賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ

- 2024元日 文化人メッセージ -

村上 隆

自らを決定づける出会いの地・京都

村上 隆
現代美術家

僕は東京芸大の日本画科を卒業しています。1979年当時の僕は、マンガ、アニメ絵が描けずに、日本画というかなり“イケていない”学科を選ばざるを得ず、仕方なく行きました。
入学後、アニメへの思いを断てずに、学部1年からの3年間、8㍉フィルムのアニメを作りました。3年生の学園祭まで必死に作りましたが、できた作品があまりにも貧弱で、己の才能のなさに絶望し、アニメ作家を諦めました。
そんなころ、芸大生恒例の京都、奈良への古美術研究会がありました。奈良に大学の宿泊施設があり、昼間は神社仏閣を見学して、夜は助手の先生らと深夜までどんちゃん騒ぎを2週間やるような旅でした。
その中で二つ、その後の自分を決定づける出会いがありました。一つ目は、天球院での狩野山雪の「梅花遊禽図襖」にある梅の木のうねりのフォームが、大好きだったアニメーターの金田伊功さんの爆発の形状にそっくりなことを発見!そのことで、アニメを絵画に転用可能と思いつき、なりわいとすることを諦めても、アニメと関われるかもと考えられたこと。もう一つは、京都市美術館で行われていた琳派展で、われわれ学生が館内を見ていると、当時、多摩美術大教授で、後に東京芸大に移られ、僕の師となる加山又造先生がフワっとやって来て、「う〜ん光琳はやっぱりうまいねぇ〜」と一言言って、どこかへ行ってしまわれた事件。「え?なんで加山さんがわざわざ来たの?そして、これが尾形光琳?」と見返すほど、琳派的ならざる作風の孔雀図で、細かく細かく描かれていたのです。
一つ目の梅の木のうねりは、狩野派といっても、自由なフォームで描いても絵画として成立するのだということ、二つ目は、絵画を単純なデザインにまでミニマル化した琳派でも、元は細密描写だったんだぁ、と。つまり、一つ一つコツコツとした積み重ねの後に表現となるのだなぁ、ということでした。
今年2月から始まる僕の展覧会「村上隆 もののけ 京都」展は、京都をテーマにしているが故に、琳派そして岩佐又兵衛、もしくは陰陽師的なる四神の新解釈などと、僕の「マンガ、アニメ+日本美術史=スーパーフラット」という答えのオンパレードです。
僕の作品は外国で受ける傾向があり、それはつまり日本人の自画像を描いているからだと思います。自画像は非常に醜悪だったりして、嫌な気持ちになったりするのも分かりますが、まさにそういった生な感覚が西欧では受けるのです。「ゴジラ−1・0」や「君たちはどう生きるか」が、アメリカで受けるのもその最たるものなんじゃないかなぁと思ったりして。その辺の勘所などもぜひ見てほしいと思います。

◉むらかみ・たかし
1962年生まれ。東京芸術大大学院美術研究科博士後期課程修了。博士論文「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」で同大日本画初の博士号を取得する。伝統的日本美術とアニメ、マンガの平面性を接続させた「スーパーフラット」の概念を提唱。東日本大震災を機に、京都市内に自宅を持つ京都市民。2月に京都市京セラ美術館で個展を開催する。

「金色の空の夏のお花畑」(部分/参考作品) 2023年
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