日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ
- 2024元日 文化人メッセージ -
「グローバル」はローカルの延長に
中須俊治
起業家
僕が初めてアフリカ大陸を訪れたのは、就職活動に嫌気が差した学生時代だった。当時は、なるべく時価総額の大きな企業から内定をもらうことが、ある種のステータスであるような雰囲気があって、企業説明会へ行くと、多くの企業が「グローバル化社会に適応できるグローバル人材」を求めていた。「グローバル人材」について人事の担当者に尋ねると、ざっくり言えば「語学が堪能で、フットワーク軽く世界各地へ足を運ぶことができる人」だった。
違和感を覚えた僕は、その「レース」から逃れるように休学届を出した。休学したからには、誰も見たことのない景色を見に行こうと、在留邦人が少ない中東か南米かアフリカ地域に焦点を当てて調べたが、それらの地域には「後発後進国」という国連が定める基準で開発が遅れているとされる国が多く、学校を建設したり、経済的な自立支援をするようなボランティアを募集していた。近江商人の気風が漂う滋賀大で学び、商売のチカラで世間を面白おかしくしていくことに興味があった僕は、それらの地域で現地の産業に迫ることができそうなプログラムを探した。
それで見つけたのが、西アフリカのトーゴ共和国という国でラジオ局に勤務するプログラムだった。在留邦人がわずか2人(2023年現在、3人)という異国へ足を運んで、そこで感じたのは「グローバル」というのはローカルの延長にあるのかもしれないということ、そのローカルを突き詰めた先に普遍的な何かがあるかもしれないということだった。現地で取材に出かけるときに求められたのは、その地域に精通するキーマンを見つけ出すことや、活動するスタンス、地域の中で良好な関係性を紡ぎ出すという、超ローカルなことだったのだ。
そうした体感を得て、まずは地元である京都で仕事をしたいと思った。大学卒業後、地元金融機関に就職し、営業担当として手描友禅を得意とする染色家の方と出会った。ほとんど京都から出たことがないにもかかわらず、その手仕事は海を渡ってパリコレクションで脚光を浴びていた。そのことにロマンを感じた一方、染色家が置かれている厳しい環境に触れ、地域の価値あるものをつないでいくことを目指して創業し、僕しかできないと思えたアフリカ文化との掛け合わせをしてきた。
アフリカ大陸を行き来しているからこそ、日本のこと、京都のことを見つめ直せる。その地域にしかない光を見極めて伝えていくこと、遠く離れた人々に気持ちを寄せたり、近くの人々のちょっとした変化を汲み取っておもんぱかれる優しい人こそが、「グローバル人材」なのではないかと思ったりする。
◉なかす・としはる
1990年京都生まれ。滋賀大経済学部卒。大学在学中に単身アフリカへ渡航し、ラジオ局のジャーナリストとして番組制作に携わる。卒業後、京都信用金庫に入庫。嵐山地域で営業を担当した後、2018年に独立・起業。アフリカ布の輸入や手描友禅の輸出、アフリカ地域のカルチャーと日本企業のビジネスマッチング事業を展開している。