日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ
- 2024元日 文化人メッセージ -
「過去が咲いてゐる今
未来の蕾で一杯な今」
鷺 珠江
河井寬次郎記念館学芸員
2024年が幕を明けました。おめでとうございます。新年を迎えての気持ちとして、陶工・河井寬次郎の言葉、「過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今」が思い浮かびました。
去り行く昨年、新たにやって来る本年、そこには一つの区切りがあるものの、過去の花と未来のつぼみであふれかえるいつもの美しい繰り返しの日常があります。毎日毎日、過去の花が咲き、未来のつぼみが膨らんでいます。
さて、1973(昭和48)年に遺族の手で開館した河井寬次郎記念館は、おかげさまで昨年開館50周年を迎えました。それまで家族で暮らしていた家を一般公開して、気付けば半世紀……。これも多くの皆さまのおかげと感謝しております。
現在は世界中の見知らぬ方がお越しくださいますが、昔から河井家は寬次郎を訪ねるお客さまでにぎわう家でした。寬次郎の「暮しが仕事、仕事が暮し」の言葉通り、本人が設計したあの家で、普通の日常の暮らしと、作陶をはじめとする創作活動と、お客さまとの時間が、分離することなく流れていたのでした。
そんなお客さまには必ずお茶やお食事をお出ししていました。それは寬次郎の家内や娘、また当時京都郊外の丹波や丹後、若狭や島根などから洛中に結婚前の行儀見習いで来られていたお手伝いさんたちのお力をお借りしてのもので、女性陣にとっても大変忙しい日常でした。ですので、京都でいう「ハレ」(特別な日)と「ケ」(普段の日常)は、河井家においては、毎日が「ハレ」のような日々でした。
そして本来「ハレ」であるお正月は、河井家においては、むしろ少し静かなものとなり、家族で新年のあいさつをし、白みそのお雑煮とお節で祝う穏やかな元旦でした。そうこうするうちにまたお客さまをお迎えする忙しい日常になりますが、変わらぬものは、いろり場のしめ縄と餅花です。年末に新しくするそれらは、河井家においては、年中外さず飾られていました。そこには寬次郎の、いつも新たな気持ちで日々を迎えようという思いと、しめ縄や餅花の持つ造形の美しさを楽しむ気持ちがあったと思います。
多くの交流があったこの場所が、本人亡き後もこうして多くの方々にお越しいただいていることは、不思議で有り難いことです。
「此世は自分をさがしに来たところ、此世は自分を見に来たところ」
「どんな自分が見つかるか、今年」
世界中の皆さまにとっての今年が、どうかより良きものでありますように……。
◉さぎ・たまえ
1957年京都府生まれ。大正から昭和にかけて活躍し、「用の美」を追求した京都の陶芸家・河井寬次郎の一人娘・須也子の三女として生まれる。同志社大文学部卒業後、河井寬次郎記念館学芸員として勤務。祖父・寬次郎にまつわる展覧会の企画、監修や出版、講演会、資料保存などにも携わる。