日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ
- 2024元日 文化人メッセージ -
あなたを慰めることで
私も癒やされる
片山九郎右衛門
観世流シテ方能楽師
「とうとうたらり、たらりら……所千代までおはしませ。我等も千秋さむらはう」─能役者の正月はまずこの「翁」の謡から始まります。物心ついた頃から意味もよく知らず口ずさんでいたような気がします。「翁は能にして能にあらず」と能役者が特別大切にしている演目です。
謡の稽古をする上では、実は結構な習い物になっているのに、子どもにも謡い慣れるように導いているのは不思議なのですが、何となく得心がゆきます。言葉の意味も知らない頃から大人に混じって謡う中で、何か言葉だけでは言い表せないものに対しての畏敬の念や、強い祈りの気が練られてゆくと思うのです。今でもはっきりとした意味が分かったわけではないのでお恥ずかしいのですが(笑)。
「天より例えようのない香気がどうどうと絶え間なく流れ落ちてくる。人々は頭を垂れことほぎのことあげをする。千代万代も永久にここにいてください。私たちも千年万年御心に添い侍りますから~と勝手にそのような祈りを込め勤めさせていただいております」。
能役者も多種多彩な人間がおりますが、この時ばかりは「何事のおはしますとは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」といった気持ちに自然と入ってゆくのです。
能を演じるにあたって、実はこのことはとても大切なことです。ある意味、短時間でこのような気持ちに入ってゆくのは技術かもしれません。天の清浄なる香気に対して真っすぐにぬかずく敬愛の心は、舞台の上で他者の言葉に耳を傾ける能力を養い、そして慰めることができるようになるのです。能は主人公として登場する者を慰める演劇なのです。そして舞台に上がっている間はその世界の中で生きる私たちは本気で本音をぶつけ、相手役は慰めなくてはなりません。それが成り立った舞台を大事にするのです。
ところで能に描かれる神様はさまざまな悩みを人にぶつけてこられることもあります。今度は人が神様を慰めるのです。神様だから必ず人を慰め、何かをギフトするのではなく、互いにあなたを慰めることで私も癒やされる。そんな関係を能は描いているのです。祈り願う者に対して、耳を傾け慰め、癒やしをもたらす者。どちらが先かはあまり関係ないことのように思います。ここ数年、世界は新型コロナウイルスによる惨禍も含め苦難が続き、心すさむことも多かったと思います。しかし、今年こそリセット。
正月にはまず雑念を払い、真っすぐな気持ちのみでのぞみ、心の耳をひらき、祈ってみてはいかがでしょうか。
◉かたやま・くろうえもん
1964年京都市生まれ。父の九世片山九郎右衛門と八世観世銕之亟に師事し、全国各地・海外で多数の公演を行うほか、能楽の普及や後継者育成に取り組む。2011年十世九郎右衛門を襲名。17年観世寿夫記念法政大学能楽賞、23年京都教育功労者表彰ほか受賞多数。重要無形文化財保持者(総合認定)。京都観世会会長、片山家能楽・京舞保存財団理事長を務める。