賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ

- 2024元日 文化人メッセージ -

松井利夫

「新しい日常」を耕し、生み出す

松井利夫
陶芸家

晩秋から春にかけて亀岡盆地は霧の雲海に沈みます。「霧は大地の呼吸である」―その霧を深く吸い込み大気の一粒一粒を身体に循環させ、人も野菜も野山も川も育ってきました。冬支度に忙しい虫のため息、シカやイノシシの鼻息、日なたのネコの寝息、いろんな吐息が雲海に消えては、湧き上がり再び霧となり私たちの体内を巡ります。霧は命のスープです。その霧や霞を食べながらたくさんの芸術家が暮らしています。私はその人たちを「野良」の芸術家と呼んでいます。「野良」とは有機的連関、つまりオーガニックということです。野に暮らしてみないと見えないつながり、ここではないどこかに連れて行ってくれる力、そんなつながりや力を持った人が本当の芸術家だと思います。「芸術は宗教の母である」とは、亀岡は穴太の野に生き、野から芸術を学び宗教へと高めた出口王仁三郎の言葉です。作品だけが芸術ではありません、生命や魂をより一層輝かす「技術」のことをそう呼びましょう。おいしい野菜を育てることができる人、渓流で綱渡りのように舟を操ることができる人、悲しい人に寄り添える人、鳥と話せる人、へそで茶を沸かせる人、作品という形ではなくとも人の心を輝かしてくれる人が芸術家だと思います。
そんな人たちが集まって「かめおか霧の芸術祭」が生まれました。「霧」を象徴として、私たちの暮らしをアートの視点から見直し、耕し、人と風土の魅力を育てる芸術祭として2018年から続いています。本当はこんなに続くとは思っていなかったし、続けられるとも考えていませんでした。この芸術祭が続いたのは、亀岡市の思いや誰かの希望であったかもしれないけれど、あたかも小説の中の人物が作者の意図とは関係なく物語をリードするかのように、芸術祭そのものが人格を持ち私たちを駒のように突き動かしているのではないかと感じることがあります(いったいどこに向かって?)。特に新型コロナウイルスとの共存の道筋を模索する中、いろんな催しが延期や中止され、年をまたぎ越し先送りされるという経験は、私たちの意思や計画とは別次元の、逆らえない次元の力を明らかにしてくれたと思います。
新年早々、大げさですがまさに人類の意思や営みと自然との共存を再度模索し「新しい日常」を耕し、生み出すことが、今日の芸術に求められているのだと思います。

◉まつい・としお
1955年大阪府生まれ。京都芸術大教授、滋賀県立陶芸の森館長。京都市立芸術大陶磁器専攻科修了。ファエンツァ国際陶芸コンクールグランプリ、京都美術文化賞など受賞。近年はたこつぼ漁、野良仕事に没頭し人間の営みが芸術に変換される視点と場の形成に関する研究を重ねる。IAC国際陶芸学会理事。「かめおか霧の芸術祭」総合プロデューサー。

金色の光の中で遊ぶ子どもたち ©haruki okada