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経済面コラム

文化がつくる未来

- 2025元日 文化人メッセージ -

関根秀治

深まり高まっていく
心と型のらせん

関根秀治
学者(伝統文化・茶道思想)

お茶と人の生きざまに関し、中国に古くからの言い伝えがある。それは、お茶は「第一煎は甘味が出る。第二煎は苦味が出る。第三煎は渋味が出る」と。日本でも若者には「まだまだ甘い」と、中年の男性には「苦味ばしってきた」と、また、60代を越えてくると「なかなか渋いね」と言う。ただ、この苦味や渋味は時間の経過とともに自然に、また誰にでも備わるものではない。その道を真摯(しんし)に歩み、創意工夫を重ねることによって生まれる。単に生活上の技(術)が磨かれるだけではなく、その技と共に高まったとか深まったという心が姿ににじみ出てきたのである。この心と技(術)を共に高め、深めるものを「藝(げい)」という。
この藝を追い求める伝統文化を「藝道」といい、茶道、華道、能、日舞などがこれにあたる。この藝を学ぶためには、「啐啄同時(そったくどうじ)」というように、師と弟子の息が合い、心を通わせる学びが必要であり、その場は「社中」という民間の教育機関である。
この社中は学校とは異なり、入門は随時、卒業という考え方がない。老若男女が共に同じ場で学び、弟子が多くとも師の教授は弟子と一対一である。成績が数値化されることもない。
社中での茶道の学びは、まずは「型」から入る。型とは、千利休はじめ先匠方の茶道の心の表現体である。利休の残した型からその心を学ぶのである。そして、その型から得た心がまた型を生む。その型がまた心を生む…。心と型がらせん状に深まり高まっていく。その深まり高まっていく心と型のらせんこそが茶人の心と姿といえる。例えば亭主の点前は初心者であっても何十年も稽古を重ねた師範であっても、亭主の座る位置も道具を扱う所作も手順も変わるものではない。しかし、その茶人の姿(型)を見る人が見れば「奇麗」から「美しい」、そして「円熟」「見事」「名人」「達人」などと、その違いを言わしめることになる。
さて、冒頭の茶と人の生きざまの話に詰めがある。それは、「第三煎を超えた味を淡という」である。荘子の「君子の交わりは淡にして水の如し」の淡と水である。水とは無味、無臭、無色であるが、ここでいう淡とは甘味も苦味も渋味を含んだ上で、水のようにさらさらとした境涯と人間同士の交わりをいう。このように茶道の最終目標は己事の究明である。現代は、速成や簡便さが優先されがちな風潮でもあるが、茶道の求めて急がず、厳しくかつ楽しく、の世界が自己の再発見にきっとつながっていくと思っている。

◉せきね・ひでじ
1946年生まれ。宝塚造形芸術大(現宝塚大)大学院造形芸術学研究科博士後期課程修了。博士(芸術学)。現在、学校法人平安女学院副学院長、平安女学院大特任教授、同伝統文化研究センター所長。裏千家教授。元茶道裏千家淡交会副理事長、京都大大学院非常勤講師などを勤める。著書に「綜合藝術としての茶道と易思想」「茶道と中国文化」他。