京都から新しい暮らしのあり方を発信するキャンペーン「日本人の忘れもの知恵会議」。今回は特別編として、昨年、第27代京都市長に就任した松井孝治さんと、京都、滋賀、東京を拠点に医療・介護・保育・教育施設を運営する洛和会ヘルスケアシステム理事長の矢野裕典さんが、医療や介護を中心にした地域づくりについて語り合った。コーディネーターは京都新聞総合研究所の栗山圭子所長が務めた。
特集・未来へ受け継ぐ
Future series
日本人の忘れもの知恵会議 京都市長 松井孝治さん × 矢野裕典さん 洛和会ヘルスケアシステム理事長
■特別対談
民間と行政の強み生かし、いのちとまちづくりを共に支える
時代・社会の変化に応じ人の絆を紡ぐ
松井孝治さん(京都市長)
やさしい社会の実現へ強さも必要
矢野裕典さん(洛和会ヘルスケアシステム理事長)
―洛和会ヘルスケアシステムは今年、創立75周年を迎えますね。
矢野◉1950年に祖父が矢野医院を京都市下京区で開業し、その後、父が地域の医療機関として拠点整備や診療体制の拡充に努めてきました。2025年1月現在、195施設を擁し6486人が所属しています。医療を中心に介護や保育、障がい福祉、さらに患者搬送や介護用品レンタルを手掛ける事業を展開し、地域に根差して、そこに暮らす人々の生活を支えています。
行政との連携でも医療を提供する組織として強みがあります。京都市から運営委託を受けている保育園や学童保育施設では、医療的なケアが必要な子どもたちも受け入れ、発達障がい児の放課後デイサービスも提供しています。医療的なケアを行う場合、施設ごとに看護師の配置が必要ですが、洛和会の病院には多数の看護師がいますので、利用者の増減やニーズに合わせて柔軟な対応が可能です。病院では発達障がい児の治療も実施しており、知見や経験も豊富にあります。
―京都市は24年12月に市政運営のあり方を示す「新京都戦略」を公表しましたね。
松井◉すべての人に居場所と出番がある地域づくりを目指す基本方針です。ベースになるのは、医療や福祉、子育てなど従来の枠組みを超えた、重層的かつ包括性の高い支援体制を各エリアに構築することだと考えています。
子育てで言えば、親世代だけではなくおじいちゃん・おばあちゃん世代をどう巻き込むかも重要なテーマですし、彼らが孫育てに参加するには健康上の問題がなく生活できる「健康寿命」を延ばすことも求められます。一人暮らしの高齢者や、療養・リハビリをしながら日常生活を続けている人も地域で役割や力を発揮でき、それが生きがいになるような環境を行政として提供していくつもりです。
―新京都戦略は、住民自治の伝統や支え合いの精神を京都の強みや価値として、それを踏まえた先導的な取り組みを進めていますね。
松井◉24年11月、世界歴史都市会議に参加するため、スロベニアの首都リュブリャナ市を訪れました。旧市街地には誰でも無料で利用できる電気自動車が走っており、それをSNS(会員制交流サイト)に投稿したところ、すぐさま矢野理事長が書き込みをしてくれました。京都市も過疎地を抱えており、高齢者の孤立を防ぐために、生活圏という狭いエリアでの移動手段の確保は重要な政策課題です。
矢野◉地域医療を提供し、安心して生活できる環境を作りたいという私の思いと、松井市長のお考えが同じだったので反応しました。洛和会は、地域交通にも積極的に関与しています。例えば京都市山科区で要支援者向けに福祉有償運送サービスをタクシー料金の2分の1以下の料金で提供しています。これは、京都市の補助金制度を活用したモデル事業でもあります。他の病院が運営する事業への送迎や送迎中のスーパーマーケットへの立ち寄りも対応していますので、利用者はもちろん、地域全体にとって有益な取り組みだと思います。
―今日(対談の日は25年1月17日)は阪神・淡路大震災から30年の節目の日です。震災では行政や民間の役割が問われましたね。
松井◉当時、私は首相官邸に勤務していました。あの出来事を思い起こすと悲しさで胸がふさがる思いですが、官邸には必ずしもリアルタイムで情報が届いておらず、初動が遅れたのは事実です。ただ、被災地では建物の倒壊に加え、同時多発的に火災が発生しており、地元の消防や警察、自衛隊、医療機関がフル稼働しても救命や消火活動がはかどらなかったと聞いています。命や財産を守るのは政府や自治体の役割ですが、大規模災害時は社会全体が連携して対応に当たる必要があります。
30年前の経験から言えるのは、行政だけで実現できることは限られており、行政は先導役や結節点の役割を果たし、時代や社会の変化に応じたネットワークや人の絆を紡いでいかなければいけないということです。
矢野◉民間と行政の役割分担が重要で大切なのは双方が協力し合うことではないでしょうか。民間の強みはレスポンス(対応)や意思決定の速さです。即断かつ柔軟にサービスを提供したり、挑戦的な事業に取り組むこともできます。
山科区では災害拠点病院に指定されている洛和会音羽病院を中心に多数の施設があります。職員の定住を促すための制度を設け、緊急時に職員が参集できるよう体制を整えています。洛和会では、区内でマンションや一戸建てを購入した常勤職員に総額300万円を支給する住宅応援手当を創設し、その後、対象を中古物件にも広げ、京都市の「京都安心すまい応援金」と併せて総額500万円まで利用できるようにしました。行政の取り組みと民間が協力することで、地域を支える住民の創出がより図れます。さらに、洛和会では手当の受給要件に町内会への加入を義務付け、地域のネットワークづくりへの参画を呼びかけています。
―今後についての考えを聞かせていただけますか。
矢野◉洛和会はパーパス(組織の存在意義)として「やさしい社会を創造する。」を掲げています。ただし、やさしい社会を実現するには強さも必要です。ときには、新しい挑戦に向けて自らの手で切り開く強さが求められています。医療、介護、保育という中核事業に、一層真摯に取り組むことでそれが実現できると確信しています。困っている人を助ける、自ら行動を起こすという洛和会の歩みは、代々受け継いできたスピリッツでもあります。父は1985年、看護師不足に対応するため、洛和会京都看護学校を設立しました。今年40 周年を迎え、4月からは新校舎で授業が始まります。今後は地域づくりと並んで人材育成にも力を入れていくつもりです。
松井◉新京都戦略は3年後のまちの姿を表した短期的な方針ですが、2050年まで視野に入れた中長期ビジョン策定の議論も始まっています。新京都戦略では「突き抜ける世界都市・京都」を実現すると宣言していますが、全体的な発展や成長を加速させるには、それぞれの地域が個性を発揮できるような政策が欠かせません。事例を一つ挙げると、山科・醍醐エリアを対象に「meetus(ミータス)山科| 醍醐」という全庁横断型の組織を立ち上げ、活性化策を議論しています。地域の横のつながりはもちろん、世代や時代を超えた縦のつながりも生み出すことで、幸せや生きがいを感じられるまちを市民とともにつくりたいというのが私の強い思いです。
◎松井孝治(まつい・こうじ)
1960年京都市生まれ。第27代京都市長。東京大教養学部卒。83年、通商産業省(現経済産業省)入省。98年、通商産業研究所研究体制整備室長。2001年、京都選挙区から参議院議員に初当選。07年、再選。09年、内閣官房副長官。13年、慶應義塾大総合政策学部教授。24年2月から現職。
◎矢野裕典(やの・ゆうすけ)
1981年京都市生まれ。洛和会ヘルスケアシステム理事長・医師。帝京大医学部卒。2019年洛和会ヘルスケアシステム入職、副理事長を経て、22年から現職。YouTubeやSNSで経営トップ自ら発信する広報の実績が評価され「病院広報アワード2024」で経営者部門大賞を受賞。