芸術家はいつの時代も社会の動きを作品に反映させてきた。一方、人々が芸術に昇華された制作者の思いを読み取ることで、作品に込められたメッセージは次世代へ受け継がれてきた。「日本人の忘れもの知恵会議」連続対談4回目は、京都市立芸術大の赤松玉女学長を招き、芸術と社会の関わり方を尋ねた。ホストは大阪大の堂目卓生教授で、コーディネーターは京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。
対談シリーズ
Conversation series
未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【第4回】
(2019年10月/京都市下京区) ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■対談
芸術を通じて社会に発信を
赤松玉女氏(京都市立芸術大学長)
地域とつながるテラス構想
堂目卓生氏(大阪大社会ソリューションイニシアティブ長)
堂目◉複雑化する現代社会では、知性だけで社会問題は解決できません。人の命を輝かせる上で、自然や芸術など美に対する感性に重要な役割があるのではないかと思います。芸術や美はどのようなものだとお考えでしょうか。
赤松◉アートや美に触れたとき人は感覚的に、はっとしたり、うれしくなったり、あるいは何かを考えさせられたりして心が活性化され、感動します。何かを作る、描く行為は、例えば幼い子どもたちにとっては非日常的体験で、驚きの連続です。学生たちには、自分がとらわれている既成概念に気づき壊していくプロセスで、次へのモチベーションが生まれます。感性から生まれる創造力に、人間の潜在的な可能性があります。
堂目◉赤松さんは障害者の創作活動を支援しておられますね。カナダの思想家ジャン・バニエは、健常者側の意識に心の壁があると考え、知的障害者と共に生活するホームを世界中につくりました。
また、アフリカなど、障害者を収容する施設のない地域では、障害者と健常者が仲間意識を持って一緒に生活すると聞きます。
赤松◉幼少時、障害のあった私の伯母は周囲からひたすら隠される存在でした。ダウン症を持つ私の娘にはもっと社会とつながってほしいと考え、地域の小学校の普通学級に入学しました。すると、そういう私自身にも学校にも、分けることが当たり前の文化があったことに気づきました。日本の社会全体がそういう文化だったんです。夫の出身国・イタリアは寛容な国で、日本の特別支援学級や学校に相当する施設はありません。分け隔てて育てると、共生のためのコミュニケーション能力がお互いに育たないと考えられているからです。
私がアート活動を支援している「かしの木学園」(京都市中京区)の利用者の方たちは、最初は戸惑う表情を見せながらも、面白さに気づくとやがて真っ白なキャンバスに向かって思うままに筆を動かす純粋な作業に没頭する人もいます。原点は誰もが全く一緒ですね。
堂目◉芸術作品は個々人の立場や状況を超えた自由な発想によって生まれるものなのですね。では、そうして生まれた作品と社会の関係をどのように捉えておられるでしょうか。
赤松◉芸術は、王族や貴族が独占する時代からパトロンなど個人によるコレクション隆盛期を経て、美術館が設立されるなど個人作品が広く社会に流通し保存されるようになって現代に至っています。
時代の変化は作品と無縁でありません。特に、科学や技術の発展は芸術家の好奇心を引き寄せました。材料の革命は創作の可能性を広げ、写真の出現は、画家の感性的表現を強く促す契機となったのです。一方で優れた一つの作品や演奏が社会に新潮流を巻き起こすこともあり、芸術と社会とは切り離せません。
芸術大学の役割は、専門家としてのアーティスト、研究者を志向する人を長いスパンで支援することはもちろんですが、無から何かを生み出す活動を学ぶことで身に付けた豊かな表現力や創造力を通じて、さまざまな分野で社会に発信していける人材を育てることも重要だと考えています。
堂目◉京都市立芸術大は2023年にJR京都駅近くの崇仁地区に移転予定ですね。掲げられている「テラス構想」は、大学が閉じた芸術教育に終始するのではなく、公共性を持って地域とつながることを重視しているように感じます。
赤松◉本学は1学年約200人と小規模で、学生の視野が狭くなりがちです。以前から影響力のある美術家や音楽家を学外から招いており、最近では経済界のリーダーや福祉施設の関係者の方々にも広く登壇をお願いしています。日本伝統音楽研究センターと芸術資源研究センターは、セミナーやシンポジウムを学内外で活発に行っています。その延長で移転を機に、大学間や産業、地域との連携にも力を入れていく基盤となるのがテラス構想です。
「こんな面白い大学が街中にやって来ます」と伝えると同時に、学内からも出掛けて行く。テラスに来た人たちと互いに刺激し合い、新たな創作や演奏につなげるような公開性が大事だと考えています。
堂目◉テラス構想は、京都そのものが、新しいものを生み出してきた歴史があるからこそ可能になるのではないでしょうか。京都の街についてはどのように感じられていますか。
赤松◉歴史の街、大学の街であり、革新的な街です。歴史的建物や美しい景観、伝統工芸資産が豊富なだけでなく、最先端テクノロジー企業も多数あります。前衛的なパンクロックの精神が似合うのは、大阪や神戸よりも実は京都かもしれません。芸大も伝統を継承することと同時に今までにないものを生み出していく役割もあると考えます。
京都からは吸収しようと思えばいくらでもできる。でも放っておいてもくれるから、閉じようと思えば閉じてもいられる、過保護なだけではない街とも言えますね。
堂目◉グローバリゼーションが進む中、多様な価値観がぶつかり合い、世界は不安定で困難な時代を迎えると言われています。こうした危機感や閉塞(へいそく)感に対して、芸術や美はどんな役割を持つでしょうか。
赤松◉芸術、美の意義は、ただ美しいだけでなく、違う価値観に触れることで、面白く、わくわくするといったところにあり、芸大はそういったさまざまなものをじかに感じていただく交流の場でありたいと思っています。
評価の定まった作品だけでなく、見慣れない、聞き慣れないものもあっていいでしょう。拒否されたり、驚かれたりするところから斬新な価値観が生まれ、新たな歴史が加えられていくのではないでしょうか。
◎赤松玉女(あかまつ・たまめ)
1959年兵庫県尼崎市生まれ。画家。京都市立芸術大大学院美術研究科修了。イタリアでの創作活動などを経て、93年に京都市立芸術大教員に。美術学部長を経て19年4月、理事長兼学長に就任。
◎堂目卓生(どうめ・たくお)
1959年生まれ。立命館大経済学部助教授などを経て大阪大総長特命補佐、社会ソリューションイニシアティブ長。専門は経済学史、経済思想。「アダム・スミス」(中公新書)でサントリー学芸賞。京都市在住。