賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ

- 2024元日 文化人メッセージ -

湊 三次郎

100年後
銭湯が銭湯としてあるように

湊 三次郎
銭湯活動家

「核燃料による湯沸かし装置が実装される銭湯が誕生するのだとか」もちろん冗談です。AI(人工知能)の普及でSFじみた世界が急速にやって来そうな実感が湧いてきたこのごろ。本当にそんな未来が100年後にやって来るかもしれません。
京都府下では、年間約7軒のペースで銭湯が減少しています。わずか10年後には30軒以下になっていてもおかしくないのです。京都を代表するような老舗から、設備もまだきれいな人気店までもが姿を消していっており、銭湯が数多くあった京都市内では空白地帯が広がりつつあります。京都市外では絶滅状態になってしまった地域もあります。100年後には銭湯が消滅してしまっていてもおかしくはないのです。
ところで、銭湯と一口に言っても、スーパー銭湯、温泉やサウナ施設など、広く温浴施設を指す場合があります。銭湯と言えば、いわゆる、「町のお風呂屋さん」だと思われていますが、その存在の捉えられ方が、近年変わってきているように感じます。一つの大きな要因は、「サウナブーム」の影響です。湯上がりに、「良いサウナだった。ととのった!」という、サウナ主体の声がちらほら聞こえてきます。「サウナ施設としての銭湯」と一部で認識されつつあるのを感じます。
このようなブームや社会の変化に迎合して変容していくのであれば、100年後に存在する銭湯というものは、現在銭湯とされているものから懸け離れたものになっているかもしれません。むしろ、そうでもしなければ、そもそも消滅してしまうことすらあり得ます。
別物に変わっていくことを悲観的に感じる部分もありますが、江戸時代の銭湯は、「蒸し風呂スタイル」だったそうなので、現代の銭湯とはまったく違います。さらに、当時は混浴だったそうです。それこそ、LGBT(性的少数者)理解の推進で社会変革が進み、100年後に混浴に 〝戻っている〟 なんてこともあり得ます。歴史が続く以上、形や姿だけでなく、存在の捉えられ方やあり方は変わっていくものであると、昨今の銭湯を取り巻く状況を目の当たりにして、しみじみと感じています。
銭湯をこの先に残していくためには、商売としての強さを取り戻すことも大切ですが、現代の人々が銭湯をどのように認識し、何を銭湯と考えているのかを見極めること。現象的なものに飲み込まれ過ぎず、しかし一部は社会の変化として取り入れること。銭湯が銭湯としてあるように意識して営業していくこと。そうして、新たな銭湯文化を形成して、それを認めていくことが必要なのでしょう。

◉みなと・さんじろう
1990年生まれ。2015年、学生時代にアルバイト経験があった老舗「サウナの梅湯」(京都市下京区)の経営を引き継ぐ。SNS(会員制交流サイト)での情報発信やイベント開催などが評判に。その後、神戸市、愛知県、三重県などでも銭湯を継業。22年に株式会社「ゆとなみ社」を設立。現在、8軒の銭湯を運営し、50人以上のスタッフを抱える。