日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ
- 2024元日 文化人メッセージ -
1200年という時間の積層
都市は変わり、生き続けていく
魚谷繁礼
建築家
疫病を鎮めるため始められた祇園祭は、コロナ禍での中断を経て、2022年、23年と巡行が行われた。コロナ禍のただ中である20年から21年にかけ、郭巨山の会所の増築計画の設計に携わった。郭巨山会所は母屋と土蔵により構成される。共に、明治期の市電開通に伴う四条通の道路拡幅によりその敷地を狭められた後、大正年間に新たに建てられたものである。これまでおよそ100年間、スペースの狭さに苦しみつつ、近隣の建物も活用してどうにか運用されてきた。郭巨山会所のような建築基準法施行以前に建築された建物に対し増築を施すのは同法上、容易ではなく、ビルへの建て替えも検討されたが、郭巨山保存会や市との協働により、同法適用除外としつつ、同法の基準と同等以上の安全性を確保する計画により増築が実現された。スペースを確保し、地震や火災に対する安全性も確保されたこの建築は、今後また100年、200年と引き継がれていくであろう。工事にあたっては保存会の皆さん自らが土を練り、壁を塗った。資本主義の仕組みに容易に流されず、保存会自らの意志で既存建築の保全を決断し、自らの手で新たな増築部の建築をつくることにより、この建築は、そのまま保存するのでもなく更地にして開発するでもないかたちで、後世へと継承されることとなったのである。
僕は京都に住み、京都を拠点に仕事をしている。古いものは遺したい。同時に現代、あるいはこれからの時代にふさわしい建築もつくっていくべきであろう。町家のような建築はどうすればいいだろうか。復元?保存?あるいは大胆に改修してしまってもいいのだろうか。なんであれさすがに町家は遺した方がいいのだろうけど、それでもなぜ、遺した方がいいのだろうか?
京都は794年に建造された「グリッド(格子状の)都市」であり、1200年の間、人々がすみ着くことで、形式を変えることなく、しかしその構造を変容させながら生き続けてきた。町家はその中で生み出された京都型住居モデルである。さまざまな事象が幾重にも重なりながら現在があり、現在も都市は変わり続けている。都市はこれからも生き続けていくだろう。そのような時間軸の中で、僕らは今、京都に住み、京都で建築をつくっている。歴史性や地域性といった都市のコンテクスト(文脈)を、できれば空間として享受できるような建築をつくりたいし、都市のコンテクストをただ消費するのではなく、1200年という時間の積層した上にまた新たな価値や意味を重ねることで、これからの将来のより豊かな都市居住につなげたいと思う。
◉うおや・しげのり
1977年兵庫県生まれ。2003年京都大大学院工学研究科修了。現在、魚谷繁礼建築研究所代表。京都大、京都府立大、京都建築専門学校で非常勤講師。京都を拠点に国内外で建築設計や地域計画に取り組む。20年より京都工芸繊維大特任教授。23年に「郭巨山会所」により日本建築学会賞(作品)受賞。