文化がつくる未来
- 2025元日 文化人メッセージ -
ただ、木琴が大好き
心はつながっている
通崎睦美
木琴奏者
木琴の名手・平岡養一(1907~81年)の愛器を譲り受けて、2025年で20年になる。素晴らしいホンジュラス産ローズウッドの鍵盤を持つ1935年に米国シカゴで作られた大型の木琴は、今年「90歳」になるが、はつらつとした音色に衰えはない。
日本で「シロフォン」とも呼ばれる木琴は、ヨーロッパにルーツを持ちルネサンスの時代から親しまれた。明るく華やかな音色が特徴で、ヨーロッパの移民がアメリカに持ち込んで1900年代初頭に今の形になった。一方マリンバは、共鳴具にヒョウタンをつけたアフリカの楽器「バラフォン」がルーツといわれる。中南米を経由して北米に伝わり、現在の形になった。よく響く柔らかい音色が魅力である。見た目は似たもの同士だが、鍵盤の裏面の削り方を変えることで、音色の特徴を出している。両者、楽器によって共鳴管の長さや太さが違うが、それは各楽器の音色を最大限に引き出すためである。日本では、おもちゃからマリンバまで木製鍵盤打楽器の総称も「木琴」と呼ぶので混乱が起こりやすいが、木琴とマリンバは全く別の楽器である。
私は20年間、この説明を繰り返しているので「その説明は、もう聞き飽きた」と思ってもらえるとうれしいのだが、まだその域には至らない。
明るい木琴の音色が鳴り響いた日本に、見た目も響きもゴージャスなマリンバがもたらされたのは1950年のこと。今年でマリンバ日本上陸75年になる。木琴に親しんできた日本人は、マリンバと出合い、すぐにマリンバに傾倒していった。私が5歳の時、「世継(よつぎ)地蔵」の名で知られる塩竈山(えんそうざん)上徳寺(下京区)の一室で習い始めたのもマリンバであることから、70年代初頭にはマリンバが市井の人々にも知られていたことが分かる。
現在、ラグタイムを演奏する木琴奏者、また木琴も弾く打楽器奏者は存在するが、クラシック音楽界で木琴をメインに活動する木琴奏者は、世界で私一人なのだそうだ。最近「木琴の後継者は見つかりましたか」と問われることがある。私は、後継者は探すものではなく、いつかどこかからひょっこり現れるものだろうと思っている。
私と平岡養一は、同じ未(ひつじ)年生まれで60歳違い。平岡の没後に彼の木琴と出合いとりこになり、ご家族から譲り受けた。私は平岡の技術や音楽性を継承しているわけではない。ただ、木琴が大好きだという心はつながっている。
いつか「どうしてもこの楽器を弾きたい」という人が現れるよう、今年もひたすら木琴の魅力が伝わる演奏ができるよう精進したい。
◉つうざき・むつみ
1967年京都市生まれ。京都市立芸術大大学院音楽研究科修了。往年の名木琴奏者・平岡養一の愛器を譲り受け、木琴復権に注力する。著書に「木琴デイズ 平岡養一『天衣無縫の音楽人生』」(講談社、第24回吉田秀和賞、第36回サントリー学芸賞)、「天使突抜おぼえ帖」(集英社インターナショナル)ほか。2021年、京都府文化賞功労賞受賞。