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- 2024元日 文化人メッセージ -
マンガ文化は「越境」する
伊藤 遊
マンガ研究者
2024年は、鳥山明によるマンガ作品「DRAGON BALL」が、掲載誌「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載開始された年からちょうど40年目にあたる。どんな願いも叶えてくれる「ドラゴンボール」を巡る冒険物語として始まり、後に武闘バトルものとして熱狂的人気を得ていった。
連載終了時の1995年には、掲載誌の部数を653万部とし、マンガ出版の売り上げ全体を出版史上最高の5864億円まで押し上げた立役者と言っても過言ではない。実際、この年以降、紙のマンガ出版の売り上げは下降の一途をたどる。しかし、近年は電子版マンガの売り上げが伸び続け、2020年には、マンガ出版全体の売り上げは1995年のピークを越え、現在も好調を保っている。
「DRAGON BALL」の功績としては、そのアニメ版が、90年代後半、「美少女戦士セーラームーン」などと一緒に、日本のマンガの魅力を欧米に伝える大きなきっかけとなったことも挙げられる。重要なのは、欧米における日本マンガ人気が国内に聞き及ぶに至って、マンガに関心を持っていなかった人たちのマンガに対する認識を大きく変えたことだ。国は「クールジャパン」政策を打ち出し、地方自治体はマンガを町おこしの起爆剤とみなすようになった。その奥深さを知りたいという人々の要望を背景に、マンガはアカデミックな研究の対象となり、公立美術館では多くのマンガ展が開催されるようになった。一部のファンのサブカルチャーでしかなかったマンガ文化はいまや、公共空間を埋め尽くしている。
海外に広がったマンガはどうなっただろう。欧米では、日本マンガスタイルを取り入れた独自の「MANGA」が生まれた。韓国では、オンラインのアプリで読む縦スクロールマンガに進化し、日本の読者はそれが韓国の作品と知らずに楽しんでいる。筆者の職場の一つである京都国際マンガミュージアムでは現在、「アフリカマンガ展」を開催中だが、この展覧会の準備のために訪れた北・西アフリカ諸国でも、近年、日本マンガのスタイルで自己表現する若者たちが次々と現れ始めていることが分かった。考えてみれば、日本のマンガも、19世紀のスイスで発明されたコマ割りマンガが、20世紀初頭前後にフランスやイギリスを経由して日本に輸入され、独特の発展を遂げたものである。文化は、「ボーダーレス」をもたらすわけではない。「ボーダー」はそのままに、「越境」を果たすからこそ、その地で独自に解釈され、フュージョンを起こして、豊かなバリエーションを生むのである。
◉いとう・ゆう
1974年生まれ。大阪大大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。京都精華大国際マンガ研究センター特任准教授。専門はマンガ研究・民俗学。近年のマンガ研究のテーマは「学習マンガ」と「マンガ展」。立ち上げから関わっている京都国際マンガミュージアムを中心に、国内外で、数多くのマンガ展の制作を行っている。