思い描く、未来
- 2026元日 文化人メッセージ -

時間と手間をかけて完成へ近づける
この国の「間」の取り方
林 喜右衛門
能楽師 観世流職分
昨年、能楽を生業として創始400年を迎え、家名・喜右衛門を十四世として襲名した。長い年月を多くの方に支えていただき今があることに感謝するとともに、先人の偉大さを身をもって感じている。
ある時、能楽を普及すべく小学生の前で実演を交え、また能面や能装束を見せながらさまざまな能の話をした。その最後に、「能楽は日本の大切な文化の一つです」と締めくくろうとしたところ、「なぜ大切なのですか」と問われた。鋭い質問に思わず絶句してしまった。今まで自分は能楽を知ってもらうことのみ考えてきたが、いわゆる日本の伝統文化の本質を考えたことがなかったと反省した。あの日以来、いろいろなものに触れるにつけ、日本文化とは何なのか、また能楽が果たす役割について考えて続けていた。そのような折、とあるお茶会に参加する機会を得た。ご亭主がお道具のお話をされた時、「一代では全てを集めることは出来ません」とおっしゃった。その時、私は一代で全てを成し遂げようと思っていたのだが、それは難しいことなのだと悟った。つまり、何事も、時間と手間をかけることで少しずつ完成へと近づけることができるものなのだろう。そうか、「間」が必要なのだ。
あの日の小学生にもう一度出会えたら、能楽を伝えることは「日本に生まれた者として、この国がもつ間の取り方を知るための手立てです」と伝えたい。この事は機会があればお話させていただいている。「間」の取り方を誤らなければ、相手を傷付けることもないだろう。
本年は寛永行幸400年を迎える。1626(寛永3)年に後水尾天皇が二条城に行幸された、いわゆる「寛永行幸」の際に、天皇と将軍の御前にて九番の能が披露されたことが記録に残されている。当家は、このことをきっかけとして能楽を生業とし始めたのではないかと考えている。その後、観世宗家が東京に向かわれたあと、洛中で京観世五軒家の一つとして謡指南にあたってきた。当家の家紋は、寛永行幸の際に上洛した伊達政宗公に献上した州浜団子と、その返礼に政宗公より賜った銀玉を意匠としている。寛永の時代は、復古的ルネサンスの時代といわれていると聞く。寛永行幸を契機に、歴史に学びながら新しい文化や産業の数々が誕生したという。今に伝わる文献やものを通して、当家の400年の歴史を振り返るとともに、これからの400年を展望するための新たな一歩を踏み出したい。
◉はやし・きえもん
1979年京都市生まれ。父・十三世林喜右衛門、および二十六世観世宗家・観世清和に師事。3歳で鞍馬天狗の花見役にて初舞台、京都を拠点に活動。京都・岡山・東京・鳥取にて謡と舞の指南にあたる。次世代への能楽普及を目的とし、「林能楽会定期公演SHITEシテ。」「90分で能観劇KYOTO de petit能」を主催。


