AI技術・DXの進展、日本文化の海外発信、インバウンドの爆発的増加など国内外で文化を取り巻く状況が大きく変化する中、京都ゆかりの文化人や伝統工芸の担い手らが12月10日、「日本人の忘れもの知恵会議 躍動する文化 未来へ紡ぐ」と題して京都新聞文化ホール(京都市中京区)で文化の継承について語り合った。コーディネーターは京都新聞総合研究所長の栗山圭子が務めた。
忘れものフォーラム
Forum
躍動する文化 未来へ紡ぐ
2024年12月/京都市中京区・京都新聞文化ホール
■ディスカッション
AI・DX…文化の継承とは
言葉は究極のデジタル
永田和宏氏(歌人、細胞生物学者)
世代問わぬ輪で活性化
宇髙景子氏(能面師)
次代より今を生きる人
長艸真吾氏(長艸繍巧房3代目、京繡伝統工芸士)
体験と説明、再考必要
財 剛啓氏(西日本旅客鉄道株式会社 理事 近畿統括本部京滋支社長)
―ご自身の仕事や日ごろ考えていることについてお話しいただけますか。
永田◉言葉は究極のデジタルだと考えています。デジタルとは一つ、二つと数えられるものを指します。風景写真を見たり、自然を眺めたりしている時、目に入るものは無数にあります。これは言ってみればアナログで、それぞれの要素は混在し数えられません。ただ、ある木に着目して「2本の木があります」と表現すると、風景の中から2本の木が切り取られ、それ以外の要素はたちまち後景へと退きます。私たちが世界を認識するということはアナログの要素を切り分け、デジタルとして捉えることにほかなりません。感情も多種多様で、風景や自然と同じようにアナログ的存在です。短歌は感情や風景を言葉にすることから生まれます。つまり、創作はアナログをデジタル化することだと言えます。一方で、短歌などの文学に触れたり、芸術作品を見たりすると心の中に何らかの感情が湧き上がります。文学や芸術作品といったデジタルの情報を感情というアナログに置き換えるのが読むや鑑賞するという行為です。
宇髙◉父は能楽師であり、自ら能面も制作していました。父の影響もあり、幼少期には能の舞台に立ち、小学校低学年から能面制作に取り組んできました。大学卒業後、あらためて能面の大切さや生まれ育った環境に目を向けたことで、先人が長く受け継いできたバトンを次世代につないでいきたいという思いが芽生え、それを目標に歩みを進めています。基本的に能面づくりは室町時代以降伝わるオリジナルの「本面(ほんめん)」をベースに「写し」と呼ばれるレプリカを制作する作業です。昔のすぐれた面の形を継承する意味もありますし、本面を真似て作ることで制作技術も磨かれます。さらに、そこから制作者が自分らしさを見いだし、新たな能面が生まれることもあります。私はできる限り、能について興味や関心を持ってもらえる機会をつくろうと、他ジャンルとのコラボレーションや新しい作品なども発表しています。
長艸◉祖父の代から京都の伝統工芸「京繡(きょうぬい)」を家業とする家に生まれました。現在、父、母、妻も京繡作家として活動しています。私は工房「長艸繡巧房(ながくさぬいこうぼう)」の経営に当たるほか、本年度、京繡の伝統工芸士にも認定されました。染色された絹糸や金糸、銀糸などを用い、立体感を出したり、写実的な表現をしたりするための独特の技法を駆使して、絹織物や麻織物に刺繡したものが京繡と呼ばれます。私たちの工房では着物や帯、ネクタイ、バッグなどに刺繡を施しているほか、父の代からは顧客と直接やりとりをするオーダーメードの仕事を数多く手がけています。最近は江戸時代に「夜着(よぎ)」と呼ばれ、女性が使っていた布団を現代風にアレンジしたものも販売しています。祇園祭の山鉾を飾る懸装品など文化財の修復や新調にも携わっています。
財◉2023年4月に今後、当社グループ全体の目指す姿として「私たちの志」を掲げ、「人、まち、社会のつながりを進化させ、心を動かす。未来を動かす。」と明文化し、発表しました。文化を人々の暮らしが作り出していくものと定義するならば、「私たちの志」は文化振興にもつながるものであると私は考えています。現在、鉄道部門では特別な専用車両を用いた列車を運行していますが、車内の内装やサービスを通じて、地域の文化や魅力を発信しています。観光周遊型寝台列車「TWILIGHT EXPRESS瑞風」の照明スイッチは神社仏閣の錺(かざり)金具を手がける京都の森本錺金具製作所製です。料理監修は料亭「菊乃井」の村田吉弘さんが担当しています。地域における取り組みとしては、07年に「京都交流推進委員会」を立ち上げ、伝統文化の後継者育成や京都の魅力を発信することを目的に創設した「京都 日本画新展」を毎年開いたり、祇園祭や葵祭など伝統行事にも参加したりしています。
―永田さん、宇髙さん、長艸さんは同じ表現者ですが、創作や制作過程において違いや共通点はありますか。
永田◉日ごろ、言いたいことがうまく表現できない、思いが相手に伝わらないといった経験をしたことが皆さんもあるのではないでしょうか。短歌は字数の制約がありますので、作歌のプロセスではそういう状況に直面することがあります。芸術作品は何が表現されているかが注目されます。しかし、短歌を鑑賞する上では作者が表現しようとして断念した部分、表現されなかった部分にも目を向け、受け手がそれを自分の中にどう回収するかということも、とても大事なことです。鑑賞する側には理解や解釈のための能力も求められますので、日ごろから作品に触れる機会を多く持つことも必要でしょう。
宇髙◉制作は本面を基に進めるという話をしましたが、最初はいかにお手本通りに作るかが目標になります。しかし、そのうちに同じものは作れないという壁にぶつかります。私は本面を見て魅力的に感じる部分をさらにより良くしようと考え方を変えることで、独自の表現手法を身に付けました。人の手はデジタルではないので、制作中は失敗や予測できないことが次々に起こります。それも含めて、作品の個性や魅力としてまとめ上げることができた時には、私にしかできない能面が作れたという大きな達成感や満足感があります。
長艸◉短歌のような言葉の作品には、作者の感情が反映されるので、作り手の存在を強く感じます。造形芸術の場合には人の視覚に訴えることを目的としているため、作品は作者の感情からは独立しています。私たちは国内外のコレクター向けに美術品に分類されるような作品も制作しています。工芸品であれば日常的な「用の美」が備わっていればいいのですが、美術品は異なります。技術や歴史、文化的背景の知識がなくても、価値を分かってもらえるような非日常の洗練されたビジュアルこそが最も重要だと考えています。
財◉先ほど、宇髙さんのご説明を聞きながら能面を拝見しましたが、説明を受けながら拝見するとより理解が深まります。一方で、後で振り返ってもその時何を感じたのかが思い浮かばず、感性が制限を受けたような印象が残ることがあります。「TWILIGHT EXPRESS瑞風」に乗車した時、車内で最も心を引かれたものは山口県萩市の工房が製作したグラスでした。事前に列車の説明資料に目を通していたのですが、グラスの説明は見逃していました。何かを鑑賞したり、体験したりする場合の現場で感じることと、言葉や文章で説明を受けることとの関係は、あらためて考える必要があるのだろうと思います。
―文化を未来へと紡いでいく上で、今、私たちができることや大切にすべきことは何でしょう。
財◉近年、国内外から多くの観光客が京都を訪れています。皆さんに安心して京都にお越しいただき、地域の人々も心から観光客を受け入れることができるように、環境を整えるのが私たち公共交通事業者の役割だと考えています。市内の交通渋滞緩和や観光客の分散化を進め、観光客と地域住民の間でさらなる交流が生まれることで、新たな文化も育まれるのではないかと期待しています。
長艸◉次世代を意識するよりも、まずは今を生きる皆さんが文化や芸術に触れ、心から楽しんでもらうことが大切でしょう。日本のアニメやマンガ、韓国のK-POPなど、それぞれの国で親しまれているものが、結果として世界的にも評価を受け、多くの愛好者を獲得しています。できるだけさまざまな文化や芸術に関心を持ち、SNSでの発信や応援をしてもらえればうれしい限りです。
宇髙◉先人からバトンを受け取り、未来へとそれを引き継いでいく、ちょうどその結節点に私はいると認識しています。自分のやろうと思っていることに全身全霊で取り組み、そこで生まれる作品やエネルギーが周囲の人を動かす原動力にもなると思います。私が関わる能面制作の教室には小学生も通っています。世代を問わず輪を広げていければ、文化は裾野から活性化していくのではないでしょうか。
永田◉印象深い歌を紹介します。〈逝きし夫(つま)のバッグの中に残りいし二つ穴あくテレフォンカード〉。作者によると、入院中の夫は毎日夕方になると公衆電話から家に連絡してきたといいます。使い終わったカードなら七つくらい穴があきますが、ここでは「二つ」です。この表現からは夫婦お互いに言いたかったことがいっぱいあったのに言えなかったという悲しさや寂しさを感じます。短歌はわずか三十一文字ですが、想像がどんどん膨らみます。近年、デジタル技術が発達し、言葉が痩せはじめたと危惧していますが、逆に言葉の可能性を広げていかなければならないとの思いを強くしているところです。
◎永田和宏(ながた・かずひろ)
1947年滋賀県生まれ。京都大名誉教授。JT生命誌研究館長。歌集「風位」で芸術選奨文部科学大臣賞、迢空賞。皇室の和歌の相談相手となる宮内庁御用掛を務める
◎宇髙景子(うだか・けいこ)
1980年京都市生まれ。京都市立芸術大卒。父、金剛流能楽師・故宇髙通成さんの下で能面制作に励む。近年は、ゲームやファッションブランドとのコラボも展開
◎長艸真吾(ながくさ・しんご)
1983年京都市生まれ。京都市立芸術大在学中に家業を継承。2024年に長艸繍巧房3代目代表取締役社長。アートプロデューサーとしても評価されている
◎財剛啓(ざい・たけひろ)
1969年広島県生まれ。92年、西日本旅客鉄道入社。鉄道本部営業本部副本部長などを経て現職。京都・滋賀の魅力を発掘・発信して地域の活性化を進めている