳躍について語り合った。コーディネーターは京都新聞総合研究所特別編集委員の内田孝が務めた。

年末特別対談 若い世代に伝えたいこと<下>


■対談
数学と発想の跳躍

ダンスのような双方向性を
森田真生氏(独立研究者)

刺激で書き換わる日本神話
やなぎみわ氏(美術作家/舞台演出家)

 

やなぎ◉森田さんの著書『計算する生命』を読んで、古代の西アジア一帯で、物の数量の記録や会計管理のために使われた粘土片(トークン)、トークンを入れる中空の粘土球(封球)に興味を持ちました。トークンの内容確認には球を壊さねばなりませんが、トークンを密閉するのが、数を記録する方法だったのですね。
森田◉やがて封球の表面に、中のトークンの情報を刻むようになり、これが数字の原型となるわけですが、中のトークンがなくても表面に刻んだ記号で十分という発想が出てくるまでかなり時間がかかりました。
やなぎ◉非常に大きな変化です。先史時代の洞窟壁画などは、原初の絵画と言われつつも、長らく二次元と三次元が混在したままでした。しかしこのトークンはハッキリと立体から記号へ移行して、効率化を果たしたわけですね。私は美術作家であり、2014年からは野外劇にも取り組んでいます。荷台部分が舞台になる台湾製のステージトラックを使って、各地で公演していますが、ステージトラックも荷台を閉じていれば、封球と同じく密閉された空間です。紙箱が展開しては閉じるように、三次元と二次元を行き来するんですよ。
森田◉トラックがステージへと変形していく様子を動画で見ました。3次元の箱が開いて、内側が露出し、最終的に2次元の絵画が浮かびあがる過程が感動的でした。もともと、数量管理に石や粘土を使う必要があったのは、人間の脳がアナログで情報を処理しているからです。実際、脳の生得的な力では7と8の区別すら怪しいのですが、石や粘土を使ってデジタル化した情報は長期的に保存できます。古代ギリシャ時代になると幾何学が発展しますが、これは、砂の上や地面に図形を描く2次元の世界です。さらに近代になると、数学的思考を1次元の記号列で展開できるようになりました。古代ギリシャ時代の数学には作図行為というわかりやすい身体的な動作が伴いますが、1次元になってくると身体性は見えにくくなります。
やなぎ◉森田さんは近著『僕たちはどう生きるか』で、自然や環境についても積極的に発信していますね。数学から身体性が乖離していったことが関係するのでしょうか。あるいは数学の道に進むきっかけになった数学者・岡潔さん(1901~78年)との出会いも大きいのでしょうか。
森田◉最近は庭で畑やコケの世話などを楽しんでいます。コケの世話では落ち葉拾いが大事な作業です。落ち葉は毎日拾っても次から次に舞い下りてきますので、なかなか前に進みません。そもそも「手入れ」や「ケア」は前に進まないものです。誰かの背中をさするとき、肩から腰へ手をなで下ろし、また上に戻す。何もしていないようにも見えますが、するのとしないのでは大違いです。前に進むよりも、相手にじっと関心を寄せる。あるいは、手を当てる。すると、掌に何かがかえってくる。目に見えない対象に「関心を寄せる」ことが数学の中心にあると、岡先生もくり返し語っていました。
やなぎ◉数学は、人間の頭の中の観念だけでどんどん前進するイメージがありました。じっと手を当てる、という所作は、一番遠いようにも感じますね。
森田◉例えば「0-2」が「マイナス2」だという考えが定着するまで、とても長い時間がかかりました。マイナスの数は最初から存在していたのではなく、研究者たちが関心を寄せ、それに触れ続けようとする長い時間の果てに、やっと存在として認められるようになっていったのです。数学の歴史は、数学者が思い通りに制御してきたのではなく、思わぬ発見や、常識がひっくり返ることの連続でした。今、地球環境が大きく変動しているなか、現実世界でも、これまでの常識がひっくり返ることが次々と起きています。大切なことは、環境の変化を制御しようとすることよりも、環境の変化に関心を寄せ、ケアしていくことではないでしょうか。
工学的に環境の「問題」を「解決」するより、人間が、人間以外の生き物たちと、どのようなダンスを踊るかという、双方向的な関係を考えていく必要があると思います。
やなぎ◉「ダンス」というメタファーに、インスピレーションを感じます。以前に作った舞台の劇中で、終わらないチェスを題材にしたダンスシーンを作ったことがありました。チェスでは、最後に駒が少なくなり、同じ手順を繰り返して局面が進展しない「千日手」に入ると、その時、敵対しているはずの駒同士が延々と同じ動きを反復します。そのダンスは悪夢のようであり、ユートピア的でもあったと森田さんの話を聞いて思い出しました。
森田◉ゲームをプレイしているうちにルールが変わってしまうというのは面白いですよね。例えば、今は気候変動に対するアプローチとして、二酸化炭素排出量ばかりが着目されています。ですが一つの数値だけに縛られていると、ルールがどうしても固着してきます。私は、もう少し発想を広げる必要があると思います。
例えば、都市部には鉄筋コンクリートの建物が林立していますが、鉄もまた、大昔の星々が超新星爆発を起こして宇宙に飛び散った元素です。私たちは鉄を媒介して、宇宙の深い歴史と繋がっている。こういう大きな相互依存性の網を意識し続けることが「エコロジカル」な物の見方です。「グリーン」なだけがエコロジーではないのです。
建築家の竹村泰紀さんは著書『地球第三の森』のなかで、人工構造物が持つ生態学的な可能性を最大限に引き出すことで、都市が珊瑚礁や森林以上の生物多様性を許容し、地球に貢献する「第三の森」になり得る可能性を語っています。
やなぎ◉森林以上に都市空間の方が生物多様性を育める可能性があるとは驚きです。
森田◉発想をシフトさせていかないと、特に子どもたちにとっては、これからの世界が耐えがたいものになっていきます。環境保護の発想を突き詰めていくと、人間は存在しない方がいいという話になってしまいかねない。真面目に考えている子であればあるほど、心が壊れてしまうのではないでしょうか。
やなぎ◉毎年、福島県の果樹園に出向き、桃の樹の写真を撮影しています。私が桃を題材にする理由は、日本神話の不思議なエピソードにあります。黄泉平坂で、最初の男女神、イザナギとイザナミが、決別するシーンです。夫から厄除けの桃を投げつけられた女神イザナミは、激怒して「私は現世の人間を1日に1000人殺す」と言います。それに対し、男神イザナギは「それなら私は1日に1500人の産屋を建てる」と応じます。その後、2人はそれぞれ地下の国と人間の世界に去りますが、別れてはじめて、壮大な共同作業が始まる、ともとれるのです。
森田◉生物学者の福岡伸一さんは、著書『ナチュラリスト』のなかで、「細胞にとって、造ること以上に壊すことが重要だ」と書かれています。環境に壊される前に先回りして自分を壊し、そうすることで、その上に新たな秩序を作り直していくのが生命です。その意味では、生と死の働きは逆行するものではなく、生と死の働きが協働しながら、生命は紡がれてきたのかもしれません。
やなぎ◉黄泉の国でイザナミの姿は醜く腐り、ウジ虫まみれだと表現されていますけれど、原初の姿、バクテリアなどに戻ったのではないかと、勝手に想像しています。20億年以上前、海中では光合成により酸素をつくり出すシアノバクテリアが出現します。シアノバクテリアがつくり出した酸素は、海中の鉄イオンと反応して酸化鉄になり、海中に沈殿して鉄鉱層を形成したと考えられています。現在使われている鉄資源の多くは、この鉄鉱層から掘り出されたものです。イザナミは火と鉄を生み、火傷を負って死んだことになっていますから。
森田◉面白いですね。子どもたちが地球環境の現状や社会のあり方にただ絶望するだけでなく、「自分は生きていてもいい」「生きていたい」と思えるような世界を作っていくためには、ものごとの見方を抜本的に変えていく必要があると思います。大きな時間と空間のスケールで事物の相互依存性を感じ取れる力が必要になってくるでしょう。
やなぎ◉新しい光景を見るためにシフトするということですね。人間が残してきた芸術も、実は「発動する」タイミングというのがあります。物語や神話もそうで、時代ごとに刺激やきっかけを与えられて動き出すものです。これまでも新しい思想に影響を受けたり、政治的な力が働いたりして、神話は書き換えられてきました。
地球上にある多くの関係性が大変革を起こしている時代、森田さんなら、それを見据えた新たな物語、神話を生み出すことができるはずです。



数式使わない数学 見えてくる人類史

数式使わない数学 見えてくる人類史

数学が苦手でも、それはあなたのせいではない。人類にとって生まれながらの認知能力に由来する-森田真生さんは、『計算する生命』(新潮社)=写真=第1章で、このように説く。
対談の冒頭、やなぎみわさんが提示した粘土球の話題は、人類が数を把握しようとしたあけぼのの時代の実例として本書で紹介されている。抽象的な数の概念を粘土を使って具体化する試みが、人類にとって大きな一歩だったという。粘土球で説明される意識の跳躍は、映画『2001年宇宙の旅』で、初期の人類が空中に投じた骨が宇宙船に変わる場面をも連想させる。
数式を使わない数学によって見えてくる人類史。数学の苦手な人こそ読むべき1冊。(内田孝)


◎森田真生(もりた・まさお)
1985年生まれ。京都を拠点に研究、執筆。一般に数学の楽しさを説く「数学の演奏会」「数学ブックトーク」を展開中。近刊に「僕たちはどう生きるか」(集英社)「計算する生命」(新潮社)。

◎やなぎみわ
1967年生まれ。京都市立芸術大で染織を専攻。2009年ベネチア・ビエンナーレ日本館代表。写真、映像作品制作などを経て、11年から本格的に演劇へ。脚本、演出、美術を手がける。