思い描く、未来
- 2026元日 文化人メッセージ -

平和を築いた城を誇りとして後世に
中井 均
考古学者
昨年8月に彦根城の世界遺産登録について文化審議会は推薦候補を見送った。実は、彦根城は大名統治システムを象徴する存在としての世界遺産登録を目指している。これについてユネスコの諮問機関・イコモスは一定の理解を示したのだが、文化審議会では歴史的な価値などの説明に課題が残ると判断して今回の見送りとなった。
城の本質は軍事的な防御施設である。彦根城も1604(慶長9)年より天下普請と呼ばれる全国の大名を動員しての築城であった。これは徳川幕府が大坂城の豊臣秀頼に対する最前線として位置付けた築城であった。1615(元和元)年に大坂城が落城して豊臣氏が滅び、徳川政権が盤石なものとなり、以後日本は長く戦争のない平和な世界を作り上げた。
この平和は城にも大きな変化をもたらした。軍事目的で築かれた彦根城であったが、わずか10年後には政治、儀礼、文化の拠点となったのである。江戸時代、260年の平和を築いた大名統治は世界に誇るべきシステムであり、この価値による世界遺産登録の意義は大きい。確かにシステムを具体的に説明するのは難しい。しかし、建造物という実態的なものではなく、平和を維持した装置としての登録が重要である。戦争目的で築かれた城が、形も変えず平和を維持する施設となった事例が世界に他にあるだろうか。私は課題を一つずつ解決しながら、大名統治システムとしての彦根城を世界遺産登録すべきだと思っている。そして戦争目的で築かれた彦根城が、平和の象徴であることを誇りとし、後世に伝えていくことが私たちに課せられた使命だと思っている。
滋賀県の城で、もう一つ注目しておきたいことがある。今年は安土築城450年である。1576(天正4)年、織田信長によって築かれた安土城は日本城郭の革命と言っても過言ではない。戦国時代の城は防御施設として、山を切り盛りして築かれた土造りの城であった。対して安土城は石垣によって築かれ、建物には金箔瓦が葺かれた。さらに山頂には五重七階の高層建築である天主が造営された。これは政権のシンボルとして見せる城の出現と評価できる。以後、日本の城は石垣、瓦葺き、天守から築かれる構造となる。安土城が近世城郭の祖と位置付けられる所以である。
安土城跡は現在滋賀県によって発掘調査が進められている。この450年を単なるイベントに終わらせるのではなく、発掘調査や研究を継続的に行うことのできる研究所を設置することを望みたい。
◉なかい・ひとし
1955年大阪府生まれ。龍谷大文学部史学科卒。米原町教育委員会や長浜城歴史博物館館長などを経て、2011年から滋賀県立大人間文化学部准教授、13年教授、21年名誉教授。23年度から京都橘大非常勤講師。専門は日本考古学で、特に中・近世城郭の研究、近世大名墓の研究。著書に「信長と家臣団の城」(KADOKAWA)、「戦国近江の城郭」(サンライズ出版)など。


