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- 2026元日 文化人メッセージ -

実方葉子

100年を超えて伝わる職人の仕事

実方葉子
美術館学芸員

この1年余り、110年ぶりの大手術に立ち会ってきた。もちろん、人間ではない。私の勤務する泉屋博古館所蔵の掛け軸「佐竹本三十六歌仙絵切」のことだ。描かれるのは平安朝の歌人源信明。月の夜、心通じぬ相手を思う恋心の和歌とともに、頰を染め視線を落とす貴公子が淡く輝く余白に浮かぶ。
春翠と号した15代住友吉左衛門の愛蔵品で、同家伝来品を継承した泉屋博古館を代表する一点だ。もともと佐竹本は古代の名歌人の姿が連なる2巻の巻物。鎌倉初期の作で歌仙絵の最高峰とされたが、あまりの高評価に買い手がつかず海外流出の危機にあった1919(大正8)年、さる重鎮の発案で一歌仙ずつ分け抽選販売されることとなった。その「源信明」を入手した春翠は、信任する表具師井口邨僊とともに表装裂の吟味を重ね、落ち着きと華やぎをたたえる掛け軸に仕立てた。三重の箱には春翠の謹厳な筆跡が遺され、出し入れするたびに背筋が伸びる。
それから100年余り、展示室ではライティングで目立たないものの無数の折れが生じ、割れて画面の一部が剝がれ落ちる恐れがあった。展示するたびに冷や汗をかく日々が続いた。
そもそも掛け軸の書画は背面に幾重にも数種の薄い和紙が重ね貼りされており、絶妙なバランスでしなやかに絵を支える。その裏打ちも年月とともに脆弱化する。100年に1度はそれらを取り除き裏打ちしなおすことで、劣化を留めしなやかさを取り戻してきた。今に伝わる古画の背後にはそんなバトンリレーがある。
作品を守るためとはいえ、一度はメスを入れることになる。託したのは京都で長年文化財の書画修理を手掛けてきた装潢の工房。伝統の技・素材と最新の科学知識を併用し難事業にも取り組んできた熟練技術者にとっては、比較的見通しやすいケースだった。とはいえ、たどってきた過程の異なる古書画はどれ一つ同じ状態ではない。清潔で整然とした畳敷きの工房では、正座した技術者たちが指先に神経を集中させ黙々と作業を進める。
作業中何を考えているのかと技術者に尋ねたとき、印象深かったのは「前回仕立てた職人の仕事を観察している」という答え。微細なのりの加減、裏打ち紙の厚みから、判断の的確さ、細やかさが伝わるという。100年前に仕立てた表具師はこの作品のあるべき姿をよく理解していると。先人との対話を重ね作品の来し方と行く末を見据え処置していく。修理の終盤、軸木に修理の年代と施工者、依頼主、助成者の名をしたためた。掛け軸の下辺に取り付ければそれは表装裂に隠れてしまう。100年後、われわれの思いはどこかの技術者に伝わるだろうか。

◉さねかた・ようこ
1969年兵庫県生まれ。公益財団法人泉屋博古館学芸部長、主席学芸員。専門は近世から近代の日本絵画史。京都大大学院文学研究科博士課程修了(美学美術史学専攻)。97年より泉屋博古館の学芸員として住友コレクションの日本中国書画を担当。修理後の佐竹本は2026年4月泉屋博古館特別展「文化財よ永遠に2026」にて公開。