コロナ禍がスポーツのあり方も変容させ、無観客試合や声援なき応援が日常化した。スポーツの楽しみ方、体を動かす爽快感も変わっていくのだろうか。全盲のふたり、国立民族学博物館准教授で文化人類学者の広瀬浩二郎さんと、弁護士の竹下義樹さんが語り合った。コーディネーターは京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。
対談シリーズ
Conversation series
未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2021年第3回】
(2021年7月/京都市中京区・京都新聞本社) ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■対談
スポーツの楽しみ
障害/健常の枠を超え一体感を
広瀬浩二郎氏(文化人類学者)
野球場に足運び臨場感を味わう
竹下義樹氏(弁護士)
― おふたりは、これまでどんなスポーツに参加されてきましたか。
竹下◉体を動かすことが好きなので、盲学校の体育の授業にあった柔道から始まり、相撲も経験し、スキー、山登り、マラソンもやります。スキーも山登りも、飲み仲間に連れていってもらってから病みつきになり、モンブランの氷河滑降やヒマラヤ登山まで実現することができました。
私は幸運なことに、「確かに竹下は目が見えないけど、できるかできないかはやってみなければ分からないじゃないか」という仲間に恵まれました。自力で岩登りができるようになったのも、いきなり京都近郊の金比羅山の裏山に行き、手足の感覚を研ぎ澄ますように導いてくれたからです。一つのことを途中でやめられない意地っ張りな私の性格も多分にありますが。
広瀬◉盲学校時代、陸上競技の個人種目で上位進出を果たしたことで、やればできると自信を持つことができました。もっとも、盲学校の体育大会は参加人数が少ないので、出場選手3人、3位で銅メダル獲得なんてこともありました。最下位なのか、銅メダルなのか、同じ3位でも、捉え方はいろいろですね。僕の場合、メダルが自信につながったのは確かだと思います。
もともと僕は時代劇、歴史小説が大好きで、日本刀や武道に興味がありました。大学入学直後に、友人に誘われて居合道部に入部します。居合は抜刀術を中心とする武道で、さまざまな型に従って刀を振ります。「合法的にチャンバラができる」喜びは大きかったですね。周囲のサポートも得ながら、居合を楽しみ、卒業時には二段を取得することができました。
居合の後は太極拳、テコンドー、ヨガなどにも挑戦し、自分に合った武道を探しました。最終的に20代の終わりに合気道に出合い、今も細々と続けています。年数だけは長くて、もう20年以上になりますね。
一方、ブラインドサッカーの日本への導入にも関わりました。2001年に仲間とともに韓国を訪問し、ブラインドサッカーの手ほどきを受けました。帰国後、同年の秋から日本での普及活動が始まります。2002年に日韓共催でワールドカップが開かれるので、それに合わせてブラインドサッカーの日韓戦を行うことを目標に強化練習に取り組みました。2002年5月にソウルでブラインドサッカーの日韓戦が開かれ、僕はキャプテンとして出場しました。肩書としては、「ブラインドサッカー日本代表チーム初代キャプテン」ですが、当時はプレーヤーの数も少なく、ブラインドサッカーのチームは一つだけ、「ナショナルチーム」しかありませんでした。客観的に僕のサッカーの実力もかなり怪しくて、声が大きいからキャプテンをやっていただけという感じですね。
― 視覚障害者スポーツの特徴や楽しさについてお聞かせください。
竹下◉見えないことを補う工夫が随所にあることに注目するといいですね。例えば柔道は、相手と手を組んだ状態から試合が始まり、いかに相手の足音や体の軸の気配を感じ取るかが勝敗を決します。ブラインドサッカーも鈴入りボールを使用するなど音が重要な情報なので、一定の静寂状態が必要になります。
私はプロ野球・横浜ベイスターズのファンで、よく球場に行きます。最近は、抑えのエース山崎康晃投手が一球ごとに気合を込めてほえている声が飛び込んできて、びっくりしました。以前の鳴り物だらけの球場では無理でしょう。投手の球種や球速によって捕手のミット音が自在に変化するところにも私は感覚を集中します。だから負け試合でも退屈しません(笑)。相撲の立ち合いでの頭同士のぶつかり音は、経験者の私からしても迫力満点です。
広瀬◉博物館・美術館での活動において、よく僕は「鑑賞と制作はつながっている」と主張します。スポーツでも同じで、実際にプレーすることと観戦することが密接に関わっていると思います。特に視覚障害者の場合、「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆」ではないけれど、実際にやってみないとわからない。幸か不幸か、見る阿呆にはなりにくいわけです。盲学校の体育でも実体験することが重視され、とにかく視覚以外の感覚を総動員して身体を動かします。
視覚以外の感覚を総動員するという点は、実はスポーツ観戦にも共通します。目の見えない人がスポーツ観戦を楽しむためのキーワードは、「イメージの広がり」でしょう。竹下さんがおっしゃるように、音・声・気配から球場の様子を思い描くのは楽しいものです。イメージを創り上げるに当たって、その競技を実際にプレーした経験があれば、想像(時に妄想)はさらに広がっていきます。
視覚障害者のパラリンピック競技では、ブラインドサッカーやゴールボールがよく知られていますね。両競技の選手は、相手チームの選手の足音、ボールの音からフィールド全体をイメージします。敵・味方の位置を自分なりに思い描き、「見えないゴール」を狙って動くのです。視覚的には捉えることができないフィールドの状況を、視覚以外の感覚を駆使してイメージする。このイメージがどれだけ正確にできるのかによって、選手の実力が決まるといってもいいでしょう。
スポーツ観戦によってイメージする力を鍛えるというのも、一流選手になるための大切なトレーニングだと思います。もちろん、僕や竹下さんのようにあくまでも趣味としてスポーツ観戦を楽しむ視覚障害者もたくさんいます。僕はラグビーやテニスなどのプレー経験はまったくありませんが、けっこうテレビでの観戦を楽しんでいます。
もう一つ、スポーツにはコミュニケーションを豊かにする働きがあります。大学で居合道部に入った時、いちばん難しかったのはまっすぐ進むこと、回転して前後左右に刀を振ることでした。どうしても方向が微妙にずれてしまうのです。先輩たちと話し合う中で、畳の目を足で感じながら動く稽古法を編み出しました。視覚に頼らなくても、足の感覚で方向を定めて刀を振る。座頭市に一歩近づいた手応え、いや足応えを得ました。
合気道の道場でも、相手の手と自分の手が触れ合った点を意識して動くと、気を感じることができます。視覚障害のある僕のために考えられた稽古法が、実は健常者にとっても、気配を察知するためのユニバーサルな手段となる。これはおもしろい発見ですし、「無視覚流」という新しい武道の流派ができるのではないかと僕は期待しています。「無視覚流」が成立するかどうかはさておき、道場の仲間と知恵を出し合い、視覚を使わない新たな稽古法を創り上げる。このプロセスそのものがコミュニケーションなのですね。健常者が目をつぶって畳の目を足で探りながら動いてみる。福祉とはまったく違うアプローチで「目が見えないこと」を知るツールとなるのがスポーツの魅力だと思います。
竹下◉スポーツ観戦の醍醐味(だいごみ)をぜひ体験してもらいたいですね。ブラジルのブラインドサッカー選手は日本選手より格段に動きが素早いそうです。そういう発見も魅力の一つです。私も球場に通いだしてからは、臨場感を味わえないラジオがつまらなくなりました。どんな種目でもいいから、一度、視覚障害者スポーツの競技場に足を運んでもらえば病みつきになると思います。
広瀬◉スポーツ観戦の話をもう少ししましょう。竹下さんと同じく、僕もプロ野球ファンで、年に数回は球場に足を運びます。「目の見えないあなたがなぜ球場に行くの?」「家でテレビやラジオを聴いている方が試合の様子がわかるのでは?」とよく言われます。でも、僕は球場のライブ感が大好きです。テレビやラジオは一方向からしか音が聞こえませんが、球場に行くと360度、前後左右から音が迫ってきます。まさに、迫力満点です。テレビやラジオは、確かに情報量は多いけど、全身に伝わってくる迫力はありません。
また、実際に球場に行くと、スタジアムによって音の響き方が違うのもおもしろいです。スタジアムの広さ、構造の違いで、例えば京セラドームはわりと音が金属質で、キンキン響きます。一方、東京ドームは音がやわらかく、天井に吸収される感じです。いちばん気持ちいいのは甲子園で、風を感じながらカレーを食べるのは最高です。初めてジェット風船の喧騒(けんそう)に包まれた時の興奮は忘れることができません。ついつい、いい気持ちになって、自分でも大きな声で選手を応援(時に罵倒)する。大きな声を出すというのも、球場での野球観戦の醍醐味でしょう。
コロナ禍で無観客試合、声援自粛というケースが増えて、スポーツ競技の会場が静かになっています。大きな声で選手を応援できないのは、個人的には残念ですが、逆にコロナ禍がスポーツの「音」に対する関心を高めるきっかけになればとも願います。スポーツ観戦の際は、視覚だけに頼らず、さまざまな音に耳を澄まして、イメージを広げる。こんな新しいスポーツ観戦法が定着すれば、視覚障害者と健常者がともに楽しむ世界が豊かになりますね。
秋の国立民族学博物館の特別展では、芦屋大(兵庫県芦屋市)に協力していただき、「音で感じるスポーツ」というコーナーを設置します。9種類の競技の「音」を聴いて、イメージを広げる展示です。もちろん、これは視覚障害者のためのコーナーではなく、スポーツの迫力を耳と身体で体感するユニバーサルな試みです。例えば、バスケットボールのドリブルや、激しく動く選手のシューズ音も、男女でずいぶん違います。ボクシングのパンチ、卓球のラリーの音も単純ですが、なかなか味わい深いものです。「音で感じるスポーツ」は小さなコーナーですが、けっこう注目、いや注耳されるのではないかと期待しています。
― プレーヤーとしての経験をお話ください。
広瀬◉ブラインドサッカーではサイドフェンスがあり、わざとフェンスにボールを当てて、敵をかわしたりします。スタジアムによって反響音が異なるので、まず事前練習でボールを転がし、サイドフェンスにぶつけて、音の響きを確認します。「最強=最弱」のナショナルチーム立ち上げの時は、パラリンピックの柔道100キロ級のスポーツマンをスカウトしました。彼も全盲ですが、明らかに僕よりも動きがよくて、ボールに対する反応も速い。
考えてみてください、100キロの巨体が僕の後方から突っ込んでくるわけです。先ほど、音や気配でボールの動き、敵の位置を把握すると言いましたが、敵の前に、まず僕の場合は味方のミスター100キロがどこにいるのかを確認しなければなりません。文字どおり重戦車に蹴散らされたら、ひとたまりもない。下手をすれば、大けがにつながります。結果的に、僕は自分の後方に「見えない目」を向けるようになりました。この命がけのトレーニングによって、フィールド全体を俯瞰(ふかん)する能力が高くなったのは確かです。
各選手がフィールドを俯瞰できる能力、イメージする力を身につければ、チームとしてのフォーメーションも少しずつ固まっていきます。まあ、僕は2002年の日韓戦が終わり、若手選手の台頭によりレギュラーの地位が危なくなったころ、早々にサッカーを引退しましたが。
20年前によちよち歩きで始まった日本のブラインドサッカーが東京パラリンピックに出場するのは、ほんとうにうれしいです。現在は全国各地にブラインドサッカーのチームができて、パラリンピックに出場するのは本物の「ナショナルチーム」です。各選手の実力は、僕がプレーしていたころとは比べ物になりません。パラリンピックでのメダル獲得も夢ではないと期待しています。これは、高校時代の僕の銅メダルとは価値がまったく違いますね。
竹下◉水泳競技ではターンの際、パートナーにタイミングよく棒で頭をこつんとやってもらうのですが、両者の繊細な呼吸感が要求されます。私は何度も壁に頭をぶつけました。
視覚障害者によるグランドソフトボールは捕手の合図の使い分けで投手がボールを転がします。そしてバウンドしながら転がって来る打球を、守備の選手が体の中心部でさばくさまは、もう天才としか言いようがない。いい選手ほど想像力を総動員して全体の流れを読み取る能力に優れているのは間違いないですね。
広瀬◉高校生の時、萩本欽一さんのラジオ番組に出演して、初めてボウリングを体験しました。最初は健常者と同じように数歩歩いて、勢いよく球を転がしていました。やはり、かっこよくプレーしたいと思うわけです。でも、ガーターの連続でした。先ほどお話しした居合と同じように、どうしても方向が微妙にずれるのですね。
僕の様子を見ていた欽ちゃんから「かっこつけてたらダメだ!」と言われました。そして、助走せずに両足を踏ん張り、股下から両手でボールを転がす方法を伝授されました。この「股下投法」(?)により、ピンを倒せるようになった。欽ちゃんのアドバイスにより、「自分に合った方法を見つけること」の大切さとおもしろさを学びました。人生において「正解」などはなく、自身で独自の方法を工夫していくことが重要です。それを僕に教えてくれたのがスポーツだと思います。
竹下◉そこはなるほどとも思うし、少し違うかなとも感じます。私は何より指導者が重要な役割を担うと考えています。私自身、30代から始めたスキーが上達できたのは、重心の取り方を徹底的に教え込まれたからです。ボウリングも厳しい指摘のおかげですぐにスコアが伸びました。優れた指導者は、見えなくてもイメージをトレーニングするように巧みに導いてくれます。
― お話を伺っていると、子母澤寛の小説『座頭市』の主人公のように視覚に頼ることなく、健常者以上に身体感覚が発達したスポーツの達人が実在するかも、と思うようになりました。
広瀬◉厚かましくも、僕は「座頭市流フィールドワーカー」を名乗っています。でも、実生活ではよく道に迷うし、物にぶつかって痛い思いもします。座頭市修行は、まだ道半ばという感じですね。座頭市のような「目が見えない剣術の達人」は、小説にはよく登場します。「現実ではあり得ないスーパーヒーロー」という点が読者を楽しませ、想像をかき立てるのでしょう。
でも、自分が居合道や合気道を稽古する中で、「座頭市(のような盲目の剣豪)は実在したのかもしれない」と思うようになりました。僕はよく「気配は気配りなり」と言います。合気道の道場で投げ技の稽古をする際、僕は「気配=気配り」を意識します。相手を投げる方向の先に、誰か別の人が稽古していたり、壁があったりすると、たいへんです。障害物がない空間に向かって相手を投げなければなりません。僕は障害物の位置を視覚的に確かめることができないので、四方八方に気配りして、気配をうかがいます。最初は自分の周囲、それから道場全体へと気を配っていくわけです。周囲に気配りし、さまざまな人の気配を察知できるようになれば、「無視覚流」のコミュニケーションは一歩前進しますね。
僕はまだ触れ合った点を意識して動く合気道ですが、さらに技を極めていけば、触れ合わなくても相手の気配が伝わってくる。その先に座頭市の境地があるのではないかと思います。これからも「座頭市の実在性」を証明するようなフィールドワークを続けていきたいですね。
竹下◉中里介山の『大菩薩峠』に登場する全盲の剣士、机竜之助の剣術もにわかには信じがたいですが、「殺気」はもともと見えないもので、感じ取るものですよね。広瀬さんの発言にもあったように、俯瞰能力を完璧に磨き上げることができれば、人間は殺気を知覚できる能力を会得できるかもしれません。もちろん優秀な指導者によるトレーニングが前提です。
― 東京五輪に絡め、障害者スポーツのあり方も議論されていますね。
広瀬◉僕は、パラリンピックを「もう一つのオリンピック」と捉える風潮に違和感を持っています。健常者対象の大きなオリンピックが開かれる後に、障害者を対象とする小規模なパラリンピックが行われる。オリンピックとパラリンピックは「オリパラ」という表現でセットで取り上げられるようになりましたが、実際にはオリンピックが主で、パラリンピックは従という印象があります。オリンピックが大祭で、パラリンピックは「後の祭り」というのは言い過ぎでしょうか。
これまでお話ししてきたように、視覚障害者がスポーツをプレーする、あるいは観戦するというのは、特別なことではありません。健常者は視覚に頼ってスポーツをプレーし、観戦しますが、視覚障害者は視覚を使わずに、他の感覚を駆使して、同じことをしているだけです。視覚障害者スポーツと一般のスポーツはつながっている。一般のスポーツに視覚障害者スポーツの要素を取り入れれば、もっとスポーツの可能性が広がる。これが僕の思いです。ほんとうの意味での「オリパラ」を具体化するために、「障害/健常」の枠を超えて、一体感を構築していかなければなりません。スポーツには「障害/健常」の区別を取っ払う力があるし、今回の東京大会が「オリ・パラ」から「オリパラ」へと成熟していくきっかけになればと願っています。
竹下◉同感です。障害者スポーツと健常者スポーツは、限りなく境界線がないに等しい関係にあると捉えてほしいと思います。野球、サッカー、相撲、柔道など全て同様です。
例えば視覚障害者であれば、「見えないこと」の理解をどこかで工夫してもらう必要があるでしょう。最近の言葉では「合理的配慮」かもしれませんが、誰もが表現することができる場としてのスポーツの良さは健常者も共通と言えるのではないでしょうか。
一方で、スポーツである以上、鍛えるほど技術は向上していきます。そしてやがては自分の能力の限界を超える、壁を破ることを目指していくのも、また共通であると言えるでしょう。
広瀬◉「東京でオリンピック、パラリンピックが開催されてよかったね」と、みんなが感動を共有できる大会になるといいですね。僕はブラインドサッカーの後輩たちの活躍を静かに、熱く応援したいと思います。
◎広瀬浩二郎(ひろせ・こうじろう)
1967年生まれ。87年、京大初の全盲入学者。日本宗教史、触文化論。京大で居合道部。合気道二段。ブラインドサッカーにも参加。9月から大阪府吹田市の国立民族学博物館で特別展開催予定。
◎竹下義樹(たけした・よしき)
1951年生まれ。中3で失明。龍谷大法学部卒。81年に9回目の受験で司法試験合格。84年から弁護士。中学では相撲部。スキー、ヒマラヤ登山も。2021年から日本視覚障害者柔道連盟会長。