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経済面コラム

特集・未来へ受け継ぐ

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野村證券京都支店長 濱田悠也さん × 松栄堂代表取締役社長 畑元章さん

京都から新しい暮らしのあり方を発信するキャンペーン「日本人の忘れもの知恵会議」。今回は特別編として、1月4日に京都支店開設100周年を迎えた野村證券京都支店長の濱田悠也さんと、お香の専門店として約300年続く老舗の松栄堂代表取締役社長の畑元章さんが、これまで大切にしてきたことや京都特有の企業文化などについて語り合った。コーディネーターは京都新聞総合研究所の高橋晴久所長が務めた。

野村證券京都支店長 濱田悠也さん × 松栄堂代表取締役社長 畑元章さん


■特別対談
古都の誇りと伝統文化を大切に
時代に合わせて変化する「不易流行」

課題を解決しながら挑戦し
夢が実現した未来に
畑元章さん(松栄堂代表取締役社長)

時代に合わせ柔軟に対応し
お客さまに寄り添う
濱田悠也さん(野村證券京都支店長)

 

―両社はともに京都で長い歴史を持っていますね。
濱田◉野村グループは、2025年12月25日に創業100周年、26年1月4日に京都支店開設100周年を迎えました。これまでお客さまや株主をはじめ諸先輩方の変わらぬ支えがあったおかげで、京都で長くお取引いただいていることに感謝しなければいけないと考えています。
畑◉創業約300年に及ぶ松栄堂は、長い過程においては存続の危機にさらされたこともありました。オーナーファミリーである畑家はその都度親戚からの強固な支援を得ると同時に、製造から販売まで一貫して担っている従業員の支えがあるからこそ、こんにちの姿があるものと考えています。

―多くの支えがあって今がある。それを守るためには時代に合わせて変化する「不易流行」も欠かせませんね。
濱田◉野村證券の企業理念の中に「挑戦」「協働」「誠実」の三つの価値観があり、とりわけ「挑戦」の気風があります。当社は日本初の投資信託を開発するなど、新しいニーズを先取りし世に出してきました。「失敗は成功への道筋だ」と野村グループCEOの奥田も常々話しており、若い人にも仕事を任せる風土があります。私がニューヨークに赴任していた入社7年目の際にも、1兆円規模の投資を集める大きな仕事を担当できとても励みになりました。
畑◉松栄堂もベンチャー精神は旺盛で、昭和初期には販路を海外に求めて、パッケージに芸舞妓やオリエンタル風に象の絵柄を載せた時代もありました。社会環境が変化する中、創業以来、軸としてきた宗教関連以外の販路をどう広げていくかは大きな課題です。若い層にももっと香りを使う楽しさを知ってもらい、当社のブランド認知度も上げたいのです。
37年前に立ち上げたLisn(リスン)は大きな挑戦でした。これまで培った、香りをつくるブレンド力は変えずにお客さまとのタッチポイントをどう構築していくか、現在も模索を続けています。近年は20代、30代の若いスタッフが積極的で頼もしい限りです。
濱田◉若い層を含めた幅広いお客さまに多くのサービスをいかに提供するかは大きな課題です。ネット証券では難しい対面営業の強みは発揮しつつ、タッチポイントを増やすためにウェブ上でお客さまと接点を持つデジタル・カスタマーサービス部があり、投資情報の閲覧や資産の内容が一目で分かるスマートフォンアプリ「野村アプリ」も開発しました。

―なぜ京都には松栄堂のような老舗がたくさんあるのでしょうか。
畑◉千年以上にわたり人・物・情報が集まる首都だったことがポイントでしょうか。東京もいずれは多くの老舗が誕生することと思います。
濱田◉私は長きにわたり首都であった誇りと伝統文化を大切にする京都を深く尊敬しています。ニューヨーク赴任時、多くの人種が集まる中、アイデンティティーで負けないためには日本人として誇りを持つことが大事だと確信しました。そうした誇りを培えるのは東京ではなく京都ではないでしょうか。
畑◉何かを習おうとすると京都は世界一の師匠に稽古をつけてもらえる。米大リーグや欧州サッカーリーグのスターが当たり前のように近くにいるようなものですね。
濱田◉松栄堂さんが約300年続いた秘訣(ひけつ)はどこにありますか。
畑◉実は、『太平記』にも記述がある鎌倉・南北朝時代の武将・畑時能公が畑家の先祖なのです。時能公は合戦に負け、子どもたちが丹波篠山に逃れ、時能公の遺髪を付けた木像を残しました。その木像を畑家が京都で預かり続けているのです。毎年10月には木像が入っている箱を開けておまつりしています。木像を守るために家業をしっかり続けていくという命題が畑家には課せられています。
濱田◉野村證券の創業者・野村徳七は京都を愛しました。墓は大谷本廟(ほんびょう)にあり、南禅寺に別邸碧雲(へきうん)荘があって野村美術館もあります。12月25日に野村グループを創業した翌年1月には早くも京都支店も開設しており、当社にとっても京都は思い入れの強い特別な街ですね。
畑◉碧雲荘に香道で使われる源氏香図が記してあったことが、仕事柄とても印象的ですね。

野村證券の創業者・野村徳七

野村證券の創業者・野村徳七

―京都における事業承継にはどのような特徴がありますか。
濱田◉親族内、オーナー家で承継していくのが大きな特徴ですね。事業承継の課題として挙げられるのが、事業と自社株をどう承継するかという点です。京都のお客さまと会話をすると、事業を継ぐための帝王学も脈々と引き継がれているように感じます。当社はパートナーとしてオーナー家の方々に寄り添える面も強みです。
畑◉職業と住居が一緒という環境の友人が多い点は東京とは異なるようです。出勤してくる社員に対して近くの住民があいさつの言葉をかけてくださるなど、地域とのコミュニケーションがしっかりしているのも京都独特でしょう。親しみを持ってくださっているし、厳しく見ていただいているともいえます。
濱田◉会社を守っていく気概のようなものは若いころからあったのですか。
畑◉守るよりは、一緒に走っている、戦っている仲間のようなものでしょうか。私自身がぐらついたら、本業があるからこそ助けてくれると思うし、本業がぐらぐらするときは、自分自身が支えなければいけないという感じですね。
濱田◉だから社員の皆さまも前向きになるのでしょうね。勉強になります。

―最後に、未来へ向けてどのように歩もうとされているかをお聞かせください。
畑◉私は漫画・アニメ『ドラえもん』が大好きで、よく子どもと一緒に見ます。第1話はお正月の風景でした。主人公のび太の前にドラえもんが現れ、お餅を口にして「生まれてはじめて食べた」と言う。この場面を見た私は、未来はお餅がなくなると同時に、松栄堂の商品もなくなってしまうかもしれないという怖さも感じました。
私は、ドラえもんが生まれる2112年9月3日まではしっかり松栄堂を残したい。そしてドラえもんがのび太に会いに来てくれたとき、街を歩きながら「ぼく、この香り、知ってるよ」と言ってもらえるような会社でありたいという夢を描いています。一つ一つの課題を解決しながら挑戦していけば、必ずや夢が実現した未来にたどり着くことができると信じています。
濱田◉当社のパーパス(存在意義)は「金融資本市場の力で、世界と共に挑戦し、豊かな社会を実現する」。日頃からお客さまの信頼、満足度を高めることに注力し、結果として当社のプレゼンスを高めたいと考えております。時代に合わせて提供するサービスは変わってくるので、そこは柔軟に変化に対応しながらお客さまに寄り添ったパートナーであり続けたいと考えています。

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◎濱田悠也(はまだ・ゆうや)
1979年神奈川県生まれ。野村證券京都支店長。慶応義塾大経済学部卒。2002年4月、野村證券入社。国内営業店、海外、本社企画、投資銀行部門などを経て、25年4月より現職。

◎畑元章(はた・もとあき)
1981年京都市生まれ。松栄堂代表取締役社長。立命館大卒業。2007年、松栄堂入社。お香の製造・販売・営業の経験を積み、18年、経営計画室を立ち上げる。専務取締役を経て、25年9月より現職。香老舗 松栄堂13代目。