文化がつくる未来
- 2025元日 文化人メッセージ -
夢の浮橋
今西善也
ZENBI―鍵善良房―
KAGIZEN ART MUSEUM館長
毎朝、犬と散歩をしている。クリーム色のフレンチブルドッグはもう10歳を過ぎてだいぶ白くなったけど、まだ日が出る前に僕を起こして連れ出してくれる。家の近くの疎水沿いの遊歩道は僕らのお気に入りの道だ。もうぐいぐいと歩くほど若くはない僕らは、とぼとぼと木々が生い茂る道を歩く。冬は澄み切った空気の中を西の空に浮かぶ月を眺め、春は花々が咲くのを楽しみに、夏はにぎやかな鳥たちの声を聴き、燃えるような朝焼けを見て、秋は虫の音の中、色づく木々の葉に思いふける。長い1日の中ではほんの少しの時間だけど、僕にとってはとても大切な時間。
僕はお菓子を作っている。そのお菓子は味が一番大事で、その次が色や形。そして季節感。毎日の散歩の中で季節の移ろいを感じ、それをお菓子にするのが僕の仕事だ。景色も変わるし、それを感じる僕も変わる。昨日と同じ景色はないし、去年も来年も同じようで少し違っている。たぶん元旦もいつものように、そしていつもと少し違った景色の中を僕らは歩いている。
思えば、千年前の京都に住む人たちも同じように季節の「うつろひ」を見ていたのだろう。それは今でも残された詩や物語、絵といった美術や工芸の作品だけでなく建築物や名もなき人々の使った道具の中にすら感じられる。限られた時間の中、日々の暮らしで感じた思いは残されたモノやコトを通じて現代の人々の心の奥に響く。いや響かせたい。
「現代の僕らは忙しくてそんなことをしている時間はないんだよ」と、言われるだろう。朝起きて、歯を磨き、寝癖を直したり、化粧をしたり、電車やバスで学校や仕事場へ行く。その間に、食事を作ったり、洗濯や掃除をしたり、家族の世話をしたり。みんな忙しい。でも、その慌ただしさのふとした隙間に、目に入る、聞こえる、匂うモノに心を震わせる。その一瞬を大事にしたい。その一瞬に距離も時間も飛び越えて、誰かの思いと共鳴する。
2025年の元旦に犬と見た景色を僕はお菓子にするかもしれない。古人の残した「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるるよこぐもの空」という歌から「夢の浮橋」という言葉をもらって、その菓子に銘を付ける。そしていつかどこかでこのお菓子を食べた人が、その歌に触れて心を震わせるかもしれない。
僕は京都の大きな流れの中にある小さな飛び石のようなものだ。ちっぽけなお菓子で人と人の心をつなぐ。そして時空を超える。
そんなことを犬との散歩の時に考えた。さあ早く行くぞと犬がこっちを見ている。
◉いまにし・ぜんや
1972年生まれ。祇園町の菓子屋・鍵善良房15代目当主。大学卒業後、東京の菓子屋にて修業の後、2008年、父の意向で当主に。伝統を守りながらも、常に時代に合った菓子作りを心がける。12年、和菓子とコーヒーを楽しめる空間「ZENCAFE」を、21年、美術館「ZENBI」をオープン。23年度文化庁芸術選奨新人賞受賞。ZENBIでは3月9日㈰まで「鈴木悦郎展」を開催中。