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- 2026元日 文化人メッセージ -

三宅香帆

人を許すこと、優しくあること

三宅香帆
書評家

罪悪感、とは日本人にとってすごく大切なモチーフなんだなとしばしば思う。文学を読んでいても、思想を勉強していても、家族関係について調べていても、いろんなところで目にするテーマだ。罪悪感。なにか相手に悪いことをしてしまったのではないか、自分は他人に迷惑をかけてしまったのではないか、あの人のことを自分は傷つけて終わってしまったのではないか。ー自分は罪悪を抱えているのではないかという感覚。それらは日本文化の奥底にこんこんと眠っていて、たまに目を覚ましては、地上に出てきて暴れ、そしてまた地下で眠りにつく。
戦争責任。家族関係。本音と建前。私たちの文化には、実は自分は他人に対して悪いことをしてしまったのではないか? という罪悪感の物語が常に存在する。
夏目漱石は「こころ」で、親友が先に自殺してしまった人の物語を描いた。なぜ私だけが生き残ってしまったのだろう? 私はあの人を傷つけたのだろうか? 本音のところで抱えた罪悪感は、建前で生きる普段は顔を見せない。抑圧されている。だから、日本文学のモチーフになる。それは決して解消されない。死者に謝罪しても、それは解消したことになんかならないからだ。起こったことは、消せない。私たちは罪悪感を抱えて生きるしかない。
しかしー最近思う。罪悪感は、悪いものだろうか?
罪悪感を抱えていると、他人に対して、少しでも優しくあろう、許そうとしよう、と思いやすくなるのではないか。
荒唐無稽なことを私は書いているだろうか。いや、そんなふうに思わない。自分が何も悪いことをしてない、自分には後ろ暗いことなんて何もない、とても清く正しい人間であるなんて思っていると、他人の悪いところを許せなくなってゆく。他人にかけられた迷惑を忘れたくなくなる。
しかし、自分が罪悪感を持っていると、他人のことを許そうと思えるようになるのではないか。なぜなら自分だって、許されたいからだ。
許されたい。しかし許されない。それでも、生きてゆくしかない。
どうしたら他人に優しくできるのか、ということが今後重要になる気がしてならない。いまは他人を許す基準が曖昧で、どれくらい優しくあるべきなのか、その規範がわからない。しかしそれでも、人は人と生きていくしかない。人はひとりでは退屈してしまう。楽しく生きたいなら、人と関わるしかないことは、確かなのである。
罪悪感を抱えつつ、それでも他者に優しくあろうとすること。そういう文学を読んでみたい、と私は思っている。

◉みやけ・かほ
1994年高知県生まれ。文芸評論家。京都市立芸術大非常勤講師。京都大人間・環境学研究科博士前期課程修了。リクルート社を経て独立。小説や古典文学やエンタメなど幅広い分野で、批評や解説を手がける。著書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」「『好き』を言語化する技術」「『話が面白い人』は何をどう読んでいるのか」など多数。