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経済面コラム

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- 2026元日 文化人メッセージ -

梅原賢一郎

自然と調和し、文化が花咲く都

梅原賢一郎
梅原記念財団代表理事

京都は、中国の条里制を模して造られた、その意味で、人工的な都市ですが、家の庭に、小鳥が舞いこみ、一歩、山に踏み入ると、野生のキツネやタヌキやシカやイノシシにも遭遇する、自然が間近にある都市でもあります。いってみれば、天秤ではかられたかのように、自然と人工とが絶妙に調和した都市です。
また、すぐれた宗教都市でもあります。眺望をすれば、大きな寺院の屋根瓦が見え、狭い路地を曲がれば、小さなお寺の土塀が目に入ります。市井には、大中小の社が鎮座し、小さな祠に至っては数えるのもままならず、いろいろな神霊が祀られています。朝に晩に、仏壇や神棚にお供えをし、礼拝をする家も少なくはありません。見えるものばかりではなく、京都の街は、見えない神や仏や死者たちであふれているといっても決して間違った表現ではありません。
そして、特筆すべきは、東山三十六峰です。比叡山延暦寺を起点とし、連なる山々の麓には、同じ仏教を名乗りながらも、宗派を異にする、あまたの寺院が甍を並べています。地球上のどの地域にも見られない光景です。どう表現すればいいのか、インドや中国で迸り出た大乗仏教の流れは、それらの地では水が枯れつつも、ユーラシア大陸の東端の島国で、さまざまな支流が融け合わさり、「大乗仏教の錦の帯」がごとき風情を呈しているとでもいえばいいのでしょうか。
この都市に、文化は花咲きました。あまたの歌人や文人が、この地で生まれました。あまたの俳人や芸能者や宗教者が、この地を往来しました。往時のさまは、歴史的な建築物や美術品として、無形の芸能形態として、文学的なテキストとして、今日に至るまで伝えられ、この地で、それらを追慕することができます。
また、しばしば話題にされることですが、京都の研究者仲間での最大の褒め言葉は「おもろい」であるといわれます。少なくとも、一昔前まで、大学の研究室において、「おもろい」は死語ではありませんでした。ですから、情報量を競うだけの学問や、お誂えの概念で分析しただけの学問は、当然、一級の学問ではありませんでした。学問とは、知はもとより、どこか情にも響く、いわば、体に身に付いた「芸」としての学問、そのようなものだったと思います。ですから、大学の周辺には、あまたの「芸人」が闊歩していました。「芸人」のかっこいい姿かたちから、学生のみならず、京都の住民までもが、大いに、学びました。まさに、学問の都であったのです。

◉うめはら・けんいちろう
1953年京都市生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程修了。京都芸術大名誉教授。専門は芸術学・美学。著書に「カミの現象学―身体から見た日本文化論―」「感覚のレッスン」「肉彩」「洗濯屋さん道元」など。哲学者・梅原猛氏の遺志を次代に継ぎ、学術・芸術領域の画期的な取り組みに贈る「梅原猛人類哲学賞」を創設。今年、第1回受賞者を発表する。