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- 2024元日 文化人メッセージ -
詩歌の神として
宮中からのあつい信仰
橘 重十九
北野天満宮 宮司
昨秋、菅原道真公(菅公)を祀る神社の宮司として大変うれしく思うことがありました。江戸時代に宮中から北野天満宮に奉納された天皇、上皇、公家が詠まれた和歌約2500首を「聖廟法楽和歌集」として発刊することができ、それに伴う感動的な事実が分かったからです。「聖廟法楽」とは、ご祭神の菅公を芸や詩歌でお慰めすることを言い、宮中では膨大な数の和歌を詠みご神霊をお慰めしてきたのです。
和歌短冊は、長年ご本殿内陣の奥深くに納められ、昭和初期には、宝物殿に移されましたが、「皇室奉納の大切なもの」として誰の目にも触れることなく丁重に保存されてきました。このたび京都大の先生方に調査いただき、無事完了したことに伴い、和歌集の発刊となった次第です。
霊元上皇の仙洞御所では、1687(貞亨4)年6月〜90(元禄3)年5月までの3年間、25日のご縁日に37回にわたって「聖廟月次法楽」が開かれ、毎回50首、計1850首もの和歌が詠まれ、奉納されてきました。三光門に掲げられた「天満宮」の額は後西天皇の勅額で、ご本殿前中庭には霊元天皇ご寄進の石灯籠1対もあり、改めて皇室の信仰のあつさに頭が下がります。
さらに感動したことは「古今伝授」後に奉納された和歌が、600首も見つかったことです。「古今伝授」とは、勅撰和歌集「古今和歌集」の解釈を、精通した師から弟子に伝えることで、伝授後には歌会を開き、歌神に和歌を奉納するのが慣例でした。1664(寛文4)年、後水尾法皇から後西上皇への伝授を最初に、霊元、桜町、桃園、後桜町、光格、仁孝の各天皇が伝授され、その後、住吉大社(大阪市)と玉津島神社(和歌山市)に和歌が奉納されています。江戸時代の「和歌三神」とは、この両社のご祭神と柿本人麻呂と言われ、当宮へ奉納があったことは知られていなかったのです。しかも7回の古今伝授後に当宮へ奉納された600首は、住吉、玉津島の両社より250首も多く、当宮が和歌の神として格別の崇敬を受けていたことが見て取れるのです。従って世間とは関係なく、宮中では「和歌三神」は、北野、住吉、玉津島という中世からの伝統が江戸時代も途切れることなく続いていたのです。
新年を迎え、2027年の「菅公御神忌千百二十五年半萬燈祭」まであと3年となりました。この「聖廟法楽和歌集」の発刊によって、菅公の詩歌の神としての偉大さを改めて知らしめることができただけでなく、国文学や歴史学の研究に僅少ながら役立つならば、菅公への無上の法楽になろうかと思っています。
◉たちばな・しげとく
1948年石川県生まれ。延喜式内社宮司社家25代に生まれる。会社員を経て74年より北野天満宮に奉職。禰宜、権宮司を経て、2006年から現職。その間、北野天満宮ボーイスカウトの創設に尽力。京都府神社スカウト協議会会長として青少年育成活動に努めた。全国天満宮梅風会会長。京都府神社庁理事。