賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ

- 2024元日 文化人メッセージ -

宮野公樹

歴史の居場所は
あなたの中に全てある

宮野公樹
哲学者(学問論・大学論)

不思議なもので、「日本人の忘れもの」と聞くと、反射的に思い浮かべるものが、誰しも同じような気がする。これはどういうことか。
近所付き合い、伝統・風習、よい加減の心、宗教心、倫理感など、これら物質文明においてなぜか対極とされるそれらを「忘れもの」として、大勢が感じ認めているのは、まさに今、同じ時代を生きているからということだろう。では、その時代とは何か。
それを「同じ出来事の共有」とするなら、まだ半分であろう。むしろ「同じ出来事の創造」がふさわしい。時代を語る当の本人が時代の一部なのだから、時代を創っているのは誰でもない自分なのだ。わが身内で起きることや、遠い他国で起こること、「全て」を自分が生み出している。見聞きできるあらゆる出来事の良し悪しを決めているのは、ほかでもない自分(の感情)であるが故、この世は自分が創っていると言い切っても何の差し支えもないのだ。
実のところ、同じ出来事の「創造」と書いたのは正月サービスであり、本当は「共犯」と書きたかった。そう、あなたは、あの事件も、かの戦争も、全て自分のせいと考えたことはあるか。かくも人間はこんなことができるのか、できてしまうのか……。歴史を見て明らかなように、人間の成すこと、成してきた道は、「人道」という言葉で意味されるものにふさわしいとはとても思えない。では、その人間とは何か。
それはあなたである。全て私やあなたと同じ「人間」がしたことである。歴史とは、人間の歴史にほかならないのだから、あなたは、たまたま2024年の元旦に生きていてこの言葉を読んでいるのであって、違う時代の違う国の「人間」であったとしても全くおかしくはない。歴史の居場所は人間の内側、あなたの中に全てあるということだ。損か得か、敵か味方か。これら安易な二分法を超える思考はここにしかない。
であるなら、話は早い。どこか自分の外に置いてきたような「忘れもの」などありはしない。全てがここにあるのだから、それを今一度思い出せばいいだけである。「人間」という言葉に、「自分」も含めること。そうして歴史(または未来)を静かに感じ、浸り、思いをはせればよい。そうすれば、善きこと悪しきこと、それらが登場する舞台としての日常、その存在の不思議こそを感じることにきっとなる(そして、これこそが人間が「幸せ」としてきたものの本質である)。これは、節目としての元旦にふさわしい。

◉みやの・なおき
1973年石川県生まれ。京都大学際融合教育研究推進センター准教授。博士(工学)。立命館大大学院修了後、カナダMcMaster大、九州大を経て2011年より現職。文部科学省学術調査官の経験も。国際高等研究所客員研究員。一般社団法人STEAM Association代表理事。近著に「問いの立て方」(ちくま新書)。「世界が広がる学問図鑑」(Gakken)監修。