文化がつくる未来
- 2025元日 文化人メッセージ -
精神の活動は
言葉の壁を越え伝わっていく
井上奈奈
作家
海と山に囲まれた港町、京都府北部の舞鶴市で私は生まれ育ちました。
幼少期、目を閉じると自分の身体の細胞の一つ一つが外の世界に出たがっているイメージが繰り返されました。きっと私の身体全体が「ここではないどこか」を求めていたのだと思います。その思いをかなえたのは16歳の時。両親の反対を押し切り、留学制度を利用して私は単身アメリカへと渡りました。
アメリカでの生活は想像以上に過酷な日々でした。最初に指定されたホームステイ先は、家族4人が住むトレーラーハウス。私が彼らと共に暮らし始めると、ホストマザーの弟が刑務所から出所してきてさまざまなトラブルを巻き起こしました。その後も行く先々で、殺人未遂事件や貧困、差別など信じられないような問題に直面しながら高校生の私はアメリカで生き抜きました。アジア人が一人もいない地域で暮らしていると「日本から来た」と伝えても無反応な人たちばかりでした。しかし「『京都』から来た」と伝えると、彼らの眼差しの中に「文化への興味」を感じました。この出来事は、私の中で京都という場所の「特別性」について深く考える機会となりました。
私の著作たちは「美術作品のようで子ども向けではない」との評価をよく受けます。私の生み出す作品は、商業出版物では採用されることが少ない、活版印刷や箔(はく)押し、小口染め、特色、職人の手作業による布張りなど、特殊な仕様を頻繁に取り入れることが評価の理由だと考えています。私が装丁にこだわった本作りをするのは、物語を書くだけが自分の仕事ではなく、表現したい世界を読者に深く届けるために「本のたたずまい」が重要だと考えているからです。本が次々と電子書籍に置き変わっていく中、電子では代替え不可能な本を作りたい。そのためには、脈々と受け継がれてきた職人たちの素晴らしい技術や知恵の伝承を必要としています。そして子どもたちにこそ、美術館で名画を見るように、こだわり抜いて作られた1冊に触れてほしいのです。
2018年に私の著作「くままでのおさらい」がドイツで開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞しました。小さな出版社が生んだ職人による手製本が、各国のブックフェアを巡回する様子を見ていると、私が学生の頃に感じた京都という土地の「特別性」に重なりました。精神の活動は言葉の壁を越えて伝わります。これからも、国や時代を超えて受け継がれる本を紡ぎ続けていきます。
◉いのうえ・なな
16歳で単身アメリカへ留学。武蔵野美術大卒。2018年、絵本「くままでのおさらい」が「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞。21年、エッセイ「星に絵本を繋ぐ」を刊行。23年「PIHOTEK」にて日本絵本賞大賞受賞。24年、先駆的な活躍で功績の著しい女性に贈られる「京都府あけぼの賞」に選出。