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忘れものフォーラム

Forum

文化庁京都移転記念フォーラム「京都発―伝統・文化・未来―」

2023年3月の京都移転に向けて準備が進む文化庁。明治維新以降、省庁が首都圏を離れて初めて京都に拠点を移す。文化行政の転換に期待が高まる中、都倉俊一長官らが12月5日、「日本人の忘れもの知恵会議 京都発―伝統・文化・未来」と題して京都新聞社で議論。市民ら約160人が耳を傾けた。コーディネーターは、京都新聞総合研究所特別編集委員の内田孝が務めた。

都倉俊一氏 冷泉貴実子氏 井上安寿子氏 水ノ江和同氏

■ディスカッション
ブランド活用 世界に発信

文化財で地域活性化
都倉俊一氏(文化庁長官)

演歌・和歌は悲恋から
冷泉貴実子氏(冷泉家時雨亭文庫常務理事)

移転効果は職員にも
水ノ江和同氏(同志社大文学部教授)

伝統継承に工夫必要
井上安寿子氏(京舞井上流)

―京都の冬の風物詩、南座の顔見世興行には、花街の芸舞妓の皆さんがそろって観劇する「総見」があります。きょう12月5日は、祇園甲部の総見でしたね。
井上◉毎年、祇園甲部の総見の際に一緒に寄せていただいてきました。芸舞妓は、観客席両脇の桟敷席に並んで座り、舞台を拝見します。
井上流は、京都で発達した日本舞踊の一流派です。初世八千代が江戸時代中期に京都五摂家のひとつ近衛家に奉公に上がり、見聞きした芸能、宮廷文化を吸収して井上流の基礎を作りあげていった、と言われています。五花街のひとつである祇園甲部とは、三世の時代からのつながりです。
「舞」「踊り」ともに、英語では「ダンス」ですが、舞は「地について旋回する動き」から生まれ、一方、踊りは「地から跳躍する動き」から生じたもの、と言われています。井上流の基本的な動作では、おいど(お尻)を下ろすことが非常に大事で、1歩を踏み出し両足の真ん中に重心を下ろします。すると、自然に後ろ足のかかとが上がります。この状態を保ちながら、すり足で舞います。実際のところ、舞の所作にも跳躍する動きはたくさん出てくるので、違いは曖昧です。
―都倉さんは、外交官の息子としてドイツなどで育ち、西洋音楽から出発した作曲家としてたくさんのヒット曲を生み出してこられました。
都倉◉わが国に西洋音楽が伝わったのは16世紀半ばで、キリスト教の宣教師によってもたらされました。多くの宣教師が活動した長崎・五島列島は、賛美歌をルーツとする民謡が歌い継がれてきた地域です。賛美歌と地元の民謡のふたつを重ねて歌うと、音階などが重なり、共通性が証明されたのです。
日本の民謡や演歌は、ドレミファソラシの7音から、ファとシを抜いた5音階が多いのが特徴です。一方、西洋音楽は7音にピアノの黒鍵にあたる5音を加えた12音階で構成されています。西洋音楽は世界で唯一、体系的に研究された音楽です。12音階は創作に便利なツールで、12音階の良さを生かして自分のDNAに忠実な音楽を創作したいと思っています。
―水ノ江さんは文化庁の文化財調査官として、全国の遺跡や文化財を調査してきました。京都の特徴をどう捉えられますか。
水ノ江◉京都が文化庁を誘致する際、「国指定の文化財が全国で最も多い」とアピールしていたのを思い出します。文化庁勤務当時の私も、京都の文化財というと、数の多さしか意識していませんでした。しかし、母校の同志社大教員となったこの5年間、京都に住んでみて、数だけではなく種類もとても豊富であることに驚かされました。
京都の著名な建造物というと、多くの人は世界遺産「古都京都の文化財」のような神社仏閣を思い浮かべるかもしれません。明治以降の京都では、東京のような震災や空襲による大規模な被害がなかったこともあり、実は明治から昭和初期の近代建築が、おそらく日本で一番多く残っているのです。同志社大キャンパスにある重要文化財5棟を含む赤れんが建造物群は、その典型です。また、深泥池(京都市北区)には狭いエリアに氷河期以来の多様な生物や植物が残っており、国の天然記念物「深泥池生物群集」として指定されています。
文化庁の移転が、京都の文化財は数の多さだけでなく、多種多様で、それぞれ質が高いこともクローズアップされ、全国に発信する契機になればと期待しています。
―京都新聞社では、2015年に文化庁誘致に向け、意義や課題を話し合う座談会を実施しました。出席者の1人が冷泉さんです。
冷泉◉7年前、地元にとって文化庁誘致は一つの夢でした。都倉さんと壇上に並び、いよいよ夢が実現すると感じ、うれしく思います。
私は演歌を聴くと、「これが日本人の長く受け継いできたDNAだ」と感じます。和歌にもたくさんの恋の歌がありますが、恋愛成就のハッピーな作品はほとんどありません。平安時代、貴族の恋愛は女性に仕える女房らのうわさ話を聞きつけた男性貴族が、和歌を添えた手紙を書くことに始まります。女性は和歌の出来や書の優劣、手紙の料紙の選び方などで、どんな男性か判断し、会うかどうかを決めます。会うとなれば、男性が女性のもとを訪ねます。
和歌で詠まれるのは、男性を待ち続け、結局は涙を流して一人寝の夜を過ごす女性の様子や心情ばかりです。演歌と同じですね。
井上◉日本舞踊の基本的な伴奏は、三味線と唄(うた)。四季の移ろいや時代、情景、物語を説明する役割を担っています。その中で地唄は、艶物(つやもの)と言われる男女の情愛を扱った作品が多く、いとしい人を待ち焦がれる女性の切ない心情やままならない思いを歌ったものがほとんどです。舞の振りでも、「うれしい」より「悲しい」という表現の方が豊富です。
都倉◉もともと、明治から昭和初期の流行歌や唱歌、童謡の歌詞は、西條八十やサトウハチローといった純粋詩を書く人が手掛けていました。当時は4行詩や5行詩のような短い歌詞に曲を付けており、演歌の音楽的な源流はここにあります。
作詞を専門とする職業作家が登場するのは1950~1960年代です。昭和を代表する作詞家の阿久悠さんと一緒に仕事をした際には、90%以上は先に私が曲を作り、後で阿久さんが言葉を当てていくという順番でした。音楽が先行し、言葉が追従して初めて描くことができる世界も間違いなくあります。
冷泉◉冷泉家に昔から伝わる七夕行事「乞巧奠(きっこうてん)」では、ひこ星と織り姫に見立てた男女が和歌の贈答を行います。和歌は節をつけて披露されます。古くから伝わる節を用いれば、どんな和歌でも歌い上げることができます。
―古代には、踊りや祈りで政治的な安定を目指した権力者もいたと言われ、これを芸能の起源のひとつとする専門家もいるようですね。
水ノ江◉古墳から出土する人物埴輪には、踊る巫女(みこ)のほか、琴や笛、太鼓などを演奏する人をかたどったものも数多くあります。史料のない時代なので推論となりますが、これは権力者の葬送儀礼(葬式)の場面を表現していると考えられます。その後、それぞれの役割が葬送儀礼から分離され、長い年月を経て発展・継承され、現代の芸能に至ったのでしょう。当初は祭礼の一環だったかもしれませんが、力士の人物埴輪もあり、現在の国技である相撲につながっているとも考えられます。

壇上

―都倉さんは、全国で国宝から地域の文化財、祭礼など、さまざまな文化に触れる多忙な日々ですね。
都倉◉これまで知らなかった各地の文化財や芸術に触れることができるのは楽しいことです。文化庁では、全国の有形・無形の文化財をストーリーの下にパッケージ化して認定し、地域活性化や観光振興に活用する「日本遺産」プロジェクトに力を入れています。また、有形文化財の修理や維持はもちろん、日本舞踊のような無形文化財を未来に向けて継承するためのサポートも非常に重要だと考えています。
―後継者育成や次世代への技術継承について、それぞれの立場でお考えを聞かせてください。
井上◉舞台に立つ時は、少しでも観客の皆さんに分かりやすくしようと考えています。事前のワークショップや、SNSを使った講習で、日本舞踊に興味の持てなかった方でも目に留めていただけるかも、と思います。
稽古は、教える側と教えられる側が向き合い、師匠と同じ動きをすることで、振りや所作を身に付けていくスタイルです。私が教える際には、自分の悪い癖が相手に移らないように気を付けています。言葉に頼って説明すると逆に混乱を招くことも。教え方には工夫が必要だと感じています。
冷泉◉和歌に関する典籍や古文書を収めた当家の蔵は「御文庫」と呼ばれています。1階は収蔵スペースで、2階には先祖や観音さんなどが祀(まつ)られています。神が宿る蔵として、子どものころは「蔵に近づくと罰が当たる」と教えられました。冷泉家の歴史は、災害や戦火など、危機の連続でした。戦後は連合軍占領下で財産税法が施行され、「屏風(びょうぶ)やお香の道具など伝来の品々を売却してしのいだ」と母から聞かされています。千年に渡って文書類などを次世代に伝え続けてこられたのは「典籍類には神が宿る」という信念があったからでしょう。
水ノ江◉文化庁に在籍時、国指定文化財を保護するという法律上の仕組みから、後継者育成というと、文化財保護や芸術活動に直接携わっている人物に限定して考えていたような気がします。京都に来て気付いたのは、文化財保護や芸術活動には、実に多くの人が関わっているということです。例えば京舞の場合、着物を作る人や髪を結う人、舞台そのものの製作者、さまざまな日程調整や連絡をする人など、周辺にとても多くの人たちの働きがあってはじめてそれが維持されるのです。文化庁職員も京都移転によって、文化財保護は実に多くの地域の人たち、多種多様な職種の人たちが支えていると実感できるでしょう。そうなれば文化財保護法の在り方や補助金の枠組みを、もう少し柔軟に、臨機応変に活用できるような工夫をされるのではと期待します。しかし、文化庁の職員も国会対応などに追われる激務の日々なので、京都に来たら心と身体のゆとりを作る環境も必要でしょう。
都倉◉歴史・文化都市としてのブランドを生かして、日本の文化・芸術を東京ではなく京都から世界に発信する。このことの意味は、大変大きいと考えます。2023年3月27日には、京都の文化庁の長官室に座ります。私も楽しみにしています。

※京都新聞社は2015年11月7日付で座談会「文化庁 京都誘致移転実現へ」を掲載した。冷泉貴実子さん、武者小路千家第十四代家元・千宗守さん、元文化庁長官・近藤誠一さんが出席(司会は内田孝)。登壇者は「東京とは時間の流れ方が異なる京都に職員らが暮らし、京都からバランスよく新しい発信を目指しては」と提言した。

全景

撮影・辰己直史



◎都倉俊一(とくら・しゅんいち)
1948年生まれ。4歳でバイオリンを始める。父・栄二氏は外交官で、ドイツなどで育つ。学習院大在学中に作曲家としてデビュー。2021年4月から現職。

◎冷泉貴実子(れいぜい・きみこ)
1947年生まれ。藤原俊成・定家を祖とする「歌の家」冷泉家第24代為任氏の長女。第25代為人氏の夫人。冷泉流歌道を指導。文化庁等移転推進協議会顧問。

◎水ノ江和同(みずのえ・かずとも)
1962年生まれ。考古学、文化財保護。森浩一氏に師事。福岡県教委、九博、文化庁記念物課を経て現職。著書に「縄文人は海を越えたか」(朝日選書)他。

◎井上安寿子(いのうえ・やすこ)
1988年生まれ。父は能楽観世流九世観世銕之丞、母は京舞井上流五世家元井上八千代(重要無形文化財保持者)。四世(曽祖母)と五世に師事。井上流名取。