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特集・未来へ受け継ぐ

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未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2024年第4回】

京都から新しい暮らしを提言し、発信するキャンペーン企画「日本人の忘れもの知恵会議」。2024年度は独自性で知られる京都企業のトップをゲストに迎え、未来を担う若者たちへのメッセージを聞く。4回目はNISSHA(京都市中京区)の鈴木順也代表取締役社長が、東宇治高(宇治市)で英語探求コース2年生約40人に、ビジネスで挑戦し続ける大切さを語った。コーディネーターは京都新聞総合研究所長の栗山圭子が務めた。

対談風景

高校生に挑戦の大切さを語る鈴木順也社長
(宇治市・東宇治高)


 

■京都企業トップ 若者へメッセージ

好調な時に新たな挑戦 
美術印刷から車・医療分野へ
NISSHA 鈴木順也代表取締役社長

 

私は、慶応義塾大学大学院を修了し、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行しました。銀行員時代は東京や米・ロサンゼルスで勤務しました。その後、NISSHAに入社し、国際事業の担当役員などを経て2007年から社長を務めています。

「為せば成る」座右の銘

座右の銘をよく尋ねられますが「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」と答えます。江戸時代の米沢藩主上杉鷹山の言葉で、とにかく行動を起こしたら物事は成就するが、逆に達成できないのは必ずやってやろうという強い意志や信念がないからだという意味です。英語では「Can do Spirit(キャンドゥ・スピリット)」と解釈しています。
当社は1929年創業で美術出版物などの高級美術印刷から出発しました。事業形態から見ると企業は大きく2種類に分けられます。企業がモノやサービスを個人に提供するビジネスをBtoC(ビートゥーシー)と言います。Bはビジネス(企業)、Cはコンシューマー(消費者)の頭文字です。食品や衣料品、家電製品などを製造するメーカーや販売店はBtoC企業と言われます。
一方、企業を対象に事業や商取引を行うことをBtoB(ビートゥービー)と呼びます。
当社はBtoB企業です。まず、産業用資材としてプラスチックフィルムと部品を製造する仕事をしています。例えば、自動車の内装部品には木材や金属に見えるものがありますが、実は木目柄や金属のような色やデザインをフィルムに印刷し、プラスチック部品の射出成形と同時に、その表面にフィルムの色やデザインを付加します。
また、紙の表面に金属層を製膜した特殊紙である蒸着紙を製造しており、欧米では環境にやさしいパッケージ資材として飲料用ラベルや食品包装などに使用されています。
さらに、電子部品の分野では画面上で触った位置を感知するフィルムタッチセンサーも手がけています。患者への負担を軽くするため、腹壁の小さな穴から手術できる低侵襲の内視鏡用処置具などの医療機器の開発・設計・製造の受託事業も行っています。
高級美術印刷から始まった会社が、さまざまな事業を展開して進化し、医療機器まで手がけるようになったのはなぜでしょうか。
一般に製品やサービスには寿命があり、ライフサイクルと呼ばれています。市場で発売され、顧客に認知されて需要が増え始めます。その後、市場に製品が行き渡ると販売量の伸び率は鈍化し、最終的には市場からの退出や新しい製品への切り替えと局面が変わります。どの製品やサービスも導入、成長、成熟、衰退の四つの段階を歩みます。
例えばスマートフォンは毎年のように最新モデルが発売されており、一つの機種のライフサイクルは3~4年でしょう。自動車や家電製品は簡単に壊れず、頻繁に買い替えるものでもないので、ライフサイクルは比較的長いと言えるでしょう。
高級美術印刷も同じ道をたどり、現在ではあまり需要がありません。会社の中で柱となっている事業が衰退期に入ってから次の製品やサービスを慌てて準備したのでは、企業活動はたちまち停滞してしまいます。成長曲線は右肩下がりとなり、新しい製品やサービスが軌道に乗るまで業績の谷間ができてしまいます。この谷間を避けるためには、ビジネスが好調なうちに次の一手を打っておく必要があります。
企業が成長し続けるためにはライフサイクルを意識することが重要であり、ビジネスが好調な時に新たな変化を起こせるかどうかが分かれ目になります。人の能力も同じで、社会や身の回りの状況の移り変わりに対して敏感に反応し、積極的に能力の変化を起こしていかなければ成長することはできないでしょう。
1980年代にタッチパネルの技術を開発し、従来的なガラスではなくフィルムによるタッチセンサーへ進化させ、薄い、軽い、曲げられるといった特長を有する当社の製品はタブレット端末、スマートフォン、ゲーム機などに使われています。タッチパネルのビジネスが順調に推移している中で、新たな道を探り、2000年代に入って自動車、2010年代以降はメディカルの市場へと事業領域を広げてきました。
経営においては、どの市場に狙いを定めて次の一手を講じるかは非常に重要なことです。今後の成長が見込める市場を見極めなければなりませんが、有望な市場には自分たちと同じように参入を考える企業があるはずです。ライバル企業が自社と同じレベルの技術や、同じ品質の製品を有しているのであれば価格競争になります。価格の安さを競うと売り上げや利益を確保することは難しくなるので避ける必要があります。
価格競争に陥らず、ライバルとの競争に勝ち抜くためには、技術的に優位性のある製品を持つことが求められます。タッチパネルを例にとれば、パネル表面を触った時に感度がいいとか、繰り返し触っても表面が傷つかないといったことです。その技術を生み出すには工場や生産設備は当然のこと、それを駆使する人材の能力が重要です。さらに顧客の要望や期待に応える仕事をやろうという情熱も不可欠です。
これらがうまくかみ合って初めて事業の成果が生まれます。自動車の内装部品もタッチパネルも広い意味で印刷技術を応用した製品です。競争優位性を持った独自技術を当社では「コア技術」とも呼びますが、技術の発明だけでなくこれを生かせる市場を探すことも重要です。

固定観念など見直そう

自分の能力や強みと、それを生かす仕事や場所が一致すれば大きな成果が生まれます。皆さんもまずは学びを深めることで自分の能力を高めたり、強みを磨いたりしてください。そしてどこで活躍したいのかを見つけることです。
当社はグローバルにビジネスを展開しており、グループ全体では海外での売上高が90%近くに上ります。傘下のグループ企業は64社で、北米や中南米、欧州、アジアなど各大陸に営業所や工場があります。従業員は日本人が37%に対して外国人が63%を占めます。
世界を舞台に活躍するためには、英語は必要です。ただ、英語はツールに過ぎません。コミュニケーションは単に会話を楽しむということではありません。自分と異なった意見を持つ人を間違っていると断定せず、単に違っているだけだと認識することで、逆に相手から学ぶことが可能です。特にビジネスの世界では立場や利害の異なる人が交渉を通じて、最終的に合意形成に結びつけることが目的です。仕事や働くということは、必ず着地点を見いだし、成果を導き出さなければなりません。
私の会社では「Think Outside the Box」という言い方をします。これは固定された考え方やものの見方、思い込みを見直そうという呼びかけです。皆さんは学業に打ち込み、見聞が広がっていくと、新たな気づきも生まれ、自分のなりたい姿や目標も変わっていくでしょう。固定した箱の存在に縛られず、柔軟な思考で、変化を起こし、世界へ飛び出していってほしいと願っています。世界を知ることは、逆に私たちの国家や歴史を見つめ直すことにつながります。


 

NISSHAの製品の一部

NISSHAの製品の一部

■質疑

前に進まないと成長は止まります

―鈴木さんはなぜ社長になろうと思ったのですか。
私が社長になると、この会社はもっと成長できると思ったからです。しかし、自分で就任を決められません。能力が評価され、選ばれないといけません。

―今後、会社としてどう変化して、どう成長しようとしているのですか。
メディカル分野の事業について、2030年までにグループ全体の売上高の50%まで引き上げる計画です。メディカル市場の次に自動車市場の売上高の伸びに期待しています。

―変化や挑戦が怖くなったことはありませんか。
今までと違う領域に足を踏み入れようとする時は怖いと感じます。前に進むべきかどうか熟考しますし、参入を見送る、撤退するという決断をすることもあります。しかし、前に進まないと成長は止まります。

―人材採用はどんな点が決め手になるのですか。
当社の従業員であるための絶対的条件は「誠実な人」です。職種や部署によって求める能力は異なりますが、優れた製品を作り、販売し、世の中の役に立つという仕事をこなすには情熱とともに誠実さが不可欠です。

―学歴をどう考えますか。
勉強を積み重ねた証としての学歴は重要ですが、難関な入試を突破した人が必ずしも仕事が有能とは限らない例を知っています。社会に出ても勉強はしないといけません。当社は社内で学ぶ機会も提供していますので、自己研さんを続けて仕事で成果を出せば学歴はあまり関係ないでしょう。

対談風景

鈴木社長の話に聞き入る高校生たち


◎鈴木順也(すずき・じゅんや) 1964年、京都市生まれ。慶應義塾大大学院商学研究科博士課程修了。1990年、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。1998年、日本写真印刷(現NISSHA)入社。2007年から現職。