文化がつくる未来
- 2025元日 文化人メッセージ -
「秘すれば花」の価値に気付き
本来の人間らしさを取り戻す
種田道一
金剛流シテ方能楽師
能の大成者、世阿弥の言葉に「衆人の愛敬を以(もっ)て一座建立の寿福となす」とあるように、もとより能は一般庶民のための芸能であったといえます。俳諧に「不易流行」という言葉があります。永遠なるものと流転するものは、同じ根元の風雅の誠に帰するというものですが、根本の精神は不変で、常に根元を見据えていなければなりません。
西洋の古典芸能が人間性の追求であるのに対し、日本のそれは、この頃何かと取り上げられる「癒やし」の芸術であると言われています。しかし本当の「なぐさみ」は、優れた芸術に触れることによってのみなされるものです。それも人の手によって作られたものでなくてはなりません。能では美術的、工芸的に価値の高い能面や装束を着けた名人の舞台がそれといえます。
茶の湯の理想が「わび」ならば、能は「幽玄」と言えます。皆さんはこの言葉についてどのような印象をお持ちでしょうか。文字のイメージからすると暗い、かすかな、静かなというところです。薪やろうそくの炎の中で能が演じられる光景が目に浮かびます。ところが「幽玄」は歌道、音楽、人の物腰などの上の理想として鎌倉時代の末頃から、優雅な美しさを示す言葉として用いられてきました。ただ美しく柔和なる体が幽玄の本体なので、文字の意味からくるものとは異なります。能役者が自分で工夫をし、修行し、稽古をしなければ「幽玄」の境地へ到達することはできません。
2018年に文化庁文化交流使を務め、2カ月余り単身でアメリカ、フランス、スペイン、イタリア、ハンガリーの5カ国・6都市を巡り、公演とレクチャーを行ないました。スペインのバルセロナを訪れ、1週間のレクチャーと発表会を行ないましたが、普段道化師を仕事にしている中年男性が、「能はSilencio(沈黙)」だと感想を述べました。わずかの期間でしたが、能の本質を見抜いている優れた感性に感銘を受けたことを覚えています。
機械文明が果てしなく広がり、情報過剰の末、全てのものがあからさまになり、高度な技術によりいろいろな疑似体験ができるようにもなりました。このような時にこそ、世阿弥の口伝「秘すれば花」の価値に気付き、実体験の世界である能の重さを感じ、本来の人間らしさを取り戻すべきであろうと思います。
◉たねだ・みちかず
1954年京都市生まれ。能楽金剛流の職分家である種田家の4代目。4歳で能楽の世界に入り、5歳で初舞台。93年京都市芸術新人賞、98年重要無形文化財(総合認定)に指定。国内での普及活動とともに、欧米など海外での公演やワークショップにも取り組み、2017年度文化庁文化交流使も務めた。24年、旭日双光章受章。