賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ

- 2024元日 文化人メッセージ -

中江裕司

豊かなものは、どこかで
京都とつながっている

中江裕司
映画監督

生まれ育った京都を離れ、沖縄に移り住んで40年余り。両親の墓参りの際、京都で会った兄が、「お前たちが大人になる頃に日本はまた戦争をしているだろう」と、親父が言っていたと教えてくれた。兄は大分県で古民家を再生し、畑を作り、海で魚を捕って、自給自足の美しい生活をしている。
「土を喰らう十二ヵ月」という映画を監督した。信州の山奥で約1年半撮影した映画なのだが、知らず知らずのうちに京都時代の生活が顔を出す。ぬか漬けを食べた親父は「漬かりが浅い」とか「これはひね過ぎや」と、よく言っていた。農家出身の母は、親父の文句を聞いて次の漬物をおいしくしていた。家族全員が母のお漬物が大好きだった。親父の言葉は、映画で主人公を演じた沢田研二さんの台詞となった。
原案の「土を喰う日々」は、水上勉さんが典座修行をした京都の禅寺での体験が元になっているし、主演の沢田研二さんも京都出身だし、そして私も京都。この映画には京都の文化が根底にある。
先日、山形県の庄内地方に行った。ここはとてもうまいものが食べられる土地。野菜や味付けが舌に合う。舞妓さんもいて、庄内・酒田には京都の言葉が今も残っている。江戸から明治時代には北前船で京都文化と直結していたらしい。なるほど、舌に合うはずだ。それに加えて地元の在来野菜がうまい。京都からお坊さんが持ってきた京野菜の種や、月山で修行する山伏が持ち込んだ種もあるという。豊かなものはどこかで京都とつながっている。
映画の中に、ごま豆腐を食べるシーンがあり、信州の人たちが「こんな都のものはめったに食べられない」という台詞があるが、庄内の人たちに「あの台詞はおかしい」と言われた。庄内では行事食としてしょっちゅうごま豆腐を食べているからだ。これもきっと京都文化だ。
京都に行くたびに、生活を楽しむ文化があると思う。お寺や神社、歴史を感じさせるものがあちこちにあり、日々、当たり前のように美に触れて生活している。着物だって着るし、お抹茶も普通に頂く。吉田健一さんが「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」と書かれていた。戦争の被害を受けた沖縄で生活をしている身から思うのは、京都で応仁の乱以降、戦争がないと言われるのは偶然ではなく、生活を楽しむことが戦争を遠ざけ、千年という時間が文化を育てたからだろう。京都に立つと美しい生活を実感し、私たちの行くべき未来を示されているように思う。

◉なかえ・ゆうじ
1960年京都市生まれ。洛北高、琉球大卒。92年に沖縄を舞台にした映画「パイナップル・ツアーズ」を共同製作。99年、映画「ナビィの恋」で芸術祭選奨新人賞受賞。2022年に京都ゆかりの直木賞作家、故・水上勉さん原案の映画「土を喰らう十二ヵ月」を製作し、信州の四季折々の食材を交えながら人間模様を描いた。

©2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会