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特集・未来へ受け継ぐ

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未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2024年第1回】

京都から新しい暮らしを提言し、発信するキャンペーン企画「日本人の忘れもの知恵会議」。2024年度は独自性で知られる京都企業のトップをゲストに迎え、未来を担う若者たちへのメッセージを聞く。初回はニチコン株式会社(京都市中京区)の武田一平代表取締役会長が、府立京都すばる高(伏見区)企画科3年生11人を前に、企業理念と社会貢献のあり方を語った。コーディネーターは京都新聞総合研究所の北村哲夫が務めた。

対談風景

府立京都すばる高の生徒に企業理念と社会貢献のあり方を話す武田一平ニチコン代表取締役会長


 

■京都企業トップ 若者へメッセージ

いい出会い 人生左右 明るい社会へ全力プレー
ニチコン 武田一平代表取締役会長

 

―ニチコンはどんな会社ですか?
武田◉当社は1950年に設立された会社で、コンデンサーを製造、販売しています。コンデンサーは電気を蓄えたり、放出したりする機能を持つ電子部品です。電子回路や電源には欠かせない基本部品で、自動車や情報通信機器、家電など、幅広く使用されています。
2010年からは新たなチャレンジとして、太陽光発電向けの蓄電システムを日本で初めて開発しました。さらに、V2H(ビークル・ツー・ホーム)と呼ばれ、電気自動車やプラグイン・ハイブリッド車のバッテリーに蓄えた電気を住宅に供給するシステムも実用化しており、災害時の非常用電源として活用できることでも注目されています。
現在、地球温暖化対策として、世界各国で二酸化炭素など温室効果ガスの排出量削減や再生可能エネルギーの利用促進などの取り組みが加速していますが、当社では当初からこの問題の解決に寄与するという目的を持って、蓄電システムなどの開発に力を入れてきました。
―入社された経緯は?
武田◉人生において出会いは大切です。いい出会いによって人生は大きく変わります。
就職活動中に大学の就職課に出向いたとき、同じクラスの親友に会いました。どの会社の求人に応募しようかと考えていた私に「この会社、面白いから受けてみたらどうか」と勧めてくれたのがニチコンでした。社内には勤続年数に応じて賃金や役職が上がる年功序列の制度がなく、「進取の精神を持つ人材を求めている」と求人票に明記されていたことを今でも覚えています。
面接試験の場で創業者である平井嘉一郎社長と言葉を交わし、卓越した経営センスや会社を良くしたいという情熱を感じ、この人の下で働くのは大いにやりがいがあるだろうと思ったことも入社の決め手となりました。今、私は経営全体に責任を負う立場にいますが、経営者としてのエッセンスの多くは、入社当時に薫陶を受けた経営陣から学び、吸収したものです。

「買ってくれ」口にせず

―武田会長は26歳のときに単身渡米し、ゼロから顧客や販路を開拓して海外での事業拡大に貢献したそうですね。
武田◉昭和40年代、コンデンサーの最大の市場は米国でした。コンデンサーメーカーとしてさらに飛躍するには米国市場を押さえる必要があると判断し、米国に拠点を置くことになりました。社内には米国勤務を希望する先輩も多く、まさか自分がセールスマンとして指名されるとは思っていませんでした。
突然の指名によって、先輩との関係もぎくしゃくしました。今の状況で私がいくら頑張っても、日本からのサポートがなければ思うような成果は上げられません。もしトラブルがあった場合には適切なアドバイスや指示も必要です。私は赴任を前に、先輩と話し合いの場を持ち、「何とかサポートをしてほしい」と頭を下げました。先輩はその依頼を快く引き受けてくれ、終始日本から私を支えてくれました。米国進出が成功したのは、私一人の成果ではなく、多くの人のおかげです。
―米国ではビジネス以前に、文化や日常の習慣の違いに苦労したと聞きます。
武田◉東海岸と西海岸のちょうど中間にあり、自動車産業の街であるデトロイトにも近いシカゴで現地法人を立ち上げて拠点としました。当時の米国は外国人に対する偏見や差別もあり、住居の確保にも時間がかかりました。たまたま日本人が住んでいるマンションがあり、マンションのオーナーも日本人の生活ぶりを見て、日本人なら信用できると感じていたので、私も無事に部屋を借りることができました。
お金がないためバスをよく利用して移動しましたが、乗降の仕方や現地の地理が分からないため、目的地に到着するまで運転手のそばを離れず、不審がられたこともありました。当時の私にはコネも何もないわけですから、とにかく当たって砕けろの精神で積極的に行動しました。
米国でセールスマンとして一つだけ心がけていたことがあります。商談の場で「製品を買ってくれ」という言葉を口にしないことです。足を運んだだけで、相手にはコンデンサーを売り込みに来たことは分かりますし、さらに買ってくれと繰り返すのは相手に負担をかけるだけで何の効果も生み出しません。もちろん会社の紹介や製品の説明はしますが、それよりも大事なのは、自分自身という人を売り込んだり、相手にとって有益な情報を伝えたりすることです。
例えば現地のテレビメーカーを訪問する際には、当時、技術供与などで関係が深かった日本のテレビメーカーの動向や売れ筋商品などを事前に調査し、情報として提供しました。また、相手がこんなことを知りたいと言えば、私が調べてきましょうと請け負って、次に訪問する機会をつくり出します。そういうやりとりを続けていくうちに、人間関係ができて、「おい、また来いよ」と向こうから声をかけてもらえるようになります。
当時、アラスカとハワイを除く48州をすべて回り、650社まで取引先を増やしました。さらに米国以外にも35カ国に出向いて、営業活動を行ってきました。それぞれの国で言語も文化も歴史も商習慣も違う中で、「誠心誠意」だけはどこの国に行っても通じました。「誠心誠意」は万国共通語だと思っています。

国民性を理解し商品化

―皆さんはマーケティングや商品企画を学習していますが、武田会長の高校生のお孫さんもビジネスを学んでいるそうですね。
武田◉孫は全国各地から集まった5、6人でチームを組んで、カンボジアでビジネスを実習体験するプロジェクトに参加しました。現地では自分たちで商品を企画し、ものづくりを行って販売したそうです。
まず、彼らはカンボジアの主食が米であることと現地の人は甘いものが好きだという情報を基に、ハチミツで甘く味付けしたおにぎりを企画しました。事前にカンボジアの大学生に食べてもらったところ、口では「おいしい」というものの、表情や反応が芳しくないので、商品化は取りやめました。カンボジア人ははっきりと「ノー」と言わない国民性なので、表情や反応を観察して判断したそうです。ビジネスの現場ではこういった「気付き」も重要です。
あらためて、現地ではカンボジア人がカラフルなものを好むのを踏まえ、色付きのチョコレートでデコレーションしたカステラを商品として売り出し、好評だったと聞きました。
―会社の成果は社員一人一人の成果だと考えておられますか?
武田◉野球に例えるならば、打席に入って取りあえずバットを振らなければヒットは生まれません。打ち損じを恐れてバットを振らない打者は必要ありません。試合に備え、しっかり準備することも大切です。ただ、全打席で成果が出て、10割の打率を残すことは不可能です。プロの選手でも2割か3割しかヒットは打てません。何事にも手を抜かず一生懸命プレーしていれば、試合は負けたかもしれないけど、いい姿を見せてもらった、価値があったなと観客には感じてもらえるはずです。
プロ野球選手にとっては勝つことが使命となりますが、企業にも使命があります。当社ではそれを「価値ある製品を創造し、明るい未来社会に貢献する」という経営理念として掲げています。
経営トップから若手従業員まで、すべての人が経営理念を理解して、この理念に沿って製品やビジネスをつくり、一致団結して事業を展開していくことが求められます。一人一人が自分の役割を果たすことに集中し、全力を尽くさなければなりません。私は何をやるにもいつも全力です。


 

■質疑

製造現場の問題共有、チーム力底上げ

―海外に進出する上で一番大変なことは何ですか。
武田◉海外も国内も同じで、その国や地域ではどういう製品が売れるかなど、国民性や消費動向の情報を集め、戦略や具体的な目標をしっかり立てて、実行に移さなければなりません。ただ、自分たちの利益だけを追求するのではなく、製品づくりを通して、それぞれの社会や地域に貢献することで、企業としての存在価値も上げていきたいと考えています。

―すべての従業員が製造装置を使いこなし、生産に携わるように取り組んでおられますが、どんな狙いがあるのでしょうか。
武田◉狙いはチーム力の養成です。自分は総務人事部の所属だから生産現場は関係ないとか、私は経理だから経理の仕事だけやっていればいいのではなく、製造現場の苦労を間接部門の人にも理解してもらうとともに、製造現場が抱える問題を全社でチームとして共有し、課題解決や環境改善につなげることを目指しています。
企業は一人だけで製品やサービスを提供しているわけではありません。いかにチーム力を底上げして、よりいいものを作って、勝負していくかということがポイントになります。

―「はっ」と思って毎日を過ごされていると伺いました。
武田◉「はっ」とする気付きからさまざまなチャンスやアイデアが広がります。皆さんも、一日一回は「はっ」とできる人生を送ってください。

対談風景

府立京都すばる高の生徒に企業理念と社会貢献のあり方を話す武田一平ニチコン代表取締役会長


◎武田一平(たけだ・いっぺい) 早稲田大商学部卒。1963年、日本コンデンサ工業(現ニチコン)入社。米子会社社長、取締役国際部長などを経て98年に社長兼最高経営責任者(CEO)、2007年から現職。京都経営者協会会長などを歴任。神奈川県出身。