賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

日々の暮らしに「善」を追求し、自らの意志で生きる時代へ

- 2024元日 文化人メッセージ -

伊吹勇亮

発信の前提としての情報受信
自らを客観的に見る

伊吹勇亮
経営学者

ゼミ生が話しているのを聞いていると、時々、「そういうとこやぞ」という言葉を耳にするようになった。周りが自分の言うことを聞いてくれない、と困っている学生がいる。そういう自分はというと周りの言うことを聞かずにいろいろ突っ走ってしまう。そして周りの仲間に「そういうとこやぞ」と言われてしまう。例えばこんな感じである。
この言葉、元は2000年代発祥、その後「ネット流行語大賞」(ガジェット通信主催)の2018年版にノミネートされた言葉なので、ネット上で流行したのは少し前のことである。野党政治家が(論理的に考えれば絶対に支持されるはずなのに)なぜ自分たちは支持されないのかと悩みながら、とんでもない上から目線で語ってみたり、壮大な〝ブーメラン〟をぶん投げたりした時に使われるのをネット上ではよく見かける。ようやく一般の学生も使い出したということかもしれない。
「ニコニコ大百科」によると「そういうとこやぞ」は「その人の無自覚な行動のせいで、あるいは自覚はあるが矯正できない行動のせいで、毎回同じような結果を引き起こしてしまう」ことを指摘するツッコミである。つまり、「オマエのそういうところがダメなんだぞ、だからこそオマエの望む成果が得られていないんだぞ」という意味である。自分自身のことを客観的に見ることができずにしでかしたことを、周囲が半ばあきれて発する指摘である。
筆者の専門は広報・広告に関わるマネジメントである。広報・広告というと、情報発信ばかりに目が行きがちであるが、それと同じくらい情報受信が重要となる。情報受信は、情報発信の前提として、自身や自身が置かれている環境がどのようなものなのかを理解するために行われる。つまり、自身のことを客観的に見る手段なのである。「そういうとこやぞ」と言われてしまうということは、ある種の視野狭窄状態に陥っているということである。
いちるの望みは、まだ見捨てられていないということである。「そういうとこやぞ」は、ツッコミであり、そして叱咤激励でもある。見捨てられているならば、そもそもツッコんでももらえない。「そういうとこやぞ」を食らった時には、深呼吸をして、一歩引いて、自分のことを客観的に見てみることで、名誉挽回のチャンスを見いだすこともできるのである。
ネット上で、リアルで、教育現場でも政治の世界でもメディアに対しても、「そういうとこやぞ」を聞く機会が減る、そんな1年になるといいな、と思う。自戒を込めて。

◉いぶき・ゆうすけ
1978年京都府生まれ。京都産業大経営学部准教授。2005年京都大大学院経済学研究科博士後期課程学修認定取得退学。専門は広報・広告と経営戦略・組織。長岡大専任講師を経て、09年より現職。日本広報学会常任理事・関西部会長を務めたほか、日本広告学会常任理事・関西部会運営委員長を務める。著書に「広報・PR論」(共著、有斐閣)など。