思い描く、未来
- 2026元日 文化人メッセージ -

いろんな人がいるから自由なんだよ
奈良雅史
文化人類学者
2017年、中国浙江省の義烏という街を訪れた私に、20代の回族女性ナーさん(仮名)はそう語った。回族は、7世紀半ば以降に中国にやってきたアラブ人、ペルシャ人、トルコ人などの外来ムスリムとイスラームに改宗した漢人をはじめとする中国に暮らす人々との通婚の繰り返しにより形成された民族集団とされる。義烏には世界最大の日用品の卸売市場があり、世界中から商人が集まってくる。そのなかにはアラブ圏のムスリム商人も少なくない。そのため、イスラーム学校でアラビア語を学んだ多くの回族が通訳として義烏にやってきていた。当初はかなり稼げたようだが、中国の景気低迷に伴い、それほど稼げなくなってきたという。それにもかかわらず、義烏にやってくる回族は後を絶たず、地元に帰る者も少なかった。冒頭の発言は、こうした状況を理解するために行っていた調査の時のものだ。
イスラームをはじめとする宗教に対する管理規制が厳しい中国において、外国人が多い義烏は例外的に宗教活動にやや寛容な地域となっている(「宗教の中国化」政策が進められるなかでもアラブ風のモスクが残る!)。「自由さ」はこうした政治状況に根差しているようにみえる。しかし、必ずしもそれだけではない。
ナーさんは続けて、「(故郷では)人付き合いが多すぎるから、あまり慣れないんだよね。義烏の方が自由に暮らせる」と話した。彼女は回族が多く暮らす故郷よりも「いろんな人」が暮らす義烏に「自由さ」を見いだしていた。ただ、義烏では回族同士のつながりもそれほど強くはないし、外国人ムスリムとも宗教的な考えが違うし、漢族をはじめとする非ムスリムも多い。「いろんな人」は彼女にとってよく分からない人たちだ。
よく分からない「いろんな人」がよく分からないままに共に在る。そこに「自由さ」がある。ナーさんの言葉には「異文化理解」や「多文化共生」のようなもっともらしい標語は出てこない。そこにあるのは、ただ単に「いろんな人」がいることのポジティブな意味だ。「よく分からない隣人」たちとの関係も、そんな構えからはじめてみていいのではないだろうか。
近年、京都ではオーバーツーリズムが深刻化している。しかし、祇園祭の山鉾にペルシャ絨毯が使われてきたことに示されるように、京都は地域や国を越えた交流を通じてその文化を育んできた。「いろんな人」がいることは時に軋轢や矛盾を生む。だが、それを本来的に「自由さ」をもたらすものとして受けとめてみるなら、街の景色もまた違って見えてくるかもしれない。
◉なら・まさし
1982年北海道生まれ。国立民族学博物館准教授、総合研究大学院大准教授。著書に「現代中国の〈イスラーム運動〉:生きにくさを生きる回族の民族誌」(風響社)、編著に「多元化する台湾のムスリム・コミュニティ」(上智大学イスラーム研究センター)、共編著に「モノとメディアの人類学」(ナカニシヤ出版)など。


