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経済面コラム

思い描く、未来

- 2026元日 文化人メッセージ -

高野知宙

人間が想像するから「それらしい」

高野知宙
作家

平安神宮の神苑を眺めていると、いかにも古都という感じがする。移ろいゆく四季に、悠久の歴史を映してきたかのような池。しかしこれは京都が都であった頃には存在しなかった景色だ。平安神宮は明治時代に平安遷都1100年を記念して創建された、近代的史跡である。 
京都にはこうした古いように見えて新しいものがよく混ざっている。なにも、皆が思い浮かべる古都が幻想に過ぎないだとか、そんな無粋なことを言いたいのではない。私にとってもその景色は原風景らしきものの一つだ。それでいいと思っているし、このイメージへの共感が文学を豊かにするとさえ考えている。
特に歴史小説ではこの類のイメージの重なりと多少の誇張が欠かせないと思う。歴史学的に考証をしたらふさわしくなくても、それっぽければ事実と違ってもいいということではなく、「それらしさ」というのは事実と別にあっていいのではないか、ということだ。2025年はこうして史実と想像にできるだけ前向きに折り合いをつけながら筆を進めた一年だった。
「それらしさ」は歴史小説に限った話ではなく、文学、ひいては芸術、あるいは日常の会話にも言えることである。面白かった出来事を人に話しているうちに、もう少し笑わせたくて「それらしい」尾ひれがついて、後からどこまでが本当だったか分からなくなることは、誰しもあると思う。それと同じで、自分が過去や現在を書く時、それはありのままの事実を写しとったものとは限らない。そこには脚色も誇張もある。まだ見ぬ未来を見てきたかのように書くこともあるだろう。想像するだけで泣いてしまうこともあるくらい鮮明な未来を。
でもそれは、嘘でも不誠実な行為でもない。事実をその想像で補ったということ自体、あるいは、想像しようとした心の動き自体に、その時の私の中にしか存在しない文脈があって、それはもはや一つの事実といえるはずだ。私がこう考えた。その事実に立ち自分を主語にするエゴが許される点で、創作の懐は広い。
だから未来の人たちに、私の描くものが事実だと胸を張ることはできない。辻褄の合わないことなどいくらでもある。でもこれが私にとっての現実だったりする。だから自分の見てきた歴史を、今を、事実ではなくとも人生の中の現実として描いて、タイムカプセルのようにしたい。人の心を動かすのはそういう遊び心のある現実だと思う。人間がやるからこそ「それらしさ」のある想像を、これからも膨らませていきたい。

◉たかの・ちひろ
2005年神奈川県生まれ。現在は京都の大学に在学中。22年、明治初期の京都を舞台に失明の運命にある三味線弾きの少女を描いた「闇に浮かぶ浄土」で第三回京都文学賞中高生部門最優秀賞を受賞、大幅な加筆を経て「ちとせ」と改題しデビュー。最新刊に、学問を知り自由民権運動の波に飛び込んでいく青年たちを描いた「その糸を文字と成し」がある。