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未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2024年第2回】

京都から新しい暮らしを提言し、発信するキャンペーン企画「日本人の忘れもの知恵会議」。2024年度は独自性で知られる京都企業のトップをゲストに迎え、未来を担う若者たちへのメッセージを聞く。2回目は香老舗 松栄堂(京都市中京区)の畑正高社長が、鴨沂高(上京区)2年生約80人に、将来に伝えるべき日本の豊かな香文化について語った。コーディネーターは京都新聞総合研究所の栗山圭子が務めた。

対談風景

日本の香文化について語る畑正高松栄堂社長
(京都市上京区・鴨沂高)


 

■京都企業トップ 若者へメッセージ

時代に役立つ香文化へ 
平安時代から「和様」楽しむ
松栄堂 畑正高代表取締役社長

 

―日本と西洋の香りの違いについて教えてください。
畑◉当社は長岡京市の香場と烏丸二条にある香房でお香を製造しています。原材料は日本で手に入りませんので、アジア各国から輸入しています。本日は原材料として白檀(びゃくだん)と沈香(じんこう)という二つの代表的な香木を持ってきました。この香木を原材料としてお香をつくります。
香木は6世紀後半に日本に漂着したと伝えられています。それ以降、火をつけるといい香りが広がる材料をどう扱うか、工夫や試行錯誤を重ねながらお香づくりは続けられてきました。
原材料は国産ではありませんが、長年受け継いできた知恵や技術を巧みに用いて完成した製品が日本的で、京都らしいと評価されるのは、この仕事の面白さだと私は感じています。
一方、欧州では約500年前に蒸留技術が確立され、植物や動物性の素材からエッセンシャルオイルを抽出することが可能になりました。欧州では衣服などに動物皮革を多く使いますが、そのにおいを取り除くためにエッセンシャルオイルが活用され、それが香水文化の発達にもつながりました。
『新約聖書』のイエス・キリスト誕生物語にもお香が登場します。
東国から流れ星を追いかけてきた3人の博士(三賢人)はマリア様に抱かれた幼子を見つけ、お祝いの品として黄金、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)を贈ります。乳香は木の樹液で、お香の原材料になります。現在でも西洋のカトリック教会ではミサなどでお香をたいています。
―お香にはどんな種類があるのですか。
畑◉歴史的にみると、最初は香木を切り刻んだものを炭火の上に振りかけたり、粉末にしたものを体に付けたりしていたようです。原材料を練り合わせ、つぼの中で熟成させて、炭火の近くで温めて香らせることも行われていました。
ただ、日本のような高湿度の環境下ではにおいが濃厚すぎてつらい、冬の寒い朝にはもう少し温かい甘い香りが欲しいといった要望が次第に寄せられるようになりました。また、海外産の原材料が底をつき、国内で調達できる代替品を使う必要性にも迫られました。
そういった変化に対応し、四季のある日本で楽しめるお香をつくり、和様の香りを使いこなせるようになったのが平安時代です。江戸初期にはお香を細く伸ばして、お線香にする技術も伝わりました。
―同じ頃に松栄堂は創業しましたね。
畑◉ちょうど中国大陸では明から清へと王朝が移行しました。以前から明に住んでいた人たちの中には、異民族による支配から逃れるため、大陸を脱出して日本にたどり着く人たちもいました。その人たちによってお線香の製造技術はもたらされました。当時はろうそくも本格的に普及しておらず、火種を移すことが大変でした。お線香が登場したことにより、火種を持って部屋を移動したり、隣の家に火を分けたりすることが容易になりました。
江戸時代の18世紀前半に京都で私塾を開いた石田梅岩が書斎で使っていた遺品の中にはお線香立てが残っています。梅岩はお線香を利用して私塾の授業時間を管理していました。私の先祖はお線香の革新性に気づき、広く普及させようとお線香づくりを始めました。
―日本の歴史を100年単位で見る必要があると自著に書いておられますね。
畑◉794年、京都に平安京がつくられ、その100年後の894年に遣唐使が廃止されます。遣唐使は、中国大陸から先進的な技術や文化、制度などを取り入れようと7世紀初めに始まった使節団で、当初は派遣先が隋のため遣隋使と呼ばれていました。約300年間にわたる交流の結果、大陸文化の影響を受けた法隆寺や薬師寺などの寺院が建築され、唐の首都長安をモデルにした平安京も誕生します。
しかし、時代とともに日本側の認識は大きく変わり、若くて優秀な遣唐使が命がけで海を渡る必要はないという判断から中止されます。同時期の905年には『古今和歌集』が編さんされます。それまでは、貴族らが大陸の文化をしっかり学んで、教養として身に付けた上で、唐歌(からうた)と呼ばれる漢詩をつくっていましたが、『古今和歌集』に収められているのは、田植えや木材の伐採、家の建築など作業の際に市井の人々が口にしていた「やまとうた」です。『古今和歌集』は、わが国初の勅撰(ちょくせん)和歌集であり、やまとうたを集めた最初の歌集でもあります。
さらに、100年後の平安中期には『源氏物語』や『枕草子』といった日本独自の仮名文字を使った文学作品が誕生するなど、日本の風土や生活に合った国風文化が花開きます。
大陸の動向や社会の変化、生活者の視点なども踏まえ、100年単位で歴史を俯瞰(ふかん)すると、お香に発展の過程があったように、歴史的な出来事には順番があり、必然性もあると感じます。このように、文化史の面白さを知ることができます。
―『源氏物語』の頃の香りはどんなものですか。
畑◉当時のお香のレシピが現代に伝わっています。白檀や沈香といった香木に加え、香りを引き立てるためにシナモンやウコン、クローブ、八角などの素材も使っています。現在では国際条約によって輸出入が禁止されている動物由来の麝香(じゃこう、ムスク)も配合されています。
『源氏物語』で光源氏と幼い紫の上が初めて出会う場面に、お香についての記述があります。紫の上がいる庵を光源氏が訪ねたときの様子を、原文では「そらだきもの心にくく薫りいで、名香の香など匂い満ちたるに、君の御追風いとことなれば、うちの人々も心づかひすべかめり」と書いています。「そらだきもの」は室内にお香を漂わせること、「名香(みょうごう)」は仏前にたくお香を指します。
その場面では、光源氏が建物に入ると後ろに残す「追い風」が香り、建物の中にいる人たちも光源氏の立ち居振る舞いにうっとりしています。光源氏は病の加持祈祷のために山里の寺を訪れ、そこで祖母に連れられ、寺に身を隠していた紫の上を見初めます。理由があって貴族社会を離れ、仏門に生きる彼女たちですが、身近にお香を使う様子は、彼女たちが一定の教養を持つことや、その生活を可能とさせる支援者が都にいることをうかがわせます。
―お香の伝統文化を未来に向けてどのように伝えるべきでしょう。
畑◉私は、伝統とは革新の連続だと考えています。単に新しいことに取り組むことが革新ではありません。自分の好き嫌いで新しいことをしても、人から信頼されたり、賛同を得たりすることはできません。革新にはしっかりとした社会性があり、次の世代に役立つものでなければなりません。
私は京都御所にある榎(えのき)の大木が大好きです。ここに行くと、幼稚園児が絵を描いていたり、お弁当を広げていたり、お年寄りが休憩していたり、いろんな風景に出会います。これだけ大きな木に成長するには大きな根っこが必要で、木は地中で四方八方、自由に根っこを張っています。
私たち人間も同じで、どんな本を読んでも、誰と会話をしても、誰かの声に耳を傾けても、どこを旅しても自由です。そこから水や養分を吸収し、人間として立派な木に成長しなければなりません。そうすれば、御所の榎のように人々から信頼され、安らぎを与えるような存在になれるでしょう。
しかし、それだけが生きる目的ではありません。木は葉や実を落とし、自分を育ててくれた土壌をさらに肥沃(ひよく)にし、最終的には木も生命を全うし大地になります。われわれも多くの人が活躍し、生命を輝かせることができる大地を耕し、次世代に引き継いでいかなければなりません。その大地や生命の循環こそが伝統と呼ばれるものなのかもしれません。


 

対談風景

畑正高社長は、代表的な香木である白檀と沈香を持参。生徒たちは実物を手にとって重さを確かめたり、においをかいだりした。
また、平安時代のレシピを再現したお香をたいて、香りの広がり具合を体感した。

■質疑

線香、見た目・品質統一で濃い色に

―なぜお線香は緑色なのですか。
畑◉木の実や皮、根などを粉末にしているので、素材の色を生かせば黄色っぽい色になります。ただ、製品として見た目を整えたり、品質を統一したりするには、これよりも濃い色で着色する必要があり、緑や茶、黒などの色が多いのです。

―おすすめの香りはありますか。
畑◉沈香は特定の樹木に樹脂が長い時間を経て凝結したものです。虫によって傷つけられるなど、樹木がストレスを受けたときに樹脂が生じるため、香りは木によって違い、同じものは一つとしてありません。私はその香りを分類して評価し、コメントをつける作業も業務の中で行っています。どの香りが好きというよりも、自然界の偶然が生み出した個性に出会えることが大好きです。

―日本の香り文化を世界へ発信するために大切にしていることは何ですか。
畑◉世界の人と交流する時に意識しているのは、お互いに持つ文化や生活様式、常識といったものを尊重し合うことです。自分の価値観を押し付けるのは、相手にとって迷惑でしかないでしょう。当社の製品や、製品の持ち味を生かして、顧客が日常生活でどんなふうに使い、楽しんでいるのか、それを教えてもらうことをいつも楽しみにしています。

対談風景

畑社長の話に耳を傾ける生徒たち


◎畑正高(はた・まさたか)1954年京都市生まれ。同志社大商学部卒。77年に松栄堂に入社し、98年から現職。香文化普及発展のため講演・文化活動に取り組む。著書に「香が語る日本文化史 香千秋」「香清話」「香三才」など。