文化がつくる未来
- 2025元日 文化人メッセージ -
「いわれ」という記憶の装置
香西豊子
医学史家/医療社会学者
年明け間もなくより悪疫が私たちの生活と生命を脅かしはじめた2020年から、5年が経過した。当時はみんな大変な思いをしたはずだが、喉元を過ぎたか、今ではほとんど話題にならない。はやり廃りが常なのは、人の世も疫病も変わらない。
その点、京都は少し特殊な土地のようである。人口が集積し、何百年もの間、宿命的に疫病に付きまとわれてきたことから、「いわれ」という記憶の装置を発達させた。京都盆地のそこここに、あるいは日々の暮らしの端々に、疫病は痕跡をとどめている。人の口端に上らないからといって、忘れられたわけではないのだ。
例えば、祭り。今宮祭(今宮神社)、祇園祭(八坂神社)をはじめ、大小さまざまな祭りが、疫病をはらう祭礼に「いわれ」を持つ。他にも、地名。京都市左京区の、今出川通と東大路通の交わる大きな交差点は、「百万遍」と呼ばれるが、これは交差点北東に位置する知恩寺で鎌倉時代末期に行われた仏事に由来する。疫病を鎮めるため「南無阿弥陀仏」を100万回唱えたところ、効験があったのだという。
「いわれ」を通して、疫病が自然と忘れられずにいる。京都はやはり特殊である。私のような他郷から来た者には、特にそう映る。苦い経験を未来へと、できるだけ生活に沿うかたちで伝えようとした古人らの思いが感じられる。
1年の始まりからして、そうである。数年前、お年始のあいさつの席でお茶を呼ばれた。母と姉がお茶をするので、お茶請けの花びら餅は、田舎者でもなじみがあった。
だが、お茶をいただいた瞬間、「うっ」と固まった。これは間違って梅昆布茶に煎茶を注いでしまわれたか、それとも新手の「いけず」か。いやいや、ご亭主にかぎって、と一人問答をする。その場は笑顔で取り繕い、帰って調べて驚いた。
それは新年に無病息災を願って供される、京都では千年以上の歴史を持つ「大福(おおふく)茶」だった。その昔、都に疫病が流行した時、六波羅蜜寺の空也上人が病人に振る舞い病を癒やしたという「いわれ」を持つ。ここにもあったか、と半ば痛快である。と同時に、文字だけで医学史を研究することの薄っぺらさを痛感した。
そうだ、今年の初詣は六波羅密寺にお参りしよう。
一服、一服と、つがれてきた大福茶をいただきに。あの特有の味も、世の病苦を取り除こうとした意志の名残と思えば、きっと良薬と感じられるに違いない。
◉こうざい・とよこ
1973年岡山県生まれ。佛教大社会学部教授。東京大総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。2013年佛教大社会学部講師、18年同准教授を経て、21年より現職。著書に「流通する『人体』」(勁草書房、07年)、「種痘という〈衛生〉」(東京大学出版会、19年)、編著に「疫病と人文学」(岩波書店、25年近刊)がある。