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経済面コラム

思い描く、未来

- 2026元日 文化人メッセージ -

荒俣 宏

人間の知恵の力を信じて、
自分自身の庭を耕そう

荒俣 宏
作家

何か悪いことが起こりすぎやしませんか、最近は?まさか熊にまで脅かされるとは思わなかったし。それでも、18世紀に発生したマグニチュード8・5を超える大地震が、ポルトガル・リスボン市を津波と大火事で破壊し、死者も6万人以上を記録したときよりは、マシだったか。たしかに、当時の欧州は「最善説」が信じられていた。万能の神が世界を破滅させるような災害を許すはずがない、これでも不幸中の幸いだったのだ、と信じていた。この根拠なき安心感を「楽天主義」とも呼んで。でも、フランスにヴォルテールという哲学者が出て、地震から戦争、迫害、略奪などあらゆる災いを乗り越える楽天主義者の物語を書いた。最後は、最愛のお姫様とも結婚できて、楽天主義は最後に勝つと思わせたところで、夢に描いていた「女神」がすでに年老いていたという、最大の絶望を味わわせるのが残酷すぎる。そう、なんともものすごいこの小説「カンディード」は、「最善説は嘘だ」と暴露するのが目的だったのだ。おかげで私たち現代人は、今や神頼みも哲学頼みもできない状態になっている。
じゃあ、未来に希望はないのか?今年は日本人もそこを考え直さなければ、安心を取り戻せないかもしれない。その意味でいうと、昨年が「熊」で締めくくられたことは、一つの光明だった。人間は熊より弱かった。文明社会は熊にも破られた。そんな基本的な常識を思い出して、改めて考えを変えてみる気になれた。18世紀の大災害でも、立ち直るきっかけは、ごく普通の哲学を思いだすことにあった。第一、フェイク情報としての楽天論を覆したヴォルテール自身が、「カンディード」の最後で、こう言い切ったのだからー「われわれは自分自身の庭を耕そうではないか」と。
自分自身の庭で、できれば自分と一緒に年を取ってくれたお姫様と力を合わせて、荒れた庭を再生させよう。弱い人間のつつましい知恵を信じて。さすがに、常識という知恵の力を信じた啓蒙時代の学者は、ただの思い上がりではなかったなぁ。

◉あらまた・ひろし
1965年慶應義塾大法学部を卒業。日魯漁業株式会社に入社、10年余りのサラリーマン生活を経て、独立。初めて書いた小説「帝都物語」がシリーズ500万部のベストセラーになる。「世界大博物図鑑」第2巻魚類編でサントリー学芸賞受賞。著作は300冊を超える。館長を務める京都国際マンガミュージアムは今年開館20周年を迎える。

所蔵:京都精華大学国際マンガ研究センター、京都国際マンガミュージアム